【シリーズ連載・Guilty】Unbalance #14(最終話)
~純代
「で、ちゃんと清算できたんでしょうね!?」
「金銭は一切発生してないよ」
「そういう事じゃなくて!」
1ヶ月ほど前、久しぶりに顔に傷を負った野島くんを見た。けれど今度はレベチのボコボコっぷりだった。聞けばやっぱり男女のもつれ、しかもあの歳上不倫女。
旦那さんにバレて、呼び出されて殴られたという。
あろうことか野島くんは課長に "取引先の担当者と不倫してました、すみません。だから担当外れます" なんてバカ正直に打ち明けたらしく、営業から外れることに。
本人はこれを機に前から言っていた部署への異動を目論んだらしいけれど、そんなに思い通り行くわけ無い。むしろ課長は『やっぱりな、いつかやらかすと思っていた』ぐらいのニュアンスで多少呆れたくらいで、むしろ異動の口実にネタを作ったと思われたようで、その話は課長で留まったらしい。窓際とは流石に言わないけれど、それでもただの内勤に成り下がった。
「今後一切かかわりなしってことにしてきたよ」
「当たり前でしょ!? 本当にもう、そうゆうこと起こるのが一番気掛かりだったの!」
「うるさいなぁ、声でかいよ」
「うるさくもなるわ! それにわかってないからね、野島くんは!! そうゆうところ、ほんとバカ」
「野口、お前また泣くなよ」
「なっ…もうあんたのためになんか絶っっっ対に泣かないわよ!」
怪我の理由と配置換えの話を聞いた時。最も恐れていたことが起こってしまったと、心配・不安・怒り…etc.で、泣き喚いてしまったのだ。
相手の事はどうでもいい。家庭が崩壊しようが知ったこっちゃない。
けれど野島くんに危害が及ぶのは本当に嫌だった。もちろん本人の身から出た錆である。とはいえ、だ。
実際に傷つけられた姿を見てしまったら、誰が平常心でいられようか。
「俺、女に泣かれるの、本当に嫌なんだよ」
「泣かすようなことするからでしょっ! バカ!」
「この前からやけに突っかかるな。それにバカバカ連呼して」
「バカだからバカって言ってるの! これに懲りて、女の人で遊ぶのやめてよね!」
「嫁みたいな言い草だな」
「よ…嫁…。そんなことどうでも良くって、ほんとにさ、おかしいから。モテるのは十分わかるんだけど、おかしいから。まだ風俗通いしている方が健全に思えてくる」
「マジかよ。冗談じゃない」
「世間一般から見たら、野島くんがしていることの方が冗談じゃないっつーの!」
野島くんは唇をつきだして仏頂面した。
「…せめて既婚者はやめてくれる?」
「んー、まぁ確かに面倒くさいな、既婚者は」
「そういう理由でなくても絶対にダメなんだけどね、既婚者は!」
はいはい、と呆れたように目を伏せて野島くんはため息をついた。
全く本当にもう、偉そうに! 何様!?
