のこりもの【4/4】
気がつくと、明るかった。
自分の部屋だ。
着替えもせずに寝ていたようだ。
あれ、僕は何をしていたっけ、と考えた瞬間、飛び起きた。
時計は9:24を指している。
「やっちまった…」
スマホを見ると何度も上司から着信が入っていた。
「すみません。今起きました…」
恐る恐る電話をすると、上司は『生きてるんならとりあえず良し。早く来い』と言って切った。
大急ぎで支度をしながら、僕は昨夜、美羽さんと会っていたのだと思い出す。
あれ、でも僕は家で寝ていた。
どうやって帰ってきたのか、全く憶えていない。
美羽さんは、どうしたのだろう?
僕は変なことやらかしたのではないか。
うわわ、最悪だ。
スマホを見ても、美羽さんの連絡先を登録した形跡はない。
「何やってんだ俺…」
二日酔いのだるい頭を抱えて、憂鬱な気分で会社へ向かった。
* * * * * * * * * *
その日の夜、20時半。
僕はあれから色々思い出そうとしても、何も思い出せなかった。
確か僕自身のテンションがものすごく上がった辺りから記憶が途切れている。
美羽さんとあれからどんな会話をしたのかさえ、思い出せない。
僕はスーパーの外から、中の、レジの様子を伺った。
しかし美羽さんの姿はない。
レジにいないのなら、今日は別のセクションでも受け持っているのだろうか。
僕は意を決して店内へ入った。
くまなく店内を見て回るが、美羽さんの姿はなかった。
店の閉店時間は23時。あと2時間近くある。
美羽さんがバックヤードにいて何か作業をしているのだったら、もしかしたら閉店までいるかもしれない。
僕はそう思って、店の外にある植え込みに腰掛けて、待つことにした。
ざわわ、と頭上の木が風に揺れた。風が気持ちいい。
あぁ、こういう "ちょっといいな” っていう時間を一人で味わうのって、もったいないなって思うんだ。
美羽さんを思い浮かべてみる。
彼女の隣で僕は、こんな風に吹かれたい。
…なんてな…。
時計を見る。21時を少し回った。
ふとカバンの脇のポケットにメモのような紙が入っている事に気付いた。
開いて見て、飛び上がった。
その拍子にメモが風に飛ぶ。僕は慌てて追いかけた。
拾い上げたメモには成瀬美羽、と名前の後に電話番号と、LINEのものらしきアカウントIDが書かれていた。
僕は慌てて登録し、メッセージを送った。
美羽さんですか? 飯嶌です。
今、メモに気がついて
するとすぐに返信が来た。
飯嶌さん、勝手にメモをカバンに入れてすみませんでした。
昨夜は大丈夫でしたか?
僕、ほとんど憶えていなくて。何かやらかしてませんか?
それがすごく心配で
大丈夫ですよ。飯嶌さん、すごく楽しそうでしたよ
どう "すごく" 楽しそうだったのか、非常に不安になるコメントだ…。
僕は文字を打つのがじれったくなり、通話ボタンを押した。
「美羽さん、いま僕、店の前にいるんです」
『あ…私は今日早番で、実はもう家なんです…』
「あ、そうでしたか…」
『そしたら私、今からそちらに行きましょうか?』
「え、そんな。遅い時間だしダメですよ、女性の一人歩きは危ない。僕が行きます。隣の駅ですよね?」
勢いで言ってしまった。今から行ってどうするつもりだ。
しかし美羽さんは
『そしたら…駅で待ってます』
と言った。
* * * * * * * * * *
改札の向こうに美羽さんの姿を見つけた。
「すみません美羽さん。遅い時間に、結局駅まで出てきてもらってしまいましたね」
「いえ、そんなに遠くないですから。こちらこそここまで来ていただいて…」
そしていつものように、その後どうしたらいいかわからなくなり、僕は黙る。
そういうとこだぞ!
中澤の叱咤が聞こえてきそうだ。
「あ、あの…本当に僕昨夜、何もおかしなことしてませんか? 覚えてないんです。どうやって帰ったのかも…」
「あ、私が家まで、お送りさせていただきました」
「えぇっ!?」
それはかなり衝撃的な話だ。
「家は近いとおっしゃってたんですが、足元がかなりおぼつかなかったので、家まで一緒に行きました」
そのあと僕は押し倒したりしてないのだろうか?
