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【連載小説】奴隷と女神 #47

結局、私も響介さんも転職は少し見送ることにした。

響介さんのハンティングは業務都合を理由に少し先送りにしてもらった形だ。先方はそれでも待っているとのことらしいので、ものすごいラブコールなのだなと思う。

そして10月のどこかで、私が30歳の誕生日を迎える前に…入籍することを決めた。

入籍後社内で公になって、理不尽な評価や言い掛かりに耐えられなくなったら、2人して辞めてやろうということになった。

式は一旦未定。いつか出来たらいいね、という程度に考えていた。
響介さんは離婚から日が浅いし、私も環との問題はまだ解決していなかった。

けれど結婚するという報告を機に、環との関係を修復しようと考えていた。

私は志帆も含めて環を誘い、3人でよく行った『セライフィーナニューヨーク』を予約した。

「ここ来るの、ちょっと久しぶりだよね」

今日の会合の意味を何となく察している志帆が気を使ってくれているのか、私と環の間を繋いでくれた。

「うん、志帆もずっと忙しかったしね」
「ほんと、残業代稼いだわ~。でも全然使う時間なくって。グッズとか円盤とか買いまくってやるつもり!」

いつになく志帆は明るく振る舞ってくれ、環は少しバツの悪そうな顔をしている。

「環は青山くんとはどうなった?」
「えっ、いきなり私の話?」

振られた環は少しモゾモゾしたが「告白はしたんだけど」と告げた。

「おぉ~っ! いつ?」
「先週…かな」
「何よ水臭い! どうして黙ってたの?」
「だって…保留って言われちゃったから」

環は残念そうに肩を落とした。

「保留って断られたわけじゃないんでしょ? 考えてくれるってことじゃない! 前向きに行かなきゃ」

普段、こういうアドバイスはいつも環がしてくれていた。今日は立場が変わって志帆が担っている。

「うん…向こうから連絡くれることになってるから、それを待ってる感じ」
「きっと良い返事来るよ!」
「うん…でも今日は本当はその話じゃなくて…小桃李が私に用があるんでしょ?」

場の空気が一瞬にして変わる。私は口を結んで気持ちを引き締めた。

「環にっていうか、2人に報告があるの」

もう察しているだろうけれど、志帆も促すことなく、少し身を乗り出して私の言葉を待った。

「結婚…することが決まった」

志帆は「おぉ~!」と感嘆の声を上げ、笑顔で「おめでとう!」と手を叩いてくれた。
環は…複雑な表情だ。

「環、わかってほしいの」
「…」
「環が今まで私に言ったこと、全部正しいと思ってる。もしかたらこの先環の言うように、私も辛い思いするかもしれない。でも先のことは誰もわからない」
「小桃李…」
「私が彼を好きになった時、確かに彼にはまだ奥様がいた。それでも私は彼を好きになった。顔も名前も知らない奥様のことは、私にとって何の実態もなかった。だから罪の意識はなかった。私はそういう風に倫理観が欠けているの。だからいつか罰を受けるかもしれない。でもそれでもいいの」
「…」
「そんな私を彼も選んでくれたのだから、一緒に生きていくって」

その時環が「うっ」と嗚咽を上げ、口に手を当てたまま語りだした。

「小桃李、本当は私、あなたが羨ましかったの。ただ妬きもちを妬いていただけなの。恋がしたいのに、好きな人が欲しいのに、一生懸命頑張っているのになかなかうまく行かなくて。それなのに、特に頑張る気も恋する気もないって言ってた小桃李が…。それも相手が営業戦略部の部長だなんて。どんどん綺麗になっていっちゃうし。何だか一気に出し抜かれたような気持ちになったのよ」

