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【連載小説】あなたに出逢いたかった #42

稜央さん、私とはもう話をしてもらえないですか?

梨沙は何度かメッセージを送るが、稜央からの反応はない。

父親とよく会っていたという陽菜、父親の存在を知らないという稜央。
逆ならまだわかる。2人の歳の差は10歳。
陽菜が生まれるまでの10年間、稜央は父親と離れて暮らしていたと言うのだろうか?
それが陽菜の言う『我が家はちょっと複雑なので』ということなのだろうか?

もしくは…稜央は嘘をついている。父親を知らないという嘘。
でも、だとしたら何のために…?

稜央がどこかのタイミングで、梨沙の父親が遼太郎であることを知った、あるいは最初から気付いていたのだとしたら…。

隠したい、隠す必要があるだろう。だから陽菜にも『家のことは話すな』と言った。
何故なら稜央の父親は…。
あれだけ似ているのだ…。やっぱり…。

"我が家はちょっと複雑なので"
それは父親が異なること、なのではないか。

梨沙は頭を抱えて机に突っ伏した。

そんなこと、考えたらいくらでもこじつけられる。
一度取れたつかえが再び込み上げてくる。

稜央と話せないのなら、遼太郎に訊くしか無い。
それが彼の "秘密" なのだとしても。


しかし野島家はちょっとした環境の変化で慌ただしかった。引っ越すことになったのである。
と言っても今の場所から数分しか離れていない場所だ。近所で中古戸建が売りに出されようとしているのをたまたま聞きつけ、昨年末辺りから遼太郎が仕事帰りに物件を見に行ったりして検討してきたという。暮れに彼が家族旅行もままならないほど慌ただしかったのは、このためとのことだった。

3階建ての戸建ては1階を事務所として使えるため、これで彼は自宅をオフィスとし仕事が出来るようになる。梨沙が受験生になる年でもあるため、慌ただしい転居を余儀なくされた。

そのため遼太郎ともじっくり会話をする時間が、しばらく取れなかった。

梨沙も慌ただしく日々が過ぎていった、2月の半ば。稜央との連絡は途絶えたままだった。
梨沙は遼太郎と蓮、一応隆次にもバレンタインの贈り物をしようと、デパートの特設コーナーに足を運んでいた。稜央のことも頭をよぎったが、渡すのは難しいだろうと思い、やめた。

大勢の買い物客でごった返す中、隅の一角にひっそりと店を構える、ドイツのショコラーデがあった。ハート型のマジパンチョコで『日本初上陸!』と謳っている。
梨沙は1年前のベルリンでのバレンタインを思い出した。

康佑が『ドイツは別に女から男へという風習じゃないから」と、自分にハート型のマジパンチョコを寄越そうとした。ちょうど、こんな感じの。
しかし梨沙は『マジパンが好きじゃないから』と受け取るのを断ったら、目の前で康佑は自らやけ食いした。あまりにもの甘さに顔をしかめながら。

その後、2人で行ったカフェでのHeiße Schokoladeハイセ ショコラーデ(ホットチョコレート)の味まで思い出した。

康佑。いつも献身的に協力しようとしてくれた彼。


甘すぎるマジパンはまた康佑の顔をしかめることになるだろうと思い、梨沙は別の店でチョコレートの箱を4つ手にし、レジへ向かった。



『梨沙、久しぶり。何かあったか?』

康佑から通話が入ったのは、梨沙が『ちょっと会えないか』とメッセージを送ってすぐのことだった。

「ちょっとさ…電話やメッセージだと言いにくいことなんだけど…どっかで会って話できない?」

チョコレートを渡すついでに、康佑なら聞いてくれると思った。おかしな自分のおかしな話を。

"ベルリンで会って横浜で再会した彼はね、どう頑張ってもやっぱり叶わないみたい。だってさ…"

相談というよりは聞いて欲しかった。吐き出さないと本当に詰まって死んでしまいそうだ。
彼にならどう思われても構わないと思う反面、根拠もなく励ましてくれるだろうという期待があった。
既に梨沙の中では、康佑の存在はそれだけで元気を与えてくれる貴重なものだったのだが、まだ梨沙は気付いていない、あるいは気付こうとしていない。

