見出し画像

食事と音楽と男と女 #11

モールの4階に楽器屋はあった。

直人は真っ直ぐにアコースティックギターのコーナーへ向かう。

「懐かしいな。俺が使ってたギター、友達にあげちゃったんだ。多分もう弾くことないだろうと思って」

店員さんに試奏したい旨を話して、2〜3本持って来てもらった。
その内の1本を手に椅子に座り、腕まくりをした。
あぁ、いいな、と思う。
ギターを弾く時は、ちょうどよく腕が見えて、いいな。

少しの間チューニングをして、いくつかコードを弾く。
「久々すぎて緊張する」
直人は何度も手のひらをジーンズのお尻で拭いていた。

俯いて手元に集中し、探り探り弾いていたのが段々とメロディになっていき、ハッとする。

「星影の小径…ね」

そう言うと顔を上げてニッコリと笑う。

「さすがにここでは紗織に歌ってくれとは言えないな」

そしてまたすぐ手元を見ながら続きを弾く。
直人の指から紡がれる温かな弦の響きに、心が溶けそうになった。

「あ、あと俺、ギターのイントロが大好きな曲があるんだ」

そう言って弾き出したのが、THE BEATLESの “Across the Universe” だった。

「すごい。私もイントロ好きって言う気持ち、わかる」
「このイントロ、いかにカッコよく弾くかをめちゃくちゃ練習したんだ。あと ”Michelle” とか “In My Life” とかね。あぁやっぱりギターいいな。買っちゃおうかな」

イントロのフレーズをつま弾きながらそんなことを言うので店員さんがニコニコしているけど、直人はギターを返しながら「でも今日はちょっと無理なんです、ごめんなさい。また来ます」と言って立ち上がった。

「ジャズ研なのにビートルズばかりだったの?」
「ビートルズはジャズでもよくアレンジされているよ。それに何でもいいんだ、いい音楽なら」

そう言った直人はすごく楽しそうだった。音楽が本当に好きなんだなと思う。
あと、食べることもね。

世の中の大抵の人は、美味しいご飯と素敵な音楽があれば、多分生きていける、と思う(あとお酒かな)。

この人は間違いなく、その類い。

世界中のどこへでも、それさえあれば、どこででも生きていける。

私はそんなこの人に付いて、どこへでも行けるだろうか、と考えた。
フランスなのか、全く別の国なのか。

日暮れの近づく時間。

運転席側の窓を少し開け風に吹かれる直人。
そんな彼の、遠くを見つめる穏やかな横顔を見る。

藤井風の「旅路」が流れるのに合わせて、直人が口ずさむ。

音に敏感で、優しい音楽が好きな直人は、しなやかで温かい声をしている。

今の景色とこの音楽と彼の声とが溶け込んで、この世界だけ切り取られたような気分になって、心も一体になっているような、不思議な気持ちになった。

「直人も歌上手いと思う。もっと聴きたい」

そう言うと照れくさそうに笑った。

--------------------------------------

街路樹が秋から冬へと色を変えていく都内。

今「Le petit rubis」の前にいる。
また少し、久しぶりになった。

「いらっしゃいませ」

ドアを開けた時に挨拶してくれたのは、中村くんだった。

「紗織さん…お久しぶりです」

驚いた顔の後、穏やかに笑んだ。
いつもの席に通してくれる。

「来てくださって嬉しいです…1ヶ月振りくらいですかね」
「そうね。少し間が空いちゃった」

いつものように、1杯目はスパークリングをお願いした。
「お疲れさまです」
そう言ってグラスを差し出してくれる中村くんの表情は、少し緊張しているようにも見えた。
「ありがとう」
「今日は久々に…何かあったんですか? って訊くのも変ですかね」

はにかむような顔する中村くん。初めの頃の彼が少し戻ったような気がした。

「元気にしてるかな、と思って」私も笑って返す。
「僕は元気ですよ。ナオトさんは…、元気ですか?」
「元気よ。ここには来てないの? サトルに会いに店に行くって、最近よく話してたけど」
「え、ナオトさんが僕に? どうして?」
「直人、中村くんに会いたいんだって。会ってちゃんと話したいって。中村くんも気になってるんでしょう? 直人のこと」
「え…でも僕は…」

* * * * *

私が今日、店に行ったのは、直人と交わした会話から。
直人が中村くんに「サトルの宣戦布告、受けて立つって言ってやろう」と言った、あの後。

「紗織も店に行きたかったら、行ってきなよ」
「この前と正反対のこと言ってる」

そう言うと直人は苦笑いした。

「サトル、かわいいところあるしさ。いいヤツだし。ほんと弟みたいに可愛がってたんだから。絶対年上の女の人にモテるはずなんだよ。早くいい人、出来ればいいのにな。紗織じゃない誰か」