今日はいつものワインバーではなく、雑居ビルの地下にある安居酒屋。週末の夜、周辺のサラリーマンでごった返して賑やかしい。多少声を上げても、誰もこちらを気にする人はいない。
「野口がそんなにカッカしてるの、初めて見たな」
「私もこんなにカッカするのはすごぉく久しぶりだわ」
「俺の心配なんかしたってどうしようもないだろ」
…グサッ。
そうね、そうよね。どうしようもないよね。確かに。
「そういう野島くんはさ…たまに私に、めちゃくちゃ心配して優しくしてくれる時、あるじゃん」
「あるっけ」
「あるよ! 例えば、終電なくなってタクシーで帰るってなった時、何かあったら俺が困るからって、家の前まで送ってくれるとかさ」
「そりゃだって、直前まで俺が遅くまで付き合わせてるのに、何かあったらやばいじゃんか」
「心配ってそういうことでしょ。野島くんは私にそういう心配してくれるんでしょ。私だってするのよ、心配。同期なんだし、こんな風につるんでるんだしさ」
もちろんそれだけの理由ではないけれど。
意外にも野島くんはちょっと照れくさそうに口をへの字に曲げ、そっぽを向いた。
「なに、照れてるの?」
「別に照れてないよ」
「じゃ、どうしてそんな顔するの?」
「うるさいな。俺のことなんか心配しないでいい」
「そんなの出来ない」
「時間と労力の無駄だぞ」
「じゃあどうしてこうやって私と一緒にいるのよ!? 他の女の子みたいに弄ぶわけでもなく」
「…よく考えたらそうだな、俺といると余計なことばっかだしな」
え…。
「俺といること自体、時間の無駄だよな。なんで今まで気づかなかったか、俺」
「ちがっ…そういうことじゃない…」
野島くんは真顔になった。
「時間を返すことは出来ないけど、これからの時間はどうにでもなる」
「何、言ってるの?」
「これから先、野口の時間を奪わないことにする」
「は?」
「無駄だからさ。こんな俺と一緒にいるの。俺、野口の言う通りバカだし、頭おかしいしさ。言う事聞かないし、何するかわからない。なんてったって発達障害かもしれないからな。その度に野口があーだこーだ気を揉んだりするの、無駄だから」
何だか、悲しみを通り越して、頭にきた。今日は冒頭から沸騰気味だったのも後押ししたかもしれない。
私は立ち上がった。
「わかった。いいわ。勝手にすれば!? 野島くんて本当、自分勝手のご都合主義よね! 頭いいし仕事も出来るし女の子からもモテるから文句も言われないっていうか、言うと面倒なことになるから皆言わないんだと思うけどさ! そのくせ何よ、自分は発達障害だって診断されたわけでもないくせに、むしろそっちに逃げ込んでいるんでしょ!? 本当に診断されている弟くんがかわいそう! っていうか障害持っている人に失礼! 偉そうなこと言っていざとなると逃げて…弟くん絶対寂しがってるのに家のこと考えたくないとか言って、自分の大事なことに向き合おうともせず逃げてばっかで…。昔の彼女のことだって、何があったのかよく知らないけど、ズルズル引きずってそのくせけじめもつけようとしない。ほんと、最っ低!!!」
頭に血が上ったというのは、こういう状態のことを言うんだな、と思った。この場で関係ない話題まで引き出るほど。
いつ息継ぎしてたかなと思うほど、一気にまくし立てた。
野島くんは…呆気にとられている。
「帰る!」
何だか先手を打たなければ負ける気がして、そう叫んで出てきてしまった。追いかけて来たって、全力で逃げてやると思ってめちゃくちゃ走ったけれど、追いかけては来なかった。
駅に着く。気管支がゼイゼイ言うほど息が上がり、柱に手をついて息を整える間も、来た方向を見やっても、野島くんの姿はなかった。トボトボと電車に乗る。
「終わった…? これで、本当に、終わっちゃった?」
終わったって…なんか始まってたんだけ私たち。
あ、まぁ、一応同期という関係は始まりがあったけど、同期である限りそこに終りがあるわけでは無い。どちらかが会社を辞めたって「元同期」になるんだし。
なんて、よくわからないことが頭の中を巡ってる。興奮していて、本当に何だかよくわかっていない感じ。
電車に揺られる。ドアの前に立った私。車内の明かりが反射して、車窓の向こうの闇がぼやける。
その窓に映る、これまたぼやけた私。
そのうち涙がこみ上げてきた。
なんで泣くの?
酷いこと言ってきたの、野島くんの方じゃん。
いっつも酷いことばっかしてるの、野島くんの方じゃん。
危ない人だって、入社当初からわかってたよね?
好きになっても無駄だからって、いっつも思ってきたよね?
歳上女に引っ掛かって、ボコボコにされるなんて、最低の男だよね? 一度で懲りず、二度も! 二度あることは三度ある! たぶん! あの男なら! 三度じゃ済まないかも!?
あー本当、最低、最低!
今まで心配したり気を揉んだりしてきて損した! それは本当に野島くんの言う通りだった!
なんで私がこんな思いして…こんなに苦しまなきゃならないの?
