【連載】運命の扉 宿命の旋律 #35
Lieder ohne Worte - 無言歌 -
翌朝、稜央が帰る準備をしている時に萌花の部屋のTVを付けると、朝の情報番組がニュースを流していた。
そこで昨日の○○大学の男子学生が自宅近くで襲われる、というニュースが流れた。
萌花が息を呑んで稜央にくっついてくる。
犯人は逃走中で、目撃情報も乏しいとのことだった。
被害者は頭に軽傷を負った、との事だった。
「軽傷…で済んじゃったのかよ…」
「稜央くん…」
萌花が涙目になっている。稜央は萌花の頬を両手で包んで言った。
「萌花、大丈夫。俺は捕まらないから、絶対に。本当は萌花を一人にはしたくないけど…一旦帰る。でもまたすぐ会いに来るから。生理が来たらすぐに教えてくれ」
「稜央くん…本当に怖い。稜央くんのことも心配」
「もう○○大学には接触するな。同じ大学の信用できる友達のそばにいろ。何なら泊まりに来てもらえ。俺へのメッセージはいつでもどれだけくれてもいい。なるべくすぐに返す。いいか、大丈夫か?」
萌花は頷くしかなかった。稜央は萌花をきつく抱き締めた。
「すぐまた来るからな」
そう言って稜央は萌花のマンションを後にした。
* * *
早朝に地元へ戻ってきた稜央は部屋に籠もり、ピアノに向かうが指が動かない。
頭の中にメロディも流れてこない。
“くそっ…、どうしてこんな事になったんだ…!”
父親の情報を手に入れることは出来たものの、萌花は激しく傷ついた。
しかも自分のせいで。
そしてその自分は、この父親のせいでこうなったと、堂々巡りを繰り返す。
萌花が送ってくれた写真…。
オフィスのフロアと思しき場所で身体は正面を向いているが、顔はやや右を向いている。誰かと話している様子だ。
ひょろりと細い稜央の背格好とは異なり、スーツのせいか肩幅が広く見え、真っ直ぐに立つ姿は威厳を感じる。
顔だけは似ていて背格好は断然にこの男の方が良い。
そんなことすらも稜央を苛立たせた。
母の桜子は、稜央が夜遅くに突然家を飛び出してから、3日後に戻って来た時の様子からとても心配していた。
閉ざしがちに籠る理由は何なのか…。
桜子は気が気ではなかった。
「稜央、萌花さんのところに行ってたの?」
夕食の食卓で桜子は何とか明るい話題に持っていきたいと話を振ったが、稜央は苦しそうな顔をした。
「お兄ちゃん、お腹痛いの? 具合悪いの?」
陽菜が屈託なく訊いてくるが、稜央は答えなかった。
「あんた…何かあったの?」
食事にほとんど手を付けず、稜央は部屋に戻り籠もってしまった。
* * *
ネットで大学生襲撃事件の続報を調べるが進展はなく、ニュースの更新もやがてなくなった。
“大丈夫だ…誰にも見られてないし、仮にどこかの防犯カメラに映っていたって割れることはない…”
まるで自分に言い聞かせるように独り言を言う。
それは良いとしても、心配なのは萌花だ。
もしも彼女の生理が来なかったら…想像するだけで腹わたが煮えくり返り、軽傷で済んだという杉崎をもっとめった打ちにしてやれば良かったと思う。
萌花とは毎日電話で話をした。
けれど萌花の声は毎日晴れる事がなかった。そんなことでも稜央は自分を責め、怒りを膨らませていった。
* * *
しかし2週間ほど経ってからの萌花の電話は、待ちに待ったものだった。
『稜央くん? あのね…生理が来た』
電話の向こうの萌花の言葉に、稜央は叫び出したい気分になった。
「そうか…良かった…! 大事に至らなくて本当に良かった…」
『うん…ちょっと遅れてたからすごく怖かったけど、何とか来てくれた』
「萌花…本当にごめん。何度謝っても謝りきれないけど…」
『大丈夫。私が流れされたのが悪い。稜央くんのせいじゃないから』
萌花の言葉は稜央の胸に突き刺さる。
自分でやれば良かったことを、萌花に東京に出させて調べさせたのは俺じゃないか。俺のせい以外何ものでもない。
こうなったら徹底的にあの男とコンタクトを取れるように詰めていくんだ。
こんな俺にしたあの男を…。
稜央は決意を新たにした。
『冬休みは実家に帰るから、またそっちで会おうね』
萌花の声もようやく普段の色を取り戻し、稜央は涙が出るほど安堵した。
「うん…待ってる。カウントダウンと初詣、一緒に過ごそうな」
* * *
そうして冬休みに地元に帰った萌花は、ほぼ毎日稜央と会った。
2人がたまに利用するネットカフェに、その日も籠もっていた。
「萌花が摑んでくれた情報から会社名がわかったから、何とか接触が出来ないものか、と考えているんだ」
個室のインターネットを使って、会社のホームページを見ていた。
「稜央くん、採用情報のリンク押してみて」
「え、採用? 萌花まさか入社する気なの?」
「ううん、そうじゃなくて」
開いた採用情報のページをスクロールして、萌花はある情報を見つけた。
「やっぱり。インターンシップ制度がある。これを使うと会社の中に潜り込めるよ」
「インターンシップか…だいぶ直接的だな。でも確かにこれはチャンスだ」
「私、来年の夏のインターンシップ、申し込んでみる」
「えぇ!? 萌花が?」
まさかの萌花の発言に稜央は驚いた。
「だって萌花は何の関係も…」
「稜央くんが参加するのも大変でしょ? まぁウチにずっと泊まり込んでもらってもいいんだけど…。もし野島さんがいる部署でインターンすることになったら、稜央くんきっと落ち着かないと思う。私がインターンに参加して、何とか落ち着く状態で稜央くんが野島さんと接点が持てるように取り繕う、っていうのはどうかな?」
「萌花…」
どこまで自分のために身を粉にしてくれるのかと思う。
危険な目にあって自分の身体を傷つけられたというのに。
「そんなことまでしなくてもいいんだよ。もう自分一人で何とかするから」
「いいの。私も企業研究したいし、稜央くんの役にも立ちたいし。一石二鳥の話よ」
きらきらと輝くような笑顔で話す萌花。
なんて子なんだ、と稜央は思う。彼女を強く抱き締めた。
「なんて言っていいかわからない…。俺…本当に幸せ者だ。萌花が俺の彼女だなんて」
「何を今さら言ってるの?」
「俺…萌花と出逢って付き合うようになったのは運命だと思ってる。本当に、感謝しかない」
「稜央くん、私も同じこと、思ってる」
2人はキスをして転がった。
でもその日はそれ以上のことをするよりも、くすくすと笑いながら何度もキスをして抱き締めあっている方が心地良かった。
#36へつづく