そう言って笑った。

「別に俺とサトルの話と、紗織が店に行くことは別の話というか、俺がどうこう言うのはやめるってこと」

「気にしないの?」

「気にしなくはないけど、気にしないようにする。紗織の行動を制限したりしない。俺は俺で、サトルとちゃんと話をしようと思う。言ってみれば今は、お互い男らしくない状態」

* * * * *

私は中村くんに、直人が会いたがってて、きっと近いうちに店に来るか、中村くんと話をすると思うよと言ったら、中村くんは泣き出しそうな顔をした。

「中村くん、大丈夫?」
「大丈夫です…僕、ナオトさんに生意気なこと言ったりしたから、あわせる顔ないなって思ってたんです…」

私はなぜか、とても安心していた。
「中村くんも、直人のこと大好きだよね」

中村くんは逃げ込むように裏手に引っ込んで行った。

* * * * * * * * * *

そのあと、中村くんの方から直人に連絡したらしい。
直人は「サトルから誘ってきてくれた。週末一緒に飲みに行く」と嬉しそうに話していた。

この頃は金曜の夜から日曜の夜まで直人の部屋で過ごすので、その日も私は部屋で一人、直人の帰りを待っていた。
2人はどんな話をしてるんだろうな、と思いながら。

0時近くになって、戻ってきた。
「おかえりなさい」
直人は上機嫌だった。
ホッとする。悪い雰囲気にはなってないはず。

「何話したの?」
「ちゃんと "お前の宣戦布告、受けて立つよ” って言って来たよ」

* * * * * * * * * *

サトルはまず俺にまず謝った。生意気なこと言ってごめんなさい、と。

今でも紗織のことが好きか、と尋ねると、サトルは泣きそうな顔になって『僕はナオトさんに適うはずがない』と言った。

『生意気なこと言ったけど、紗織さん見てて、こうしてナオトさんに会って、何悪あがきしてるんだろうって気持ちになります。僕なんか、何もナオトさんに敵わないです』
『決めつけるなよ。それに俺なんか大したことないぞ?』

『大したことありまくりですよ。僕は…この歳で初めて身内以外を ”尊敬している” と心から言える人に出会ったんです。…いや、身内も含めてかもしれない。すげぇスタイル良くてカッコも良くて優しくて、旅もたくさんしてて、いい音楽いっぱい知ってて、フランス語が出来てワインも料理もよく知っててSEやってるとか、めちゃくちゃな人だなって思ってます。適うわけない』

『聞いてる限り大した事なさそうだけどな。どれも低いレベルだからな』
『ナオトさんは謙遜しすぎです』
『お前も過大評価し過ぎな。ま、嬉しいけど。サトルにそう言われたら』

俺がそういうと、少し怯えていたような顔していたサトルは、少しホッとした様子になった。

俺はウイスキーソーダのグラスを傾けながら言った。

『お前、いつか夜中に “僕は諦めません” ってメッセージして来たことあったろ? あれ、ちょっとビビったんだよな、俺。本当に紗織がサトルの元に行くんじゃないかって。あのあと紗織と大ゲンカしたからな』

サトルは呆気とした顔で俺を見た。『そんな事があったんですか』
『俺が店に出なくなってから、紗織が行った事があっただろう? あの頃かな』
『ナオトさんいないのに、どうしたのかな、とは思っていました』
『お前に会いに行ったんだよ、紗織は』

サトルは再び、面食らった顔をする。
『どうしてですか?』
『気にかけてるからだよ』
『…言ってる意味がよくわからないです。ナオトさんがどうしてそんな事を』
『あの時の俺は、みっともないほど大人げなく妬いて、紗織に酷い事をした。だから今改めて、男らしく正々堂々と勝負しよう、って言ってるんだ。今、俺を前にしてもまだ紗織のことが好きだと言えるならな』

サトルは頬を震わせた。

『お前、バックパックの旅に出るから金貯めるって言ってたよな。どこに行きたいんだっけ』

俺はサトルをリラックスさせるために話題を変えた。

『アフリカです。スペインのジブラルタル海峡からモロッコに渡って、とりあえずモロッコ縦断っぽいのしたくて』
『モロッコはいいぞ』
『ナオトさん行ったことあるんですか? あ、しかもフランス語か』

そこからしばらく、旅の話をした。モロッコの縦断はどういうルートで行けばいいかとか、飯は何がいいとか、ラマダンの時期は避けた方がいいとか。

『旅の話してたら、俺もさすがに旅に出たくなったよ。サトル、お前本当にいいヤツなんだから、早く彼女作って、一緒に旅に出ろ』
『さっき正々堂々と勝負しようって言ったのに、他に彼女作れ話ですか?』

そう言うサトルは笑っていた。

『紗織さんは、ナオトさんと一緒にいて、幸せなんですよね』
『俺に訊かずに紗織に直接訊いてくれよ』
『僕は紗織さんのこと、好きです。でも…』
『でも、なんだ』
『…いえ、何でもないです。今度、2人で店に来てください』

そう言ったサトルの顔に、怯えの色は一切消え去っていた。

---------------------------------------

#12 へ つづく

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?