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【連載小説】鳩のすむ家 #6 〜"Guilty"シリーズ

〜由珠子


居間で鳩が鳴く。4回…5回…6回…。

間もなく20時になる。少しでもソワソワすれば祖母の一撃を腿に受けてしまう。

私は祖母の和室で正座をし、祖母が用意した山積みの問題集を毎晩解かされていた。学校から帰ると毎日毎日、曜日感覚がわからなくなるほど、毎日繰り返した。
正直、祖母が目の前で睨みを利かせられていては、頭になんて入ってこない。無駄だ。

「はい、20時。晩ごはんを15分で済ませたらお風呂に入り、支度をして21時には就寝すること」

祖母の指示が飛ぶ。まるで囚人だ。いえ、囚人そのものだ。
アルカトラズで鳴く鳩。お腹が空いたと鳴くわけでもなく、仲間を求めるわけでもなく、ただ無機質に鳴き、黒い家に閉じ籠もる。

父も母も物音立てること無く自室に籠もっている。

そう、独房なのだ。そして鳩と一緒なのだ。

弓道を習ったら、無になれる瞬間を習得出来たら…。そう思ったけれど、まだまだ道半ばだった。
せっかく的まで届くようになったのに。
あれ以来、弓に触れてもいない。

「明日、確認テストをします。合格点が取れたらお稽古を再開してもよし」
「クラブも行っていいのですか」
「…まぁ構いません。けれど学校のクラブ活動にあんなに遅い時間まで費やすことないだろう。もう少し早く上がりなさい。20時までには家に帰ること」
「それでは練習時間がほとんど取れません。講師の方の都合で、19時から本格的な練習が始まるのです」
「そこまでしてやらなくともいいじゃないか。大学生との接点ができれば良いんだろう? 別に選手になるわけでもないし。クラブの復帰は良いけれど、学力が落ちないか、毎週確認テストはして行きます。少しでも下がったら退部」

痺れる脚をさすって立ち上がり、リビングのテーブルに着く。すっかり冷めた焼魚、卵焼き、漬物の皿がぽつんと置かれている。

仮に退部したからといって、ここまでして勉強することの方が何の意味もない。ここまで時間をかけては受験勉強並ではないか。併設学校に入れた意味とは。ただのステータス?

どうして私はこんな目にあわなければならないのだろう。クラスメイトたちは皆んな毎日活き活きしていて楽しそうなのに。
どうして私だけが、こんな目に。

こんな今を過ごすため私が生まれてきたのだとしたら、私じゃなくても良かった。

同じ独房なら、無機質な鳩の方がマシだった。



翌週。ほぼ1ヶ月ぶりに習い事に復帰した。もう10月に入っていた。
弓道の練習は、門限が20時となると経験者の立ちを見学することが出来なくなる。

「そう…20時に戻るって、基礎練習だけやって終わっちゃう感じね…」

石澤さんにも、おかしいと思われているだろう。高校生とはいえ、こんなに門限に縛られながら通おうとしていることに。

そして、この人にもー。

「おぅ、福永。もう辞めたのかと思ったよ」
「…ご無沙汰しています」
「俺が教えたことに何か問題でもあったか?」
「そんなことはありません。ですがせっかく野島さんに教えていただいたのに、あれから全く弓を引いていません。身体が元に戻ってしまったと思います」
「まぁそうだろうな。でも少しやれば感覚戻せるだろ。最後の立ちの時間も良かったら教えてやるよ」
「いえ…20時までに家に帰らなければなりませんので…」
「はぁ? 門限1時間も繰り上がったのか? お前何やらかしたんだ?」
「成績が…下がってしまいましたので…」
「成績? 進学できないくらいか?」
「いえ…少しです。苦手科目の…数学の点数が少し…」

野島さんは心底呆れたような顔をした。無理もない。

「それでずっと練習にも来れなかったってことか?」
「はい」
「時代遅れの厳しさだな、お前の家」

御名答。

「で、成績は取り戻したから出てきたわけ?」
「取り戻したと言いますか、毎日家でテストをするのですが、その点数により、です」

野島さんは白目をむく勢いで驚いていた。けれどすぐに神妙な顔をした。

「…どうかされましたか。私、何かおかしな事を言ってしまいましたか」
「いや…まぁ、おかしいっちゃおかしいけど…」

それでも何か言いたげではあったが、やがて練習生の輪の中に行ってしまった。

素引きと、的前で矢を打つ練習を2~3本行っただけでもう19:40だ。身支度して、走って帰ってギリギリくらいだ。
時計を恨めしそうに見上げていたせいか、石澤さんが心配そうに近づいてきた。

「由珠ちゃん、時間大丈夫?」
「はい、そろそろ上がります…」

大将先生は「もう上がるのか」と驚いていたが「すみません」と頭を下げて道場を後にした。

それでも続ける意味。
あの家以外の場所に身を置くこと。あの家が望まないような人たちと触れ合うこと。
これは私のレジスタンス、だ。



その夜。
鳩が2回鳴いたのに目を醒ました。その時、頭の中に、あの人・・・の余韻があった。

“野島さん…”

夢に出て来ていたのだろう。けれど内容はさっぱり思い出せない。
ただ彼の余韻が、確かに残っていた。悪い余韻ではなかった。だからこそ余計に、何があったのだろうと思う。

