食事と音楽と男と女 #8
翌週末、中村くんと会うことになった。
土曜の午後、駅の近くのカフェ。
約束の時間よりも早めに着いたはずだけど、既に中村くんは窓際のテーブルに着いていた。
窓の外をぼんやりと眺めている顔は、今までに見たことのない、心ここにあらずといったような、寂しそうな顔だった。
申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
あんなに笑顔がかわいい子なのに。
私のことなんて、好きにならなければ。
「ごめんね、お待たせしちゃったかな」
そう言いながら近寄ると、中村くんはハッとして立ち上がり「いえ…!」と言って俯いた。
いつものあの屈託のない笑顔は潜め、何かに少し怯えるように身体を小さくする彼は、普段よりも更に幼く見えた。
「紗織さん、僕なんかのために週末の貴重な時間をいただいてしまって、本当にすみません」
目も合わさぬまま、深々と頭を下げる。
「ちょっと、そんな事言わないで。ね、まだ何も頼んでないの?」
俯いたままはい、と答える。
私達はラテを頼んだ。
「佐橋さんから、聞いたんだよね…?」
私がそう切り出すと、中村くんは一瞬私を見た後、また俯いてこくりと頷いた。
「彼のことが憎いって言ったって」
「言ったというか、訊かれたので頷いただけです」
「仲良さそうだったのに」
「仲良かったですよ。良かったっていうか、すごくかわいがってくれました。僕が大学入った時からあそこでバイトしてるんですけど、その頃はもうナオトさんいて。ナオトさんも昔バックパッカーだって聞いて、旅のこととか色々教えてくれたり、もちろんワインとかフレンチのことも。兄貴みたいで、僕も大好きだった」
「でも過去形なんだ」
私が悲しくなって言うと、中村くんは首を振った。
「僕、2人が付き合ってるの、紗織さんから聞きたかったです。そしたら、あぁそっかって、もう少しちゃんと受け止められた気がして。ナオトさんは憧れもあったし、裏切られたような気持ちになっちゃって。僕自身も歪んでるよなって思うんですけど、なんか…悔しくて」
「…ごめんね」
「紗織さんは謝らないでください。紗織さんの悲しい顔とか気まずそうな顔とか、見るの辛いです」
それは…今の私も同じこと思ってるよ。中村くん。
いつもの笑顔を、取り戻してほしいよ。
「佐橋さんが、中村くんがバイト辞めちゃうんじゃないかって、すごく心配してたよ」
「…それはこの前、ナオトさんが気を使ってくれて、僕のシフトと被らないようにするって言ってくれました。でも…どうしようかなって思ってます。めちゃくちゃ美味しいまかない飯タダで食べられるし、ワインも教わりながら飲めるし、条件悪くないんですけど」
後半少し、中村くんらしい口調が戻ってきた。
「本当にいい子だなって思うよ、中村くんのこと。きっと素晴らしい彼女がすぐに出来ると思うよ」
「そういう慰めは、いらないです」
「慰めじゃなくて、本心なんだけどな」
「すみません…」
冷めかかったラテを口に運ぶ。
私があと10年若かったら、中村くんの告白にOKと言っていたかな。
なんて、おかしなことを考えている。
「やっぱり10コも年下の大学生なんかに迫られたら、嫌ですか」
「嫌ではないけど、まだ若いのにもったいないなって思うかな」
「嫌ではないってことは、アリだったってことですか? あと、もったいないってなんですか。若者は若者同士くっつかなきゃいけないなんて、おかしくないですか? 」
私は返答に困った。当たり障りのない正論は全て通じないだろうと思った。
「中村くん、私と佐橋さんとの馴れ初めは、彼から聞いた?」
「軽く…紗織さんがナオトさんに会うためにあの店に来たって」
「そう。私は最初から彼のことが気になっていたの。だから中村くんのことアリだった、とか、そういう話ではないのよ」
中村くんはまた俯いてしまった。
「確かにナオトさんはカッコいいですけど…」
「カッコいいからとか、きっかけはそういう理由でもないのよ。もっと原始的な…なんて言えばいいのか」
「いいです。とにかく僕はナオトさんには何も敵わないってことだけはハッキリしているので」
「何もってことはないよ」
「じゃあ、何かありますか?」