「環…」

「醜いのは私の方なの。正論を並べて小桃李を責めて、また同じスタートラインに立てれば私も気が楽になると思ったの。不倫は良くないとは思う。もし相手の奥様にバレたら無理やり別れさせられて、多額の慰謝料を請求されたっておかしくない。そんなことになったら地獄じゃない。でも…何かあっても友達だもん、味方になるって本当は思いたかった。でも…それが素直に出来なかった。相手が会社の部長クラスの人で、しかも最若手。隣の部署だからよく見えてたけど、何でもスマートで頭も切れるし、若手社員からすごく慕われていて…。そんな相手をゲットした小桃李に妬きもちを妬いてただけなのよ。小桃李に色々言ったのは正義心じゃない、ただの嫉妬心よ。私、自分さえ良ければいい、醜い人間なのよ!」

泣き伏せる環の肩に志帆が手を添えた。

「ごめん小桃李。苦しかった。この会社でここまでやって来たのも、志帆や小桃李がいたから。同期3人で何でも話すことが出来たから。でも私があんなこと言って気まずくなっちゃって。この前志帆から、小桃李が会社を辞めるかもしれないって聞いて、どうしていいかわからなくなっちゃって。こんなことで私たち、崩れていっちゃうの? って。こんな状態のままバラバラになって、本当にいいの?って」

「環、私もごめん。私も環に酷い言い方したから」

「小桃李は悪くないよ。自分の気持ちを素直に言っただけだもの。それより…本当に会社辞めるつもりなの?」

「…それは…志帆からも西田部長からも、よく考えてって言われたこともあって、少し様子を見るつもり」

「そうだよ、辞めないで。3人でまだ頑張っていこうよ…」

「うん…ありがとう」

志帆も「良かった!」と胸を撫で下ろした。

「でも実際問題、西田部長と小桃李が結婚、となったら騒ぐ人たちはいるでしょうね」
「もしそれでね、私たちの立場が悪くなったり正当な評価をされないような事はあったらお互い辞めようとは話していて…そうでなくても彼はしばらくしたら、会社辞めるかもしれない」
「えぇ!? 部長になってまだ2年だよ? あの人めちゃめちゃ有望視されてるんだよ?」

そう言ったのは環だ。志帆には以前軽く伝えていたから、それに対して驚いた様子はない。

「うん…。私が辞めようかなって話をするようになった後、自分もある会社からオファーを受けているって言い出して。会社側とも色々交渉したみたいで。すぐにではないけれど、結婚してしばらく…私の立場を考慮して、社内のほとぼりが冷めたら辞めると思う」
「そうだったんだ…」

私が彼の転職先の会社名を告げると、納得したようだった。

「すごい大きな会社なわけじゃないけど、今や知らない人はいないもんね」
「あの会社から更に独立して会社起こす人も多いって聞くから、西田部長もいずれは考えているのかもよ」
「え~、そしたら小桃李、社長夫人じゃない~!」
「ちょ、ちょっと待って。話が飛躍しすぎ!」

ようやく3人の間で、笑い声が上がった。

「ね、式はどこで挙げるの?」
「あ…、予定してないんだ」
「えっ、挙げないの? 仲良し同期一番手の小桃李のウエディングドレス姿、絶対見たいのに」
「それって西田部長が二度目だからとか、そういう理由?」
「そういうわけでもないよ。入籍は10月なの。どうせなら私が20代のうちにって。お互いもどうしても早く一緒になりたくて。割りと急だし、周囲の環境も整わないから、式は見送ることにしたの」

それで2人は黙ってしまったが、しばらくして環が口を開いた。

「だったら少し時間が経てばいいんでしょ? いわゆるほとぼりが冷めた頃ってやつ? やんごとなき事情がない限り挙げてほしいな。内輪だけでもいいじゃない。何なら私達が計画しようか。私たちにお祝いさせてよー」

そう言った環の目に再び涙が浮かんだ。

「小桃李…許してくれる? 私が今まで言ってきたこと、取ってきた酷い態度、許してくれる?」
「もちろんだよ」
「良かった…。本当におめでとう…。小桃李を幸せにしなかったら本気で西田部長に殴り込みに行くからね! でも…絶対幸せになれるよ。私たちが保証する!」
「そうだよ、負けんな! 小桃李!」
「環…志帆もありがとう」

その後は3人で、泣いた。




#48へつづく

【紹介したお店:セラフィーナニューヨーク】

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