飯嶌、ブレイクスルーするってよ! #18 ~再アサイン
開発のテストをC1まで実施するように指示を出した。井上くんはドヤ顔だったが、山下さんも心なしかホッとした表情だった。
しかしこれによって開発のスケジュールがやや遅れるため、一部のテスターが手持ち無沙汰となる可能性が出る。
現在並行して移行チームがデータ移行の準備を行っているが、この移行データを一部の開発環境に入れて、画面上の確認を行うのはどうか、という案が出た。
「それはやっても仕方がないと思いますけど。いくら開発がほぼ完了しているとはいえ、カバレッジ中ですから開発環境は万全じゃないし、結局は移行検証で同じようなことやりますし。この段階で実施すると、バグでもないのにバグ扱いされる可能性があって混乱を招きます」
井上くんの言葉に「そりゃそうだ」と山下さん。
「あまり無理にあがいても墓穴掘りそうだからな。テストスケジュールをスライドして伸ばすしかないか。メンバーのリリースは避けたいから、そこで何をあてがうか、だな」
「移行チームもデータ量が膨大なので手こずってますけど、誰でもいいから人手があればいいってわけじゃないしなぁ…」
森田さんはデータ移行の統括をしていた。
商品コードの振り替えなどが発生しており、過去データと金額的にも整合性を合わせないといけないため、なかなか骨が折れると話していた。
「うまいことテストチームのメンバーを使うわけにはいかない…ですか」
「移行データの突合方法はどうなってるんだっけ?」
山下さんが森田さんに尋ねると、森田さんは
「単純にDiffる(2つのテキストの相違をチェックすること)と思いますけど」
と答えた。山下さんは腕を組んで眉間に皺を寄せて唸り、また訊いた。
「移行データは五月雨で作ってないのか?」
「もちろん五月雨というか、カテゴリに分けて作ってます。つまり移行可能な状態のものはあります。移行バッチの動かし方はパフォーマンス検証中です」
山下さんは皺を寄せた眉間を数回叩いてから、言った。
「テストチームの中には開発経験者もいるよな?」
「いますよ。オフショアのメンバーはもともとプログラマばかりだと思います」
「よし…C1テストの実施を手分けできないか相談してみるか。これはPMOと、前田さんにも了承を得ないといけないけどな」
というわけで僕はこの内容を野島次長に相談することになった。
* * * * * * * * * *
僕が自席に戻るといつものように次長の姿はなく、前田さんが午前中の作業に追われているところだった。
「前田さん、ちょっとフライングで相談があるのですが…」
本来は野島次長に承認を得ないといけないが、今いないのと、前田さんも最も近しい推進チームメンバーなので、まぁ良いだろうと考えた。
「何でしょうか?」
前田さんは忙しい手を止めて、モニタの間から顔を覗かせた。
「今朝会で話してきたんですけど、開発にテストの戻りが行ってるんです。カバレッジをC...1まで実施するようにと昨日野島次長から指示を受けて」
「はい、それは今朝次長から伺っています」
今朝、僕はシステム部に直行してしまったので、こっちの朝会には出られていなかった。
「それでですね、当然開発のスケジュールが押しちゃうんですけど…テストチームメンバーの手が空いちゃう可能性が出てきまして。聞くところによるとオフショアのメンバーはプログラマも多くいるとのことなので、C1テストをそちらで実施できないか、という話があがりまして」
「次長はそこまで話していませんでしたよ」
「あー、はい。今さっき案出しして、まだ承認前ですので。もちろんこれから次長に相談しますけど、もしOKとなったらオフショアメンバーなので、前田さんに通訳とか翻訳で間に入っていただくことになると思うんです…よね」
「まぁ、そうですね」
「…大丈夫でしょうか?」
前田さんは目線を左右に振ってちょっと考えた様子から、言った。
「大丈夫も何も、決定となったらやるだけです。早めに次長に相談した方がいいですね。それが効率がいいのかどうかの問題もあると思います」
「ですよね」
「次長は11時に一旦戻ると思いますが、メッセージを入れておいてください。チームとしては優先度は高いと思いますから。次長の優先度は次長が決めます。必要ならすぐこちらに来てくれると思います」
「わかりました」
僕はすぐに要件を短くまとめて野島次長にメッセージを送った。返事はすぐに来て、オフショアメンバーに軽く打診をしてみろ、とのことだった。
前田さんにそれを伝えると