僕が変な顔をしたのを見逃さなかったようで、美羽さんは続けて言った。
「お部屋の中までは入ってませんので…」
「あ、いや、なんかほんとに…ごめんなさい」
「ただお送りしただけなので…そんなに気にしないでください」
恥ずかしくて悔しくて、僕は俯いた。
しかし美羽さんは明るい声だった。
「飯嶌さん、途中で急に上機嫌になって、すごく楽しそうにしていましたよ」
僕は顔を上げて美羽さんを見た。無理をしているような顔はしていない。
「典型的な酔っぱらいですね、お恥ずかしいです…」
「私が就きたい部署の話も、一生懸命聞いてくださって、すごく嬉しかったです。でも…本当に何も覚えていらっしゃらないんですか?」
「その、上機嫌になったっていう以降は…覚えてない…です」
「そうですか…」
「ごめんなさい。でも僕、どうでもいい気持ちで話を聞いたりしてないはずです。あぁでも覚えてないんじゃ意味ないじゃないか。ダメだなー!」
「もしかしてあのことも…覚えてらっしゃらないですか?」
あのこと…?
「えっ、あのことってなんですか? 何かあったんですね? 僕、何かやらかしました?」
「やらかしたっていうか…」
ポッと、美羽さんの耳が赤くなり、口籠った。
脱いだか?
部屋の中じゃなく、外で押し倒した?
えぇぇ!?
いや、それなら今こんな風に会ったりしないはずだ。
ましてや連絡先を忍ばせるなぞ…
うん?
美羽さんは僕のカバンにわざわざ連絡先を忍ばせてくれた。
ということは、連絡先を渡してもいいと思わせるような、進展する何かがあった、ということか?
困った顔をしてしばらく言いあぐねていた美羽さんが、言った。
「その…お付き合いしようって話に、なりました」
僕はカバンを落とした。
我ながら、何というわかりやすいリアクションだ。
「あ、そ、そうでしたか…そんなことまで覚えてないって…僕は最低なやつだな…」
「もしかして、本心ではなかったですか?」
美羽さんが眉をハの字にして、今にも泣き出しそうな顔をした。
「いえいえいえいえいえ!! いえ全然全く! 本心も本心、本気です。本気と書いてマジです」
必死に言ったが返って嘘くさくなった気がした。
最悪だ。
そういうとこだぞ優吾!
美羽さんの表情も喜びというより、戸惑いの方が強い。
「あの…美羽さん、迷惑でしたか?」
「迷惑なんて、そんな」
再び、言葉が次げず黙ってしまう。
当たって砕けろ、だ。
中澤の言葉が再び脳裏をよぎる。
ただ俺は砕け散りたくはないんだ、中澤!
僕は拳で自分の腿を叩いて奮い立たせた。
「では、改めて言わせてください。美羽さん、僕と…」
美羽さんは目をキラキラさせて(そんなに風に見えて)、僕を真っ直ぐ見つめた。
僕はそれでもうノックアウトだ。言葉が出てこない。
「あのう…僕と…」
「私と付き合ってください!」
美羽さんはまさにぴえん🥺の顔で、そう言った。
僕は…状況の把握に時間がかかった。
「本当ですか?」
「本当です」
「え、どうして」
「どうしてって…私も飯嶌さんのことが好きだからです」
「えっ」
「えっ?」
自分から告白しようとしたくせに、彼女から言われてしまって、僕は動揺していた。
「えっ…僕のこと…好き、なんですか…?」
美羽さんはプッと吹き出した。
「飯嶌さんって、面白いですよね」
「だって僕、残念な…って言われてるんですよ」
「ちっとも残念なんかじゃないです」
「見掛け倒しってことですよ」
美羽さんは可笑しそうに口を手で覆った。
「自分で言わなくても。それに、何でもこれからじゃないですか。お互いのこと、これから知っていくわけですから」
ようやく僕は、自分の中の体温らしきものを取り戻したように、温かくなってきた。
そして拳を突き上げた。
「うぉーっ、ありがとうございます!」
美羽さんは笑った。
なんてきれいな笑顔なんだ、と僕は感動した。
「残り物には福があるって言うけど、僕はもう残り物なんかじゃないぞ!」
僕が喜びを爆発させて言うと、美羽さんは冷静に
「それ、使い方おかしくないですか?」
と言い、また、笑った。
------------------------------------
END