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【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Childhood #6

ベルリンでの梨沙の家は、ドイツ国鉄『DB』のS-Bahnの環状線、S41(時計回り)またはS42(反時計回り)沿線のSüdkreuz駅とTempelhof駅のちょうど間辺りにあった。沿線の南端に位置している。
Südkreuz駅は周辺国へのバスターミナルも要する、比較的大きな駅である。

この辺りは比較的新しいアパートメントが立ち並び、その一角に居を構えている。
広い訳では無いが日本式で言うところの3LDK、バスタブ・バルコニー付とかなり贅沢な間取りで家賃もそれなりにするが、家の環境はある程度配慮しないと、子供たちが過ごしにくくなってしまうからという理由で決めた。

梨沙は絶対に蓮と同じ部屋で寝るのは嫌だと言い張り、日本の時と同様に遼太郎と梨沙、夏希と蓮、という寝室の分け方になっていた。
残る一部屋は非常に狭いが一応遼太郎のワークスペース、としている。実際は彼はオフィスに行ってしまうため、子供たちのワークスペースまたは物置と化していたが。

バスルームはバスタブはあるものの、日本に比べたらだいぶ狭い。
それでも子供たちはまだ小さいため親と入る。梨沙も遼太郎と入ることも多かった。

ある日の入浴中、ずっと気になっていた遼太郎の左鎖骨から肩にかけてある傷について、梨沙が尋ねた。

「パパ、それ、どうしたの?」

遼太郎は咄嗟に手でそれを隠す。

「前にちょっと事故に遭ったんだよ」
「事故?」
「Unfall(ドイツ語で事故)。車とぶつかっちゃったりする時に使うだろう?」
「えぇぇ、車とぶつかったの? 触ってみてもいい?」

遼太郎は戸惑い、ダメと言った。

「えぇ? まだ痛いの?」
「もう痛くないけど、触ったらダメだ」

触れられない場所。
梨沙にとっては象徴的だった。後々この傷を元に梨沙はいくつかの "事件" を起こしていく。

***

家の近くには『Tempelhofer Feld』という、飛行場も併設されるほど広大な広場がある。
休日は家族で訪れ、梨沙はそこでよくスケッチをした。
たまに遼太郎がシャボン玉を大量に飛ばせる輪っかのついた紐を振り、梨沙も蓮も、近くにいた子供たちも一緒になってはしゃぎ回ることもあった。
梨沙はそんなシャボン玉の絵も時には写真のように、時には抽象的に、淡い美しい色で描いた。

たまに川べりが好きな梨沙のために、バスに乗ってTeltowkanal(テルトー運河)や、U-Bahnに乗ってシュプレー川沿いまで連れて行ってくれることもあった。乗り物に乗る時は蓮も付いて来るが、梨沙は弟と一緒に行動するのを嫌がり、よく喧嘩になった。

「蓮はママと一緒に電車に乗って遊びに行けばいいでしょ」

梨沙の言葉に遼太郎は窘める。すると一旦は大人しくはなるが、機嫌はあまり良くならない。

遼太郎が夏希や蓮と仲良くしているような場面を見ると、梨沙はプイっとどこかへ行ってしまう素振りを見せたりする。そうやって父の気を引きたいのだ。

「お前は寝室も一緒になりたがらないし、どうしてそんなにママや蓮のこと嫌がる?」
「…パパがいい」

ふてくされた顔して梨沙が答えると遼太郎は呆れた顔をして「お願いだから、ママや蓮に怖い顔しないで。俺に向けるみたいにちゃんと笑って」と言う。梨沙は黙っている。

「梨沙、俺の言う事、聞いてくれるよな」
「…」
「出来ない?」
「…出来る」
「…いい子だ」

遼太郎は梨沙の頭を撫で、頬にキスをした。

それでも梨沙が夏希や蓮に笑顔を向けることはなかなか出来ず、せいぜいすぐに突っかかるような言葉遣いを一旦グッと堪えるくらいだった。
遼太郎はため息を付きつつも、梨沙なりのアンガーマネジメントを行っているのだと温かく見守ることにした。

***

ある日学校で、梨沙は迎えに来る遼太郎を待つ間、スケッチブックに傷を負ったミカエルの絵を描いた。
悠々と翼を広げ右手で剣を天に向け突き上げ、左手は地面と水平に真っ直ぐ伸ばしている。眉は真っ直ぐで凛々しく、やや伏し目がちな瞳はどこか物悲しさを漂わせていた。
そして左肩に、父と同じ場所に傷がある。

梨沙が初めて父そのものではなく、感情を込めたイメージとして描いた絵である。

これもまた称賛される。特に若い教員からは絶賛された。

「Warum ist Michael verltzt?(ミヒャエルが怪我をしている理由は?)」
「Weli er einen Unfall hatte.(彼は事故にあったから)」
「Unfall? Weil er gegen den Teufel gekämpft hast?(事故? 悪魔と戦ったからかな?)」
Äh… Vielleicht(たぶんね)」

梨沙は思う。
そうか、悪魔と戦ったんだ。
パパはいつも悪い者と戦って、私を守ってくれているのだ。
あの傷は、勇者の証なのだ。

絵を眺めながら梨沙は満足げに微笑んだ。

そうして迎えに来た遼太郎を見て教師はピンと来た。しかし梨沙はその絵をサッとカバンに隠すように仕舞う。
梨沙の行動に教師は首を傾げたが、ただ恥ずかしいのだろうと思った。

「梨沙、今日描いていた絵は見せてくれないのか?」

いつも迎えに訪れる遼太郎に真っ先に描いていた絵を見せるのに、今日はそうしないことを不思議に思った。

「…今日はうまく描けなかった」
「ほんとか? 珍しいな」

梨沙は急に恥ずかしくなった。
そんな気持ちになって描いた絵は初めてだった。

けれど以降、梨沙は父の姿を描き続ける。けれど本人には見られないように。




#7へつづく


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