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【連載旅小説】繭 #3

夕方。

観光スポットにもなっているバルチャルシア広場の水飲み場で真結まゆさんと待ち合わせた。

彼女が来る前に広場を囲むように立ち並ぶ土産物屋を眺めていると、弾丸の薬莢のキーホルダーが売られていて驚いた。
紛争で実際に使われたものなのだろうか。

珍しいけれど買おうかどうか迷っているうちに、背後から声をかけられた。

「春彦さん、お待たせしました」

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僕は彼女の姿を見て驚いた。
先程までバックパックを背負っていたTシャツにパンツ姿を打って変わって、黒いワンピース姿だったからだ。

「あ、着替えたんですね…」
「まぁどうってことない店ではありますけど、汗臭かったし、一応」

じゃ行きましょう、と彼女は颯爽と前を歩き出した。

広場から脇道を入ってほんの数十メートル行ったところにある店の前で立ち止まった。「ここにしましょう」

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僕らは地ビールと、その名物のチェヴァプチチという料理を頼んだ。

ピタパンのようなものに玉ねぎのみじん切りが添えられている。とてもシンプルな料理。まずはビールで乾杯した。
チェヴァプチチはとても塩気があって、めちゃくちゃビールに合うと思った。

「結構しょっぱいけど美味しい…。ザ・ローカルフードって感じでいいね!」

「ボスニアでは他にブレクっていうミートパイも有名ですよ。グラムで注文する店が多くて、ボリュームありすぎて私は食べられないんですけど」
「へぇ、僕食べてみたいな! 僕と一緒だったら食べられませんか? 一緒に行きましょうよ!」

真結さんは眉間に皺を寄せた。

「春彦さんってグイグイ来る方なんですね」
「あ…、ごめんなさい。迷惑でしたか」

彼女はそれには答えずビールを口にした。

「さっきこのチェヴァプチチに似た料理が近隣諸国にたくさんある、という話をしました。他国は豚肉や牛、羊なんかを混ぜた物が多いですけれど、ボスニアでは牛肉メインです。ご覧になってみてもわかるように、この場所の周辺はモスクが多いです。実際はイスラム教の他に東方正教、ユダヤ教、カトリックなど、まさに混沌としています」

「うん、さっきモスタルで橋から街を眺めた時に、右手からはモスクからアザーンが聞こえて、左手からはキリスト教会の鐘の音が響いて、すごい場所だなって思ってたんだ」

「この国はとてもデリケートな国です。民族紛争は完全に和平におさまっているわけではなく、くすぶっています。モスクや教会やシナゴーグはあちこちで見かけますが、実際には民族的にはほぼ完全に住み分けがされています。今日降りたバスターミナルとは別の、ルカヴィツァというバスターミナルがサラエヴォにはありますが、セルビアやモンテネグロに移動するのならそちらのバスターミナルを使うことになるので、そこに行くと私の言っていることが実感できると思います」

「そう…なんだ…」

僕は彼女が、そもそもなぜ一緒に食事をすることになったか、という本題に持っていこうとしていることに気づいた。

「私は以前、ムスリムはムスリム同士で結婚するものと思っていました。実際にイスラム教国ではそのような決まりを設けている国もあります。でもこの国では夫がキリスト教、妻がムスリム、またはその逆というのは当たり前にいました。私はまずそこに強い関心を覚えました。ちなみにここではムスリムはボシュニャク人とも呼んだりします」

彼女は話しながらも食事を進めているので、僕も遅れを取らないように食べながら聞いた。

「夫婦では異なる宗教をそれぞれ重んじて営みを送っていたのに、政治では民族主義者が対立しました。それまでユーゴスラビアはチトーという圧倒的独裁者によって統治されていましたが、彼が去ったあとに独立運動が高まり、この辺りはセルビア人やクロアチア人、そしてボシュニャク人が共存していたため、互い主張で独立しようと民族対立が勃発しました。それがボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争です」

僕はほぼ黙って彼女の話を聞いていた。
彼女も時折僕の目を見るけれど、聞いていようがいまいが、語りを続ける意気を感じた。

「サラエヴォの街を散策すれば、それを感じる場所がたくさんあります。春彦さんは明日以降はどうされるんですか?」

唐突に明日の予定を訊かれ、僕はちょっと面食らった。

「明日ですか…。まぁ…街を散策するつもりでいました」
「もし良かったら、少しなら私が案内します。楽しい観光地の案内ではなく、紛争の跡を感じることが出来る、あまり楽しくない場所になると思いますけど…どうしますか?」

少し前まで僕は、明日以降も彼女と会いたいという下心が半分以上を占めていたが、彼女の解説なしでは見過ごしそうな街を知りたいと思い「案内してほしい」と申し出た。
彼女は少しだけ、微笑んだ。

「本当はつまらない話だなって思っていますよね」
「そ、そんなことないですよ」
「どうしてボスニアを旅先に選んだんですか?」
「それは…本当に何となくなんです」

彼女はまた少しだけ微笑み、言った。

「良かったです。旅は扉です。開ける必要のない扉はたくさんありますけど、開けてしまったら異文化・異民族として考えるか否かの選択肢が与えられます。春彦さんもせっかくここまで旅しに来たのだから、是非日本人としてどんなことを感じるのか、意識してほしいです」

彼女はビールを一気に飲み干した。





#4へつづく


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