「中村くんの笑顔と接客態度は、彼はおろか、そこらへんの若者の中でもピカイチだと思うけどな」
そう言うと彼は顔を上げて、少しだけはにかんだ。
「確かに…ナオトさんは愛想はあんま良くないですよね」
「そうそう。敵わないなんてことはないよ」
「そしたら僕もいつかナオトさんから紗織さんを奪えますかね?」
その言葉には、さすがに頷けず笑いも出来なかった。
「中村くん」
「嘘です。すみません、変なこと言いました」
「ごめんね」
「いえ…」
彼を笑顔のままにさせたかったのに、それは出来なかった。
* * * * * * * * * *
駅とは反対の方向へトボトボと歩いていく中村くんの後ろ姿は、胸が詰まりそうだった。
それを振り払うために直人に電話をした。
”運転中” のアナウンスが流れる。
どこか出かけているのか。
少しして折り返しかかってきた。
『ごめん、ちょっと外に出てる。サトルは?』
「今さっき別れたとこ」
『あいつ、なんだって?』
「うん…まぁ、”ナオトさんには敵わない” って言ってた。それより車で出かけてるの?」
『ちょっとドライブに出てただけ。今から迎えに行くよ。どこにいる?』
私は駅の名前を告げると『地元か』と言った。
『少し待てる?』
「うん」
30分ほどして、駅のロータリーに一台の白い車が入っていた。
助手席に乗り込む。
「車でどこ行ってたの?」
「あてもなくドライブ。昼過ぎまで仕事してたんだけど、そろそろ会ってる時間かなと思ったら、なんか落ち着かなくなっちゃって。で、走りに出た」
「そうだったの」
「どっか行きたい所ある?」
「どこでもいいけど、音楽聴きたい」
「どんなのがいい?」
「いつも直人が聴いてる音楽、聴きたい」
「…わかった」
彼はスマホを操作して、カーステレオから彼らしいプレイリストを流してくれた。
1曲目はこの季節にピッタリの、ビッケブランカの「秋の香り」だった。
車は初めてのデートの時と同じ、湾岸線に向かっていた。
* * * * * * * * * *
日没の時間がどんどん早くなっている。
暮れなずむ埠頭は、刹那の茜が染めている。
外へは出ずに、車の中でしばらく話をした。
「俺ね、あの時の紗織の気持ちがよくわかったよ」
なんのこと? という顔して彼を見ると、彼もこちらを見て、照れくさそうに言った。
「俺が元カノと会っていた時のこと。連絡くれてたけど、俺、反応しなかったじゃん」
「うん」
「今日それを自分に置き換えて考えた。このまま紗織が連絡をくれずにサトルとどこか消えちゃったらって」
そんなわけ、と私が言いかけると彼は眉を下げて困ったような笑顔を浮かべた。
「電話来た時も、さよならを言うためかなとか、とにかくネガティブモードに入りまくって。俺、全然自信ないんだなって思った。自信が持てるほど、紗織に何かしたかなって思って」
「それは、これからじゃない? 私たちだって始まったばかりだもん」
そうかもな、と彼は頷くと、藍が濃くなった正面の海を遠く見つめながら、ポツリと言った。
「今、隣に紗織がいて本当に良かった」
私は小さく頷いた。すると彼はホッとしたように表情を崩した。
「安心したら、腹が減ってしまった」
私たちは、笑い合った。
「どこか食べに行く?」
「テイクアウトして、家でもいいかな。その方が紗織とイチャイチャできる」
「何言ってるの」
また、笑い合った。
--------------------------------------
+++ 紗織がリクエストして直人が流したプレイリスト +++
1. アネモネが鳴いた 大橋トリオ
2. 秋の香り ビッケブランカ
3. NEW ERA Nulbarich
4. 夜の恋は indigo la End
5. 君と僕のうた THE CHARM PARK
6. I wish you love Ann Sally
7. Close to you Sofia Pettersson
8. 旅路 藤井風
9. Lady (2020) 大橋トリオ
10. LOVE YA! HYUKOH
11. 赤い傘 大橋トリオ
12. 星影の小径 Ann Sally
--------------------------------------
#9 へ つづく