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【連載小説】明日なき暴走の果てに 第2章 #3

翌朝、正宗は言葉とは裏腹にグランヴィア京都ホテルのロビーまで出て来ていた。

グレーのVネックTシャツにジーンズ、黒いメッセンジャーバックと、本当に学生と出立ちが変わらない。

「よぉ、よぅ眠れたか。グランヴィアのベッドはさぞ快適やろ」

そう言う正宗もサッパリとして快適そうである。

「お陰様でな」
「よし、ほな行こか。今日もよう晴れとるなぁ。あっつ暑ぅなるで」

正宗は空を見上げてからカバンから1枚のチケットを取り出し遼太郎に手渡した。京都市内1日乗り放題の交通チケットだった。

「あ、金払うよ」

正宗はそれを手で制し

「えぇて。昨日お前に客人を迎える態度やない言われてもうたしな。カチンときたからこれくらいさせてもらうわ」

相変わらず言葉とは裏腹に爽やかな笑顔でそう言った。

「悪いな。ありがとう」

正宗は颯爽とバス乗り場へ向かった。

「まずは思い出の場所や」

バスは京都駅からそう離れていない『三十三間堂』で停まった。

「確かに。懐かしいな」

バスを降りて拝観料を払い(これも正宗が払った)、長い堂の中に入る。
ややひんやりとした空気に少しホッとする。

自分か、知り合いの顔に出会うとも言われている1001体もの仏像。声もなく整然と並ぶ姿は圧巻であると共に、その微妙な表情の違いからユーモラスを感じたりもする。

お堂の外は『通し矢』の際に矢場にもなった庭。
ここで二十歳の時、遼太郎は遠的を打った。

「俺はっきり覚えとるんや。お前ピカイチで光っとったからな。期待通り決勝まで進んでくれたしな」
「でも負けただろ」
「えぇんや、あそこまで行ったら優勝なんかせぇへんでも」
「お前…大学の弓道部の見学に来たろ。結局入らなかったけど。どうして弓道部見に来たんだ?」
「色んなとこ見に行ったんよ、ほんまに。たまたまやし」
「入りもしない弓道部の俺に…どうして声をかけて来たんだ?」
「なんや今さら。や、お前ほんまにかっこ良かったからな。なんやこいつ思うたんや」
「本当にそういう理由なのか?」

正宗は目を細めて矢場を見、ふっと微笑むと言った。

「なんやろな。"勘" なんかな。同じ匂いがしたいう」
「同じ匂い…」
「地方出身、長男、弟の問題、勘当同然…。ようここまで気ぃ合うな言うほど合ったやろ?」
「まぁな…。でもそんなこと、話してみないことにはわからないだろう? お前、熱心に俺に話しかけてきて…最初はなんだコイツくらいしか思わなかったけど…」
「だからそれは "匂い" と "勘" やな。お前なんか問題抱えてそうな目ぇしとったからな」

遼太郎は苦笑いした。どんな目をしていたというのか。
しかしそれは鋭い物見だった。まさに "嗅ぎ取られた" と言っていい。

「よーし、大人の修学旅行や。次は清水きよみず行こか」

取り直すようにいつもの笑顔を浮かべて正宗は歩き出し、遼太郎も後に続いた。

* * *

清水寺は三十三間堂からほど近い場所にあるが、1日乗り放題券のためにわざわざバスに乗った。

ずらりと並ぶ土産物屋を冷やかしながら参道を歩き、清水の舞台に上がり2人で写真を撮った。
裏手にある縁結びの神様で知られる地主神社では、遼太郎にそそのかされ正宗がおみくじを引くと、小吉だった。微妙すぎやな、と大笑いした。

そこから産寧坂、二寧坂、一寧坂と下り、高台寺へ出た。更に歩いて八坂神社まで出た。

「もうあっちは四条で、人もぎょうさんおるし大変や。別のとこ行こか」

正宗の案内で再びバスに乗り、南禅寺へ出た。そこで昼食に湯豆腐を食べることにした。

「俺も南禅寺で湯豆腐食べるの、初めてなんや」

そう言ってコースの豆腐田楽を旨そうに頬張った。

野菜の天麩羅は天つゆも付いてきたが「塩でもお召し上がりください」と言われたのでその通りにしたら、パリパリサクサクのまま素材の旨さが染み渡った。焚合せもシンプルながら絶品だった。
湯豆腐は特製のタレも置いてあったが、塩でも十分に美味かった。

