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【短編】とうめい な かべ

📚️シリーズ

🧑‍🤝‍🧑登場人物

野島遼太郎 主人公。中規模シンクタンク系コンサル会社に勤務。
      入社4年目の25歳。
野口純代  遼太郎の同期。25歳。

📝前日譚

間が空いたため、次回作へのスピンオフです。



確かに、私と野島くんはつき合っていた。
といっても、たった3ヶ月と少しの間、だ。

あの日、野島くんの部屋で朝を迎え、2人で部屋を出た。
ただ会社には別々で行く必要がある。いつも早く着いている野島くんに、先に電車に乗ってもらうことにした。

通勤時間で人の多い代々木上原駅のホーム。初冬の乾いた風がカサカサと頬を撫でていく。会社に行くのが馬鹿らしくなるほどの青空が屋根の向こうに広がっている。

互いにずっと言葉少なだったが、電車の接近を告げるアナウンスが流れると、ふいに野島くんが「つき合おう」と言った。真っ直ぐ、前を向いたまま。口元は引き締まっていた。冷たく乾いた風のせいだけではないだろう。

けじめを付けるために言ってくれたのだろうと思った。

夢にまで見た…いえ、絶対に手が届かないだろうと思っていた相手からつき合おうと言ってくれたにも関わらず、嬉しいという気持ちは湧き上がらなかった。ただ、「いいの?」と訊き返した。

「良くもないのに言うかよ、こんなこと」

今度は私を見て言った。やはり憮然とした表情のままだった。
私の返事を待つことなく、彼は来た電車に1人乗り込んだ。「あとで、連絡する」とだけ言って、彼を乗せた電車は都心方面へ吸い込まれていった。
後に残った私は、なおごった返す人の波に身体を揺さぶられていた。



12月に入ると年の瀬もあってか、野島くんは自分に与えられた中期的な目標達成のために寝食惜しんで働いていた。ほぼ毎日終電だったと思う。2人でゆっくり会うことなんて、ほとんど出来なかった。

やがてクリスマスが来た。

「店、どこか予約する?」と訊くと「任せる」と言われた。すぐに「言ってくれれば予約は俺がする」とも。彼なりに気を遣ってくれたが、忙しいのは承知している。「忙しんでしょ」と言うと「別にそれくらい」と言う。男性としてのメンツもあるかもしれない。彼はそういうところがある、割と古風な男の人だ。

結局普段使っている店に行くことになった。仕事の話もしたけれど、それでもやはり楽しいひと時だった。
帰りに彼の部屋に行き、朝まで一緒に過ごした。初めての夜からちょうどひと月あまり経っていることに気がついた。


次にやってきたお正月休み。
私は野島くんに「正月は故郷に帰って、実家の両親と話して来て」と散々忠告していたので彼は渋々帰ったが、休暇明けの機嫌はことさら悪かった。そして「もっと時間が必要だ」と言い多くを語らなかった。両親とは上手くいかなかったらしい。

野島くんの激務は続いていた。


バレンタインは「どうせあちこちからいっぱいもらってくるでしょ」と天邪鬼を働かせたが、本当は照れくさくてチョコレートなんて渡せなかった。激務のねぎらいも込めて栄養ドリンクのセットを贈ったら「色気も何もないな」とボヤかれた。「野口らしいけど」
ホワイトデーには一応・・お返しとしてダイエット食品をもらった。「色気どころか嫌味だね」と言い返した。「野島くんらしいわ、ほんと」

この "一応" というのは、3月の時点ではもう別れる話が出ていたからだ。
切り出したのは私の方。
「同期のままでいる方が、なんか気楽に話せる気がして」
それは本当のことだった。

近づいた分だけ、余計にさみしくなった。

時期も悪かった。
彼にはこの会社で成し遂げたい明確な目標があるから、その足掛かりが見えてきた時に、彼は猛烈にそのチャンスを摑もうとしていた。
きっと今後も彼は、自身の目標達成のために猪突猛進していくはずだ。
私はそんな野島くんの勢いには、きっとついていけない。

私は結局、普通の恋愛を望んでいた。休日に一緒に街に出かけカフェでお茶をするとか、セックスの時は優しい言葉をかけてかわいがって欲しいとか、私のことを見ていて欲しいなんて、そんなありきたりの恋愛がしたかったのだ。

でも彼は、そんなことはしない。この先もきっと。
そんな人じゃないと最初からわかっていたはずだった。


つき合ってる間に4回セックスをしたけれど、彼はいつも悲しげだった。官能的な表情ではなく、本当の ”苦悶“ のように思えた。

私たちの間にあった透明な壁は、むしろ厚みを増して立ちはだかった。


2月の終わりに私から「別れよう」と告げた。
野島くんは一応抵抗したけれど、私が黙り込むとあっさり了承した。

野島くんにとってだって、あくまでも “ケジメをつけるため“ につき合おうと言ってくれただけなのだし、例えどんな相手でも彼が未練がましくすがったりするのは全く想像もつかないことだった。

