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【短編】カーニバル・前編

「京都?」
「うん、子供たちを連れて行きたいと思って」

ドイツに来て2年が過ぎ、家族のビザの関係もあって一度帰国する事にした。
もちろん領事館に行けばわざわざ帰国する必要もないのだが、ちょうど8月。バカンスの時期。

そして、正宗の七周忌だった。

『お前グローバルに活躍してるようやけどな。日本のいいとこも忘れたらアカンで』

娘の梨沙は間もなく8歳、息子の蓮も6歳になった。悪くないタイミングだと思った。

『子供たちに京都見せてやり』

正宗の言葉が事あるごとに去来していた。

妻の夏希はしばらくしてハッと息を呑む。

「京都って…そういえば…」
「うん。子供たち連れて墓参りに行きたいんだ。アイツ、会いたがってたから…七回忌だし」

夏希は真面目な顔になり「わかった。行きましょう」と言った。

* * *

東京駅から新幹線に乗る時、蓮は興奮していた。ドイツでも列車の旅は彼が一番楽しんでいる。さすが男の子だ。
梨沙はいつも俺のそばから離れようとしない。小さい頃からずっとそう。母親に甘えようとせず、俺にばかりまとわりついてくる。みんなの前では口数も少ない。
進行方向の窓際の席は常に梨沙の指定席で譲らない。車に乗る時も助手席を譲らない。蓮がまだ小さいから後部座席で夏希と乗る分には却って都合がいいのだが。
様々なものを巡って姉弟で喧嘩をするが、姉には敵わない。蓮もそこまで執着はせず、若干ふてくされながらも、最終的には大人しく姉に譲る。

「ほら、あれが富士山よ」
「へぇ~、きれいな形してる!」

夏希が指をさすと、蓮も興奮したように窓に張り付いて眺めている。
梨沙は俺の隣で目を見開き、富士山を眺めているが、こちらは黙ったまま。けれど彼女もかなり興奮しているのはわかる。

夏の日差しが周囲の山々を蒼く染め、山の合間からは夏雲が湧き上がっていた。

数年前の同じ時期。
突然、大学時代の友人だった正宗が連絡を寄越してきた。ほとんど卒業以来だ。在学中はほぼずっとつるんでいたにも関わらず、卒業後俺は就職、正宗が院に進んだため、なかなか会う機会がなかった。
そうして院を出た後は地元の京都に帰ったと聞き、俺もその頃は早く昇進したいがために相当無茶をしていた時期だったから、必然と疎遠になっていった。

よくぞ連絡先を残したままだったなと思う。
いきなり『京都に遊びに来い』と呼ばれ、7月の連休に2泊3日で会いに行けば、互いに老け込んではいたが正宗の無鉄砲ながらも芯から滲み出る優しさに、すぐに時が戻った。

同時に互いが離れていた時間は、それなりに人生の重荷を背負ってきた時間でもあった。互いに匂わせながらもハッキリとは吐露しないまま、3日間は過ぎた。

それからひと月もせず、正宗は自らこの世を去った。
今日もカバンの中に正宗が寄越した遺書をしのばせてある。


名古屋を出た辺りで蓮はうたた寝し始める。梨沙は相変わらず大人しいままだが、

「梨沙は眠くないのか? 珍しく朝早かっただろ?」

と尋ねると首を振って「平気」と小さく答える。音や光に敏感で寝付きの悪い梨沙は朝が弱かったが、今朝は旅行の興奮のためなのか、早くに目を醒ましていた。にも関わらず、だ。

「京都、よく考えたら私もすごく久しぶり。会社の同期と2年目か3年目の時に行って以来な気がするわ」

夏希もウキウキとした顔して言った。彼女は元々俺の部下だった。

「俺も知ってる人かな」
「平松さんとか…山口さん」
「…知らないな」
「経理と法人営業部にいたし、山口さんは結構すぐ辞めちゃったのよね」
「そうか」

俺がどこか心ここにあらずなのを察したのか、夏希は笑顔をひそめた。

「向こうに着いたら、すぐにお墓参りに?」
「そうだな、先に昼飯かな。時間的にも」
「ご実家には寄るの?」
「いや、寄らない」
「…別行動したいとか、ある?」

妻の顔を見る。

「もし一人になりたい時があったら遠慮なく言ってね。子供たち連れて…確か動物園があったわよね、京都。いくらでも時間潰せると思うから」

すまない、と言おうと思ったが、梨沙がギュッとしがみつき、睨みあげてきた。
私はパパを一人にさせないから、とでも言いたげだ。

* * *

新幹線を降りて感じる熱気。京都に来たな、と感じる。
宿泊はあの時泊まったホテルとは別の場所にした。駅の側で、朝食がすごくいいみたい、と夏希が見つけてきたホテルだ。