既に顔がぐちゃぐちゃで、周囲の目が気になったので電車を途中で降りた。
ひとけの捌けたホームのベンチに座る。鼻をかむ。
少し経つと落ち着いてきた。
でも。
…怖かった、怖かったな。
野島くんが顔を腫らして会社来た時。相手の旦那さんにやられたなんて、一歩間違えていたら殺されていたかもしれない。
っていうかこのままだとアイツ、いつか本当に殺されるよ?
もしそんなことになったら、私どうなるだろう?
なんであんなヤツと、出会ったんだろう。
野島くんが来るような会社じゃないのに。彼にはもっともっといい会社、たくさんあるのに。どうして私みたいなのが入るような会社に、同期として入ってきたの、アイツは。
しかも入社式で、隣の席で。野口と野島なんて。なんで、なんでなんで。
再び涙がボロボロ、止まらなくなった。野島くんが言ったように、過ぎていった時間は返ってこない。それでも巻き戻せるなら就活まで巻き戻したい。そうしたら絶対この会社に入社なんかしないんだ。
なんて、バカじゃないの。
終電のアナウンスが流れる。途方に暮れ立ち上がる。
明日も仕事なのに、こんな時間。それにこれじゃ目が腫れちゃう。憂鬱な気分になった。
最寄りの駅に着き改札を抜けた時、メッセージの着信があった。
野島くんからだった。
唇を噛む。
何を今さら…謝るくらいなら最初っからするなっつーの!
大きなため息をつき、返信せずにカバンにスマホをしまい歩き出した、その時。
向こうから駆け足でやってくるのは。
「野島くん…なんで…?」
「…」
らしくなく、青ざめた顔してる。
「ねぇ、さっき、言ったよね。野口の時間、もう奪わないって言ったよね。舌の根も乾かぬ内に何してんの? 私のことなんか放っておくべきでしょう!?」
「俺…」
「本当にやめて!私のこと好きでもないくせにやめて!つらいんだよ!野島くんのこと好きだからつらいんだよ!優しくされるとつらいの!わかる?わかんないよね?野島くんそういうひt…」
瞬間、熱い身体が私を包んだ。
「野島くん…」
「野口、ごめん。俺…」
熱でもあるの?っていうくらい、熱い身体だった。細くて、でもすごく力強くて、熱い。
「野口を傷付けたくなくて、わざと距離を置いてた。でもそのうち、自分でも距離感がわからなくなった。どうすればいいのか、わからなくなった」
「野島くん…」
「付き合えない。本気で好きになったら、多分ぶち壊してしまう。理不尽なんだよ俺。だから…」
「だから、本気で好きにならないように私とはそこそこ一緒の時間を楽しんで、他の女の人で欲求満たして…それでバランスでも取ってたつもり? 結局ね、野島くんは周りにいる人、みんな傷付けてるんだよ。今の野島くんがそのままでいる限り、野島くんの望む世界はあり得ないんだよ!」
身体が少し離れて、私と野島くんの間に出来た隙間に空気が流れ込む。夏なのに、やけにひんやり感じたのは何故?
見上げた野島くんは、身体の熱さと裏腹に青ざめたままで、苦痛に耐えるように歪んだ。
「俺は…」
「ね、野島くん。家族と向き合って。過去と向き合って。自分と向き合って。野島くんが一番無理して、自分のこと苦しめてる。逃げてばっかいたら、どんどん苦しみが大きくなって潰されちゃう。そうなる前に、ね?」
野島くんの目から涙が一粒、落ちた。私は自分が動揺するよりもむしろ、彼が可哀想に思えてならなかった。
だから今度は私から隙間を埋めにいった。
野島くんの、汗に混じった彼の匂い。
「私のこと、ぶち壊したっていいよ。だから私、野島くんがこれまでのことに向き合うの、手伝うから。野島くんが無理しないで生きていけるように、手伝うから」
野島くんから言葉はなかった。
けれど私の背に回した彼の腕に、少しだけ力がこもった。
終電の過ぎた駅前。改札にシャッターが降りた。
人通りはほとんどなく、どこかから気の早い虫の声が微かに聞こえてくる。
ぬるい風が頬を撫でるのがほんの少しだけ、心地良かった。
END