昨日正宗の部屋でも豆腐を出してくれた時も、塩で食べた。京都は何でも塩だけでいいんだな、と遼太郎は思った。

「豆腐、旨いな。東京では味噌汁に入ってるか中華料理屋で麻婆豆腐として食べるか…くらいしかないからな」
「味噌汁や麻婆なんて旨い豆腐でなくったって味わからへんもんな? あと野菜な。めっちゃ旨いやろ? 京都の醍醐味、味わってもろて嬉しいわ」

正宗は満足そうだった。
この男は京都を、自分が生まれ育った街を心から愛しているのだなと思った。

そんな正宗を遼太郎は羨ましく思った。

"人はないものねだりやから" 

正宗がよく言った言葉は遼太郎にとっても同じだった。

自分には故郷を愛する心がない。

子供たちを自分の実家に連れて帰ることもほとんどしていない。
自分がしてやらないと子供たちには『田舎のおじいちゃん・おばあちゃん』を認識させることは出来ないというのに。
夏休みの田舎の思い出も、親が提供してやらなければ、子供たち自らではまだ作れないというのに。

* * *

昼飯を食べ終わると正宗は「近くに動物園があるけど行くか」と誘ったがそれは断り、バスで京都御所まで出た。

そこで少し腹ごなしに緑多い広大な御所の砂利を踏みしめながら横切り、またバスに乗って京都ではちょっと有名な『船岡温泉』に向かった。
銭湯である。

唐破風造の建物、石の門構えにしっかりと『船岡温泉』の文字がある。

「ここ聞いたことあるぞ、建物がすごいんだよな?」
「有名になってしもうたから観光客もぎょうさん来るようになってしもうたけど、建物や内装は見応えあるで」

『御殿方』の暖簾をくぐると、色彩豊かなマジョリカタイルがまず目に付く。
すぐに番台から「おいでやす」と澄んだ声がかかった。

脱衣場に入るとケヤキの格天井に配された天狗と牛若丸の色鮮やかな彫刻、そして脱衣場をグルッと囲むようにある欄干の透かし彫りに圧倒され、目を奪われた。
風呂に入りに来たことを忘れて見入ってしまいそうだった。

黄色い籠に服を脱いでいると、側の椅子に座っていた地元の人と思しき年配の男性が透かし彫りについて説明してくれた。

「この透かし彫りは京都三大祭りの一つの葵祭、上賀茂神社の賀茂競馬、今宮神社の祭り、あっこは上海事変のこと掘られてるんや。後で近寄うてよぅく見てみなはれ。かわいいワンコとかよう彫られとるで」

感心しながら礼を言うと、男性もうちわで扇ぎながらニコニコと「おぉきにな」と言った。

服を脱ぐ際、装飾に見惚れていた遼太郎は自分の左肩にある傷のことをすっかり忘れていたので、案の定正宗がそれに気づいた。

「遼太郎、その傷…どしたん? 結構エグいな。最近できたっぽいな?」

慌てて右手で隠しながら遼太郎は答える。

「ちょっと…事故で」
「事故…? ちょっと見せてみぃ。…こんなん、ちょっと間違うたら大動脈か心臓いってたやろ? 何の事故やったん? 」
「本当に大したことじゃないんだ」
「まさか…ほんまに女の逆恨みちゃうやろな!?」

遼太郎は慌てて否定する。

「さすがに違うよ」
「俺、お前いつか女にやられるってマジで思うとったんやで」
「だから本当に違うって」

正宗は訝しい顔をした。

「遼太郎がなんか隠し事してる時は、全然えぇことあらへんからな」
「隠してなんかしてないよ。さすがに俺も学生の頃とは違うぞ」

嘘だ。
変わってなんかいない。俺は…クズのままだ。

嘘の下手な遼太郎が作り笑いを浮かべると、正宗もため息をついて「まぁ話しとうない言うならえぇけど」と諦めた。

話したくないわけではない。
簡単に話せる事情で出来た傷ではない。
だってこれは…あの『彼女』が産んだ自分の息子と揉み合って出来た傷なのだから。

なんて浅はかな男なんだ俺は。遼太郎は思う。

昔から言うように、正宗が尊敬するに値しない男だとわかっているのに、正宗の思いは嬉しくて仕方がない。

正宗が急に遼太郎を京都に呼び寄せた理由はまだわからない。

けれど誘われて遼太郎は、熱心に自分を慕ってくれたかつての友に会えることを心から嬉しく思い、半ば無理やり都合を付けて京都まで出てきたのだった。

すぐに気を取り直した正宗はタオルを引っ掛けて「ほな行こか」といつもの調子で言った。





第2章#4 へつづく

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