【連載小説】奴隷と女神 #3
それから毎週の部長会の会場設営で西田部長を見かけた。
見かけた、というより意識的に「見た」のだけれど。
挨拶をしてもあまり返してくれない部長もいる中、西田部長はいつも軽く会釈を返してくれた。
“他の部長さんたちとは違うんだな”
そんな風に印象はどんどん強く、好意的なものが積み重なっていった。
* * *
6月は2ヶ月間の新入社員研修が終わる時期で、配属に向けて人事部と共同で研修結果の成績まとめや辞令、通達の準備などに忙殺された。
新入社員の成績を各部長宛に配布し、要員計画に基づいて "ドラフト会議" が行われる。6月中盤の部長会はまさにそんな会議が行われた。
私はドラフト会議の結果を人事部経由で受け取り、通達を作成する作業を行った。
営業戦略部には8名の新入社員が配属されることになっていた。
“この子達が、西田部長が選んだ子たちなのかな”
ぼんやりそんなことを考える。男女共に4名ずつだ。
“西田部長はどんな仕事する方なんだろう…”
私が新卒で配属された営業支援部は、営業戦略部のいわば "下流" にあたる部署だった。練り上げられた戦略に対し営業部が実行し、その途中や結果を支援していく…、そんな流れだ。
だから営業戦略部は優秀な営業経験者などが異動していったりする。新卒で8名というのはなかなか斬新ではないかと思う。
私が営業支援部にいた頃でも、西田という名前はあまり記憶がない。
もちろん私も全国の全員の営業マンの名前を覚えていたわけではなかったけれど。もしくはもう役職に就いていて、売上を直接上げるような立場ではなかったのかもしれない。
「あ、垣内さん」
私は向かいに座っている、いつも部長会で議事録を担当している先輩社員に声をかけた。
「松澤さん、どうしたの?」
「あの、部長会の議事録って大変ですか?」
「そんなことないわよ。録音ありきだからそこから起こすだけだから。白熱する会議だと色んな人が喋るから、そういう時はちょっと大変だけどね」
「それって私がやってもいいですか?」
「え? 議事録を?」
垣内さんはちょっと驚いた様子だったが「全然いいわよ」と言ってくれた。
「その代わり口外厳禁だから、あなたがいつもつるんでいる仲の良い同期にも、会議の話題を口にしたらだめよ」
「それはもちろん、わかっています」
「じゃあちょうど明日、一緒に立ち会ってもらおうかな。最初は私もつくから。あ、山田課長にも承認を得ないといけないけどね」
「ありがとうございます!」
こうして私は、山田課長の承認も取り付け、部長会に参加する資格を得た。
部長会では議事録席は会議室の一番後ろに設けられていた。
西田部長は上座側の下手…議事録席から斜め左にあたるところに座っていた。
着席の前に彼はまるでスイッチを入れるように、シングルスーツのボタンを留めることも知った。
温和で草食なイメージだったけれど、会議中の彼は背筋を伸ばし、眼光鋭く発言者やスクリーンを見つめている。
見かける度に思ったのは、彼は私が好みの色のネクタイを締めているということ。暖色系…赤やピンクや紫といった色の…。
そして黒スーツにもバリエーションがあることを知る。よく見ると生地はストライプになっていたり(シャドーストライプというらしい)、オシャレなんだろうなと思う。
営業会議ではないので、西田部長の発言は長々と話すような事はなかったから、彼の議事を取ることは思ったより少なかった。
それでも彼の議事は気持ち丁寧に書き起こした。
声も威勢がいいわけではないし、どちらかというと顔と同様に柔らかいのだけれど、不思議と通る声だった。
録音だとくぐもる声もあるが、彼の場合は滑舌もはっきりとしていて聞き取りやすかった。
* * *
ある日、自席で文書の作成を行っていると、西田部長が現れ私に声をかけた。
「松澤さん」
呼ばれて声の主を見てびっくりしてしまい、少し大きな声で返事をして立ち上がった。
西田部長はそれに対し、少し笑った。
きゅん、となる。
"あれ、私、笑いを取っちゃったのかな"
「これ、B会議室の忘れ物です」
そういって彼はペンを1本差し出した。
「あ、はい。承ります」
社内の落とし物や忘れ物は総務部が預かって、社内ポータルサイトにお知らせとしてアップする流れになっている。
彼からペンを受け取る際に、またあの "香り" がかすかに漂う。
そしてほんの少しだけ指が触れた。
「あ、すみません!」
咄嗟に謝ったけれど、彼はキョトンとした後に笑顔を浮かべて「全然」と言った。
「じゃあ、よろしくお願いします」
西田部長の背中を見送りながら、私のことを「松澤さん」と呼んだその声と、触れた指の感触を反芻した。
#4へつづく