【連載小説】421 第2話
土岐拓実は全体朝礼の後、第一課の遠藤課長に連れられての挨拶回りで、第三課にも訪れた。
「野島、こちらは第一課の主任として入社した土岐拓実くん。お前と同い年だぞ。トッキー、こちらは先日第三課の主任になったばかりの野島」
「トッキー?」
遼太郎が素っ頓狂な声を上げると、遠藤は「土岐だからトッキーだろ」としたり顔になる。
拓実自身これまでも色々なあだ名で呼ばれて来たし、入社早々とて何とも思いはしない。愛くるしい笑顔を遼太郎にも向けた。
一方遼太郎は今朝方抱いた印象も含め、値踏みするように拓実をねめる。ひょろくてぶりっ子みたいなこんな男が、本当にヘッドハンティングで来ただと?
その挑発的な視線を受けて拓実も笑顔を保ちつつ、自分と同い年で同じ主任だというこの男を注視した。
席から立ち上がった遼太郎はスーツの前ボタンを留め顎を引く。目線は拓実よりやや上にあるが、あえて威圧的に見下ろす。
拓実もそんなことでは怯まない。前職は大手だっただけに、社内外クセモノの化け物だらけの中で働いてきたのだ。バブル期並みの深夜残業も、休日出勤もこなしながら。
所詮コイツはお山の大将ってとこだろ。拓実は顎をツンと上げる。
「野島です。噂はかねがね聞いております。僕もこの役職に着いたばかりで、まだ慣れていませんが」
「僕はもう噂になっているんですか?」
「前職で、とある大手企業の東南アジア拠点の基幹システム刷新で多大な成果をあげた、と伺っていますよ」
「へぇ、光栄だなぁ。でも野島さんもその歳で主任に就任ということは、とても仕事がお出来になるんでしょうね」
皮肉とも小馬鹿にしているとも取れる口調に遼太郎はスッと目を細め、さらに冷ややかな視線を投げた。
「改めまして土岐です。よろしくお願いします。タメみたいだし、トッキーって呼んでくれて良いですよ」
拓実は右手を差し出した。
軽々しい口の利き方に遼太郎は眉をひそめたが、ここは渋々右手をあわせた。
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自席に戻った拓実が第一課長の遠藤に遼太郎のことを尋ねると、彼は元々第一課の優秀な営業マンだったが、色々とやんちゃなところもあって人間的な評価は賛否両論、とのことだった。
「やんちゃってどういうことです?」
「まずビッグマウスだろ。あと女癖が悪いとか」
「…やんちゃさを絵に描いたような人ですね」
「ただそのビッグマウスがさ、有言実行になっちゃうところもあるんだよ。アイツは売上も案件のコントロール力もずば抜けていたからな。だから経営層からは一目置かれているんだ」
「それであの若さで主任に抜擢、ですか」
「まー、色々裏取引があったのかは知らんけど、抜擢は抜擢だな。トッキーだって大抜擢みたいなものだから。あ、カンちゃん、ちょっとこっち来て。新顔主任のトッキーを紹介するわ」
「裏取引…」
拓実が呟いたと同時に「おはようございまーす!」と透き通る声で元気に入ってきた女性社員の姿が見えた。
「トッキー?」
「土岐くんだよ。だからトッキー」
「課長、さすがに初っ端はちゃんとフルネームで紹介してくださいよ」
「ごめんごめん。カンちゃん、今日直行だったから朝礼出てないもんね。改めて、今日から第一課主任に着任した土岐拓実くん」
「そういうことでしたか。トッキーさん、ようこそ企画営業部へ。私、第一課で入社2年目のカン・チェヨンです。どうぞよろしくお願いいたします」
顎のラインで切り揃えられた丸いボブヘアのカン・チェヨンは、カバンを席に置くと拓実の前で身体を90度に折って挨拶した。黒髪がシャンプーのCMのようにサラサラと流れる。
「ようこそ、なんて変わった挨拶だね。それに頭下げすぎでしょ」
「いえいえ、挨拶は丁寧にすべきと小さい頃から教わってまいりまして。より丁寧さを伝えたいのです」
そう言って笑った顔は屈託がない。名前からして韓国出身であり、上下関係や年功序列には厳格だろう、と拓実は推測した。遠藤が続ける。
「カンちゃんも優秀だよ。そうそう、入社した時はその野島がOJTについてね」
「はい、野島先輩は素晴らしい営業マンです。私も野島先輩のような営業マンになれるよう、日々精進しているところです」
「へぇ…大口叩いて女癖が悪いのに、後輩にとっては素晴らしい営業マンだったんだ。表裏激しいのかな」
「ちょっと、トッキー」
遠藤が咳払いをしながら嗜める。カン・チェヨンはキョトンと目を丸くしたが、
「野島さんは確かにおモテになると思いますが、とても真面目な方です。それに "小さいことしか言わなかったら達成出来ることも小さく済んでしまう。だから出来るだけ大きなこと言え、途方も無いような大きな目標を持て。そしてやれ" というのが野島さんのモットーです。確かに皆さんが普通に聞いただけだったら "それ、本当に出来るんですか?" と疑問に思うかも知れません。ですがそういう意図があるからです。そして本当に実行して達成もします。私はそういうところが本当に素晴らしいと思います」
と、思いのほか熱く反撃してきたので、拓実は面食らってしまった。
「君は野島主任の信者なの?」
「いいえ。野島さんはお布施を要求しません」
アハハ、と拓実は腹を抱えた。
「君、面白いね」
「よく言われます。普通にしているつもりなのですが」
そうして拓也は第三課をチラリと見やった。デスクで眉間に皺を寄せ、書類らしきものに目を通しいている男…野島遼太郎を。
遠藤は軽く言ったつもりだろうが、彼が主任になった経緯も含めて、益々彼に関心を寄せた。
お山の大将なのか、小さな世界で燻っているバケモノなのかー。
彼の破茶滅茶なエピソードとあのオーラに、拓実は心の内でニヤケが止まらなかった。
まずは部長の青山に、野島遼太郎について色々と伺ってみるか。
"裏取引" って、なんか気になるもんねぇ。
こう言う相手がいないと、仕事は、いや、人生は張り合いがない。
第3話へつづく