「ではさっそく打診してみますね」
とすぐに動いてくれた。
僕は不在の野島次長の席を眺めて、昨夜のやり取りを思い出していた。
やり取りというか、次長の "告白" みたいなものだったと感じている。
何だか少し切ない。
次長がああいった苦しみを抱えているとは夢にも思わなかったから。
ご両親のこと。障がいを持った弟さんのこと。自身のこと。
確かに言いづらい話だ。
僕はそんなネタのかけらもない平々凡々な家庭で育ったから、共感は出来ない。
想像するだけ。
その想像が正しいのかはわからない。
昨夜の次長の目が、忘れられない。
あんなに遠い目をした人を見たことがない。
それほどの "重さ" があった。
「...飯嶌さん?」
ハッと我に返る。しばらく前田さんに呼びかけられていたようだ。
「あ、す、すいません。考え事してまして…」
「オフショアメンバー、C1テスト実施OKとのことです。開発担当も近くにいるらしいですから、全然お安い御用のようですよ」
僕は「良かったー」と胸を撫で下ろした。それを次長にメッセージで伝える。
するとやはりすぐに返事が来て「すぐに手を回せ」と指示をくれた。
僕は前田さんにGOサインを、他の推進チームのメンバーにも朝会の件はGOサインが出た旨を伝えた。
とはいえ、遅延は遅延だった。予算に影響を及ぼすのか、その場合は最小限に抑えるために、人員の検討がこの後行われることになっていた。
* * * * * * * * * *
結局、野島次長は11時半過ぎに席に戻ってきた。僕はすぐに駆け寄って報告した。
「あの後、一部のテストチームのメンバーに開発のテストをすぐに実施してもらっています」
野島次長は黙って頷き、机の上の資料を整理しながら言った。
「C1の結果、バグ改修もそこそこ発生するだろう。それに関してもそのメンバーがヘルプ出来るか、確認しておいてくれ。これは実質、テストチームを開発チームにアサインしているようなものになるな。俺からも後で先方に話しておくから」
「わかりました」
僕は再び昨夜のことを思い出し、何だかドキドキしていた。
じっと野島次長の顔を見つめてしまったので、次長は怪訝な顔をした。
「なんだ?」
「あ、いえ。なんでもありません…」
野島次長はしばらく厳しい表情で僕を見ていたが、やがてふっと笑みを浮かべた。
「アサイン交渉よろしく頼むぞ、優吾」
僕は名前を呼ばれた瞬間、カッと体が熱くなった。
「は、はい!」
嬉しくてニヤついて席に戻ると、前田さんが驚いた顔をしていた。
「ずいぶん次長と仲良くなったんですね」
「あ、は、はい~」
僕はデロデロにニヤついていたようだ。前田さんが少し呆れた顔をした。
「飯嶌さん、なんだか恋してる顔ですね」
「へっ? なっ、何言うんですか前田さん! そういう言い方やめてくださいよ~」
「何かあったんですか? 次長と」
「昨夜…、次長に飲みに誘われて、ちょっと行っただけです」
前田さんは鼻でため息を小さくついてつぶやくように言った。
「いいですね、男性は」
「え…?」
前田さんはすぐさまハッとした顔になり、
「何でもありません」
と言った。
やっぱりそうなんだろうな、と思う。前田さん、野島次長のこと好きなんだって。
でも僕は心に秘めると決めたんだ。
「前田さん、オフショアチーム内のアサインをちょっと流動的にしたいんです。テスターもバグ改修に当たれないかどうか、相談したいんです」
「わかりました。時間を調整して先方とWeb会議を開きましょう。飯嶌さんは私の隣に居て交渉してください。私がそれを通訳しますから」
「はい!」
2時間の時差のあるオフショア先と30分後にミーティングをすることになった。
昼休みは先延ばしになるけど仕方がない。
僕は自分でも意外なほど饒舌に交渉を行った。そもそもハードルの高い交渉ではないものの、後半は僕が拙い英語を使ってウケを取る、ということも成し得た(もちろんウケを狙ったわけではない)。
オフショアチームで完結できる開発・結合テストの内容を改めて確認してミーティングは終了。
昼休み中も戻ってこない次長にメッセージを送り、チームメンバーにもチャットで報告した。
前田さんは僕に「ランチ一緒に行きましょうか」と珍しく誘ってくれた。
「ぜひ!」
僕は多少なりとも高揚していた。
ランチに誘われたことではなく、プロジェクトメンバーとしてようやく仕事ができるようになってきたような気になったからだ。
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第19話へつづく