部屋に入り荷物を置くと、蓮はさっそくベッドにダイビングして遊びだす。

「ぐしゃぐしゃにしないでよ」

梨沙が咎める。それでも蓮は構わずベッドの上で転がり回りながら言った。

「僕、お腹も空いたよ。早くご飯行こうよ」
「無駄に動くからでしょ」

梨沙はいちいち突っかかる。しかし確かに昼時ではあった。

「そうだな。すぐ飯に行くか」

その言葉に蓮が跳ね起きた。

「京都って何が有名なの?」

そう尋ねられると、なんと答えたら良いのか、子供向けには。助け舟を求めるべく夏希を見やると「湯葉とか…鱧とか…湯豆腐…おばんざい…」と
普通の答えが返ってきた。

好き嫌いが多いのは梨沙だが「豆腐は梨沙も大丈夫だな」と訊くと黙って頷いた。

というわけで適当な店で豆腐料理を取ることにした。

* * *

食事が終わり、京阪線に乗って伏見方面へ向かう。
正宗は先祖と共に生まれた地で眠っている。

伏見の酒造の長男だった正宗は出生に少々曰くがあり、家を追い出された経緯がある。そのため危うく無縁仏になるところだった。
けれど俺は正宗がずっと家に帰りたがっていたことを知ったため、実家まで行き頭を下げて遺骨を引き取って欲しいと頼み込んだ。結婚もせず、帰るあてがなく彷徨い続けた人生、最期くらいは還りたがった場所に戻してほしいと。

その後しばらくして、会社の携帯に連絡が入った。名刺を渡しておいたのだ。電話の主はおそらく正宗のすぐ下の弟と思われた。

『兄さんはうちの墓に収まることになりました』

職場だったが何度も頭を下げ、礼を言った。

* * *

駅を降りると目の前には広大な理化学工場があり、道を挟んで広い公園がある。その間の道を南下する。
川沿いに墓地はあった。入口で線香と花束を買い中を進むと、中程のところに柳田家の墓標がある。俺自身は二度目の墓参りだ。ドイツに渡る前に一人で来たことがある。

既に花が手向けられている。先祖代々の墓だろうから、もちろん正宗のためだけとは言わないだろうが。
墓石に刻まれた正宗の戒名は『居士』である。最初に見た時は思わず鼻で笑ってしまった。あれだけ拒んでいた割には立派なもんだな…と。

とはいえ、正宗にとっては実の親父・・・・と同じ墓に入っている。アイツにとっては悪いことじゃない。
先祖と同じ墓に入るなんて俺は絶対にごめんだけどな、と思う。正宗の墓の前でそんなことを考えると、またアイツに怒られそうだけど。

梨沙がギュッとしがみついてきた。
子供たちは夏希の両親の墓参りを1~2度訪れているが、返ってそれくらいしかない。慣れない場所に異様さを感じているのかもしれない。特に梨沙は様々なことに敏感だ。

線香の束を4人で分け、それぞれ手向ける。梨沙は煙を嫌がったが、大人しく手向けた。

「梨沙、蓮。パパの友達だよ」

蓮は目を静かに瞑り、大人しく手を合わせた。梨沙はしばらくじっと墓標を見つめていたが、やがて同じように手を合わせた。

「正宗、連れてきたよ。俺の家族だ」

石は冷たく鎮座しているが、正宗が『やっと来たか、遅いわ~。俺もう待ちくたびれてしもうたわ』と笑う様子が容易に想像できた。

「パパの友達はおじいちゃんだったの?」

蓮が訊く。

「いや。俺と同い年だよ」
「そうなの? どうして死んじゃったの?」

その問いに夏希が蓮を制しようとしたが、構わず答えた。

「寂しすぎて、つらくなったんだよ」
「寂しすぎて? うさぎみたい」
「うん、まぁ、そんな感じだな」
「かわいそうに」

かわいそう…まぁ、そうかもしれないが。
いつ光を失うかもしれない恐怖は、身近だと思っている。

梨沙は再び俺の身体にしがみつき、じっと墓標を見つめている。

「梨沙、どうした?」

怖がっているのかと思い顔を覗き込んでみると、珍しそうに大きく目を見開いて黙っている。

* * *

墓地を出て、散策でもするかと川辺へ出てみたが、どうもこの辺りは工場が多く景観があまり京都らしくなかった。
夏希が「せっかくだから伏見稲荷に行ってみたい」というので、そこを後にした。流石に時間帯と子供たちの手前、酒蔵に行こうとは言えなかったか。

電車で伏見稲荷駅に出ると、正宗と最後の晩餐・・・・・
した蕎麦屋が目に入った。瞬時胸を締め付け、俺は目を逸らした。

千本鳥居には流石に蓮も、梨沙でさえも圧倒されたようだった。
外拝殿から奥宮まで進み、さらに奥まで行ってみた。梨沙は怖がるどころか意外にも興味深そうだった。

「本当に見事ね。TVでしか見たことなかったから、すごい」
「実際は1万本くらいあるらしいよ、鳥居」

この薀蓄は正宗が教えてくれた気がする。
家族を連れて来たぞ、京都に。





後編へつづく


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