どうしてだろう。
あんな人、好きでも何でもないのに。
夢の中で、何をしていたのだろう。

ただ、その事を考えていたらいつの間にか深い眠りに落ちていて、6:30のアラームで目を覚ますまで、久しぶりにぐっすり眠ることが出来た。



弓道の稽古は、早く帰らなければならない私に配慮してくれ、優先的に的前に立たせてもらった。弓は9kgに上がり、的に中ることもあった。

「いい感じじゃない、由珠ちゃん」
「さすが "やらせてください" と直訴してきただけあって、上達が速いな。結構結構」

大将先生も褒めてくれた。嬉しい。無になれることがわかってきた。嬉しい。ちらりと野島さんの方を見るが、彼は自分が担当する練習生に熱心に指導しているから、私の方なんて見たりしない。
野島さんの事は、やはり苦手だ。言葉遣いも怖い。私を見る目も時折、怖い。見透かされているみたいで、怖い。


的前に立ち、弓を引く。的をじっと見据える。
的の中心の黒丸をただただ見ていると、何にもなくなる瞬間がある。
身体の内側から「今だ」と何かが弾ける、その瞬間に矢を放つ。
ほとんどが上手く中らないが、たまに "ぼすっ" と少々抜けた音を立てて的に中る。
上手な野島さんのような、快活な音は鳴らないけれど。
それでも、楽しい。
楽しかった。



ようやく順調に日々が過ぎて行くかと思いきや、突然にそれは途切れた。11月のことだった。

どうにかこうにか通い続けた弓道教室のことが、ついに知られてしまったのだ。
あろうことか祖母が学校に連絡したのだ。弓道部は何故そんなに遅くまで活動しているのか、と。
よく考えれば確認魔である祖母のこと。山科家には怖気づいても、相手が学校であればどうってことはない。

「由珠子!」

学校から戻るとものすごい剣幕で怒鳴りつけられた。すぐに和室で正座させられる。父は帰宅前、母は独房・・

「学校のクラブ活動で遅くなっていたというのは嘘じゃないか!」
「嘘なんかじゃありません…」
「問い合わせたよ。そうしたら福永由珠子は確かに弓道部に在籍しているけれども、一度も練習に顔を出したことはないと言うじゃないか! 水曜の夜、どこで何をしていたんだい!?」
「弓道の練習に行っていたのは本当です。区のスポーツセンターで…」
「そんなところで!? どうして学校のクラブ活動だなんて嘘をついた?」
「そうでも言わないと、やらせてもらえないだろうと…」

その時、祖母の平手が飛んできた。私の身体は右に倒れ込む。
すかざす祖母はいつもの竹定規を手にすると、私の脚、背中、腕を容赦なく叩き出した。普段は尻なのに。

ばしっ。

「痛いっ!」
「おだまり! 痛いなんて声を上げる資格はあんたにない! 嘘をつくなんて最低の人間のすることだよ! しかも区のスポーツセンターなんて、どんな輩がいるかわかったもんじゃない! どうしてわざわざ学校のクラブに入っておきながらそんなところに行っていた!?…さてはそこで男に色目でも使っていたな!? 汚らわしい! あぁ汚らわしい! 虫酸が走る!!」

全く、一体どういう頭の回路だったらそんな考えになるのだろう。本当に男に色目を使うのだったら、どうして弓道教室なんて選ぶか。

どうして。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして?
頭おかしいんじゃない?

頭の中でぐるぐる巡る。祖母の竹定規が機械仕掛けのように規則正しく振り下ろされる。

ばしっ。
ばしっ。

ぽっぽー。

居間の鳩も調子を合わせ出した。

ばしっ。
ぽっぽー。
ばしっ。
ぽっぽー。
ばしっ。
ぽっぽー。
ばしっ。
ぽっぽー。
ばしっ。
ぽっぽー。
ばしっ。
ぽっぽー。


ぽっぽー。


ばしっ。
ばしっ。
ばしっ。



母は独房から出てこない。鳩しか出てこない。
出てこられるわけがないか。独房だから。




狂ってる。
何もかも。


鳩がうるさいと子供の頃あんなに訴えたのに昼も夜も夜中も容赦なく鳴いてそのうち慣れるとか言いながら私の泣き声はうるさい黙りなさいはしたないですって?


私は鳩以下。
そうか狂っているのは私か。

もういい。
鳩を止めないのなら私が出ていく。私はあんなに律儀に黒い家なんかに戻らない。

絶対に戻らない。
何故なら狂っているから。
機械なんかじゃないから。



走った。
夜道をひたすら走った。

上着も財布も何も持たずに飛び出した。11月の夜はもう冷たい。走れば寒くなんかないと、ひたすら走った。玄関にあった学校のローファーで来てしまったが、ダサくてもスニーカーにすれば良かった。さすがに咄嗟の時にそこまで気が回らなかった。

スポーツセンターを過ぎ、大通りに出た。普段行かない方向へ、更に走った。国道の上に掲げられている案内標識を見て、一番上に書かれている都心の街の方へ、北上した。


どれくらい走っただろう。
息が上がり、膝に手をついた。アドレナリンが出ていたのか気が付かなかったが、急に身体中に激しい痛みが走った。スカートを捲ると腿や脛、袖をまくると二の腕までもが赤から紫色に腫れていた。

どうしよう、これからー。

死んだりはしない。生きてあの家に反抗したい。
どんなに悪いことだっていい、やらかして、あの家に泥を塗ってやりたい。

息を整えながら上体を起こした時、向こう側から見覚えのある人影がこちらに向かって歩いているのが目に入った。







#7へつづく

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