しかし康佑は返事を少し躊躇った。

『あぁ…そうだな…。会うとなるとすぐいつって約束できなくて…後で連絡するでいい?』
「忙しいの?」

康佑は言葉を濁したあと、躊躇いがちに言った。

『実はさ、彼女が出来て』


あっ、と梨沙は息を呑んだ。

「ごめん」
『いや、謝ること無いだろ。ちょっと調整するから、待ってもらえる?』
「ううん、いい。聞かなかったことにして。ごめん」
『梨沙、聞くよ。わかった。いつがいい? すぐ行くようにする』
「いい、本当にもういい。浮気してると思われるでしょ」
『そんなこと思わないよ。ベルリン時代の大事な友達なんだって言えば』
「やめて、そんな言い方しないで。本当にもういいから」
『梨沙』

一方的に電話を切り、着信拒否に設定した。その手が震えていた。

"私に指一本触れないで"

そうやって近寄らせなかったのは自分なのに、本当に遠ざかっていくと思うと、空虚が胸を吹き抜ける。


涙が溢れた。何故なのかわからなかった。
別に康佑の事を好きだったわけではない。それなのに。


隆次の言葉が蘇る。

"お前を慕って近寄ってくる連中に邪険な態度取るなよ。それでお前は自分の好きな奴に好かれようなんて都合良すぎだろ"


結局、近づいてくる者を私は遠ざけてしまう。
当たり前の如く、みんな遠ざかってしまう。
ただ一人をのぞいて。


部屋の片隅に置かれたチョコレート。
行く宛のないそれは、いつか溶け出し元の形を留めることなく、だらりと残骸だけが残るだろう。
マジパンにしていたら、形だけは残ったかもしれないのに。
そういえばドイツでマジパンといえばピンクの豚の形をしたGlücksschweinグルックシュヴァイン=幸運の豚と呼ばれているものがある。

そうか、やっぱりマジパンにしておけば良かったのかもしれない。

家にオフィスを構えた分、遼太郎は事務所で過ごす時間が多くなっていた。もちろん引っ越し直後の片付けなども当初はあったが、傍目にはオンなのかオフなのか区別がつきにくい。ドイツ人の同僚は揶揄するかもしれない。『さすが日本人だな、リョウタロウ。いつでも連絡がつくなんて尋常じゃない』

時刻は23時を回っていた。
梨沙はそろりと降りていき、オフィスのガラス戸を覗き込んだ。室内の灯りは付いておらず暗かったが、こちらにデスクを向けている遼太郎の顔はPCの画面の明かりを反射していた。
彼はドアの向こうの梨沙にすぐ気付き、慌てたように立ち上がりこちらに向かってきた。

「梨沙、こんな時間にどうした」

よく見ると梨沙は目を真っ赤に腫らしていた。遼太郎は彼女を中に招き入れ、ミーティング用のスペースに座らせた。

まだ片付いていないダンボールが隅に重なっている。梨沙が本格的にオフィスに脚を踏み入れるのは初めてだった。
天井近くまである大きな窓の向こうはウッドデッキがあり、今は夜だから暗いが、普段はとても開放的でカジュアルなオフィスである。日中はスタッフが2~3人出入りしているのを見かけたことがある。
静かな住宅街の中、目の前の通りもひっそりとしている。今はデスクのPCだけが微かな灯りだった。梨沙に気遣い、部屋の灯りは点けずに隣に腰を下ろした。

「泣いてたのか。何があった?」

梨沙は上目遣いに泣き腫らした顔を向ける。

「パパ…教えてほしいの」
「なにを」
「パパが一番秘密にしていること」
「梨沙」

それを言ったら秘密にならないだろう、と以前遼太郎は言った。けれどもう、他の誰かに頼ることは必要以上に傷口を広げるだけだと思った。

私は真っ直ぐ、この人に向かうしかないんだ。この人にぶつかるしかないんだ。
それで粉々になってしまったとしても、むしろそうなるべきなんだ。
何故なら、粉々になった私をかき集めてくれるのは、この人しかいないから。
この人の手のひらの上だったら、私、粉々のままでもいい。例え指の隙間から零れ落ちたとしても、その指先に僅かな粒が残れば、それでいい…。

だから、教えて。


梨沙は続けた。

「秘密はどうしても話せないのなら、1つ質問させて。パパは…川嶋稜央って人、知ってる?」


遼太郎は微か眉を上げた。しかし無理やり動揺を隠している様子もなかった。

彼は既に気づいていた。
梨沙が10月に横浜に行った理由を。
実家にあった桜子との思い出に梨沙が触れたことを。
元日に、梨沙が嘘をついてまで会いに行ったのが誰だったのかということを。


遅かれ早かれ、いつかこの時が来るだろうと思っていた。


遼太郎は鼻から長く息を吐くと穏やかな表情で、静かに言った。


「よく、知ってるよ」






#43へつづく

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