Bitter Cold -7.まよなかのむこう
それからいつものように街を歩きながら、普段は行かないようなゲームセンターや夜遅い映画館で映画を観たりした。
それは悲しい事に、今までで一番楽しいひとときだったように思う。
映画館を出るともう24時近かった。
冷たい風が顔に吹き付ける。
私の頬は紅潮していた。
別れの前兆という言い方は正しくないかもしれないが、それに近いものが私を興奮させていた。
車に乗り込んでドアを閉めた時、彼が言った。
「遅い時間なのに元気だね。初めての夜更かしに興奮してるの?」
私はうん、と頷いておいた。
「空港の近くにね、公園があるの。そこから朝陽を見ようね。夜明けの一番の飛行機を間近で見てやるの。良いと思わない?」
「お前は好きなものがたくさんあるね」
彼の穏やかな笑顔に心が溶けそうになるのを、必死でこらえた。
「いいけど、それまでどうしてるの?」
「走ろうよ。ドライブ」
無茶なお願いだという事はわかっていた。彼はきっと眠かったに違いない。でも彼はギアをドライブに入れて ”じゃあさっそく行くか” と車を走らせた。
シャッターが下りてしんとしている街を走り抜ける。
助手席で私はしばらく大人しくしていた。
私と彼との微妙な関係が夜明けと共に終わる。
空いている湾岸道路。
時速100kmの真夜中のスピードドライブ。
悲しみがチクリと私を刺す。
彼の横顔をそっと見ると、軽く唇を噛みしめていた。
彼はもう ”麻美子さん” のもの。
私は深呼吸を1つした。
それが合図のように、見えてきた出口で高速を降りる。
川を超えて真っ直ぐ進むと、人の通らない道になる。
埠頭の先に停め、車を降りて大きく伸びをした。
「いいロケーションだね」
「外に出たら風邪引くよ」
「いいのよ」
そう答えたけれど、 彼は車から出ては来なかった。
私は構わず歩き回った。
刺すように冷たい風が容赦なく吹きつける。
寒くないわけじゃない。 今は冬。
私がじっと水平線を睨んでいると、彼は車から降りて私の方へ近寄ってきた。
そして自分の着ていたコートを脱ぐと、頭から私にかけた。
「え、いいよ」
だけど彼は黙ったまま、すぐに戻っていった。
裾が長くて私には大きすぎるコート。
彼の匂いが染みついていて、泣きたくなった。
泣いたら楽になるのだろうか。
でも泣いた後に、何が残るというのか。
私は車へ戻った。
ドアを開けるととても暖かく、彼は少し疲れた顔をしてシートを倒していた。
「コート、ありがとう」
そう言って返すと、彼は素早く私の手首を掴んで引っ張った。
「だめ」
キスをしようとする彼を上目遣いに睨んで言った。
彼はあきらめたように微笑んで離してくれたけど、シートを起こしてすぐにアクセルを踏み込んで発車させた。
「どこへ行くの?」
「寒くない所だよ。嫌だよ、俺。夜明けまで外にいるなんて。夏ならまだしも、今は真冬なんだからさ」
「寒くない所ってどこ?」
「ホテルでも行く?」
冗談ぽく彼は言う。
でも半分冗談でも何でも、私の全身は震えてしまうのだった。
「あったまるよ」
「でも…」
私はうつむいた。その後、いつものように優しい声で言う。
「冗談だよ」
少し寂しそうに言ったのは気のせい?
すぐに彼は気を取り直したように言う。
「腹、減ってない?」
「そうね。 ファミレスしかやってないけど、行こうか」
何だか逃げ道のような気がした。彼には酷だったかもしれない。
でも、そうするしかなかった。
深夜のファミリーレストランは意外にも人が多かった。
隅の席に腰を下ろし、私はメニューをのぞき込んで、何にしようか考えていた。
はっきりいってお腹は空いていない。
彼はまるで興味無さそうに、おしぼりを投げるように置くと深いため息をついた。
「何にするの?」
「何でもいいよ」
投げやりにそう言うと彼はテーブルに突っ伏した。かなり眠そうだった。
「やっぱり眠いよね」
「いや」
少し不機嫌そうな顔で彼は上半身を起こした。
適当に注文した料理が湯気を立てて目の前に並べられる。
パスタ、スープにサラダ、肉、魚。
こんなに食べられるのっていうくらい。
私は無理して食べた。
そして会話が途切る事を恐れていた。
どんなに下らない話でも絶え間なく私は話しつづけた。
途切れた瞬間にもし彼と目が合ったら…。
ぎりぎりの崖に立っている私の心をとどめる自信がなくなる。
彼は眠そうにただ頷くだけだった。
それでも私は無心に話し続けた。
おおそよ半分ほど料理は残ったけれど、私たちは店を出た。
午前3時半過ぎ。
「夜明けまで2時間半はあるよなぁ」
ギアをドライブにいれながら彼は呟く。
車に乗ってしまうと、私は途端に何も言えなくなる。
とりあえずは何かを無理に話さなくても、彼は前しか見てないから良かった。
「空港の近くまでまでこのまま行くから、そこで少し休ませて」
彼は言った。私は黙って頷いた。
湾岸通りに車の通りはほとんどなく、80km近いスピードで走り抜ける。
時折、タイヤがきしむ。
助手席側から見える外の景色は、空と水平線が溶け込んで真っ黒に広がっている海だった。
まるでブラックホールが獲物を待っているかのように鎮座していた。
ちょうど海が見える位置に車を止め、彼はシートを倒した。
「外へ出るんだったらコート持っていっていいよ」
私は彼の背からコートをひっぱると外へ出た。
冷たい空気も、頭から被ったコートで遮られる。
私は堤防まで歩み寄り、水平線を眺めた。
あの闇の向こうに、何があるのだろう?
静かな闇夜に、アイドリングの音が低く響く。
そして静かに、波の音が聞こえる。
私は車へ戻った。
コートを眠っている彼にかけようとすると、私を見た。
「寝てたんじゃなかったの?」
「眠いんだけど、頭のどこかが妙に冴えてて熟睡出来ないんだ」
鼓動が段々高くなってくる。
切なくて身を切られそうなくらい。
すると彼は私の右腕を引っ張り、自分の方へ抱き寄せた。
私の右耳は、彼の鼓動をしっかりと捉えている。
驚いた事に、私のそれと重なった。
彼ははっきりと言い放った。
「お前、俺から離れようとしているだろ」
つづく
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