ところが彼は、意外なことを口にした。

「ただ、ひとつお願いがある」
「お願い? どんな?」
「4月まで、待って欲しい」
「4月? どうして?」
「お前、俺のトラウマ解消に協力するって言っただろ」

桜の時期まで、一緒にいてくれ、と言われた。
桜は、彼の心にずっと棲み続けるあの彼女と、直接結びついているのだという。

私はそれを了承した。



桜が満開を迎えた3月31日の夜。

桜並木の下を手を繋いで歩いた。特に何も話さなかった。繋いだ手が特に強かったわけでもない。
野島くんは私に『つき合おう』と言った朝と同じように、ただ真っ直ぐ前を見ていた。口元を引き締めたまま。

その後、野島くんの部屋に行って最後の夜を過ごした。
私の中にいる間、彼はずっと私の目の奥を覗き込むようにして離さなかった。今までは遠くを見るような目しかしていなかったのに。

ずっとそうしてくれていれば良かったのに。
彼女・・を追い出すために、もっと前向きに私を利用すべきだったのに。
それだけで私も束の間、幸せな気持ちを味わえたのに。

泣きたくなかったけれど、行為中に涙が滲み、両手で顔を覆った。
悲しみに追い打ちをかけるように、野島くんは私の髪を優しく撫でながらポツリと言った。

「ごめん」



4月1日の朝。
私たちは別れた。エイプリルフールではないからね、と念を押して。つき合い始めた時と同じ、代々木上原駅のホームで。



4月は新入社員が入ってきて忙殺され、さらに6月に大規模な組織変更があると噂されまた忙殺されて、気がつけばその組織変更で野島くんは同期の中で最も早く主任に昇格した。さすがに皆、呆気にとられた。

色んな噂も飛び交った。
いくら何でも早すぎだろ。どんな根回ししたんだ。あいつ社長に好かれてるからな、どう取り入ったんだろうな。いや、面白いんじゃないか、お手並み拝見だよ。今のうちにお近づきになっておこうよ、彼女いないみたいだし。

たった3ヶ月と少しの私たちの関係は、誰も気づいていなかった。



そして、その後の私たち。

不思議とただの同期(野島くんは昇格してしまったものの)に戻った今の方が、彼の心に触れられる気がしている。会話の内容が変わったわけでも、彼が変わったわけでもない。昇格という彼にとっての変化は、色んな意味での『心機一転』担っているのだろう、と思っていた。

一方で野島くんは、以前のように活発な女性関係・・・・・・・も再開したようだった。でもそれは桜の彼女とはあまり関係がないという。
"これまでは現実逃避もあったかもしれないが、結局自分は性欲が強いのだ" と笑う。
私の時は何だったのだろう、と思った。

そのことは突っ込まず「そんなに遊び相手、どうやって見つけてくるの?」と訊いたことがある。彼は「そういうSNSがある」と言った。お互い素性は一切明かさないのだという。

「何処の馬の骨かもわからない人とするってこと?」
「別にナンパだって変わらないだろ。面倒なプロセスを踏む手間が省けるんだし、むしろ行き当たりばったりでナンパするよりも事前に確認できることもあるし」

確かに以前彼は、女性と寝ることは握手を交わすことと対して変わらない、と話していた。挨拶代わり、というやつ。
男の人ってやっぱりそういうものなんだ。特に野島くんは行き過ぎているかもしれないが。性欲は発散するもの。そこに愛なんてなくてもいい。

そんなことを考えていると野島くんは言った。

「勘違いするなよ。俺の相手をする女だっているってことを。女だって欲求はある。後腐れなく、マンネリにも義務にもならない相手とできるスリリングを楽しんでる。だから見つかるんじゃないか。女はむしろ虚飾だらけだ」
「私、何も言ってないけど…」

図星ではあった。

「そういう顔してるからだよ」

とはいえ、女性側も相当なリスクをはらんでいる。素性のわからない男と寝る。何されるか、何が起こるかわからないのに。
けれど需要も供給もある。そうなのか…。

逆に、彼にとって愛のあるセックスは重過ぎる、ということだ。
いえ、全く愛がないわけではないだろうけれど、つまりその、相手の女性を本気で好きになることを、まだ恐れているのだ。
行きずりの女性を抱いて、彼にとってはその方が満たされる。

私では満たすことは出来なかった。それは私には荷が重すぎたし、野島くんも…。
もしかして野島くんにとっても、私は重かったのだろうか。


それにしても、彼はそういう出会いをした女性でも、苦しそうな、悲しそうな顔をして抱くのだろうか。
それとももう、吹っ切れているのだろうか。

それはもう、わからない。





END

※そう遠くないうちに連載を開始する予定です。またよろしくお願いいたします。

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