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【問わず語り】三浦春馬さんと、堺雅人さん
2020年。
コロナ禍の中で、海外旅行を生きがいとしていた私は、本来であれば閉塞感に耐えられず、心病んだかもしれなかった。
2020年7月。40カ国目の旅に出るはずだった。
その7月に、三浦春馬さんが亡くなった。
特別ファンだったわけでもなかったが、彼の死は強烈な衝撃と虚無感を私に与えた。
恥ずかしながら彼の死後、彼の過去作品を貪るように観たが、知れば知るほど、偉大なものを失ってしまったという虚しさが大きくなる。
友だちが言った。
「美しい心を持った人は、これ以上汚れた世の中を見て荒んでしまわないように、神様が連れて行ってしまうって聞く」
三浦春馬さんは、まさにそんな感じで召された、と思っている。
それくらい、彼は非の打ち所がない、見た目も心も美しい人だ。
でも神様、10年か20年、早すぎたんではないでしょうか。
彼を連れて行くには、あまりにも早すぎます。今じゃなかったでしょう。
本当に。
秋になって、日本中を沸かせたあのドラマ『半沢直樹』を観た。
前作も観ていたので「待ってましたっ!」と毎週かじりついて観た。
最終回後は完全な”半沢ロス”になり、SNSなどで同じ思いしている人を求めて徘徊していた。
そんな時、主演の堺雅人さんがお誕生日(10月14日)を迎えたとのことで、何となくツイートしたのをきっかけに(本当はもっと色々きっかけがあるが)、一気に「堺沼」に転がり落ちる。
2020年。このようにして私は2人の偉大な俳優さんにハマった。
三浦春馬さんと、堺雅人さん。
私の中で、面白いほど対極にいる2人。
光と影だったり。
陰と陽だったり。
聖人君子とエロスだったり。
生と死、だったり。
互いが引っ張り合い、突き放す。
芝居に対する姿勢とか考え方も、全然違う。
絶妙なバランスを私の中で取っている。
春馬さんの出演作品を観ている時は、とても癒やされる。一日中観ていても飽きない。繰り返し観たりもする。
でも観終わる頃には決まって「どうしてもうこの世に居ないのか」と信じられない気持ちでいっぱいになって、虚しさと悲しさで泣いてしまう。
堺さんの作品を観ている時は、アドレナリンやら何やらたくさん出るらしく、ブワーッと興奮したり、キューンとなったり忙しく、観終わるとぐったりする。
なので連続して一度に観られない。ちょっとづつ。中一日空けたり…。
でもそれは生きているパワーそのものなのかもしれない。
そんな感じで正反対。
春馬さんの死が与えたもの。
それは「我慢しちゃいけない」ということ。
「今やれるものは何でもやれ」ということ。
ためらっていたら、いつの間にか居なくなってしまう。消えてなくなってしまう。
春馬さんも堺さんも、存在を知った当初から「あ、なんかハマりそう」と思って、むしろ遠ざけていた感じだった。
「危ない危ない。ハマってはいけない」って。
その結果、春馬さんは居なくなってしまった。
だから堺さんに対しては、強烈な「生」の存在として、我慢しないと強く思った。出来る限りの応援するんだ、と。
だから色んな感情が炸裂するんだと思う。
お2人は過去、共演をしたことはない。
それは残念。
真相がはっきりしてないけど、三浦春馬さんが亡くなった日、TBSで放送された「音楽の日2020」で堺さんが出演された時、”喪服姿なのでは”と話題になったらしいが(観ていない)、偶然だとしても、なんか、ありがとう、って思った。
いつか堺さんはこんなようなことおっしゃった。
「歌も上手くて踊れるような役者さんは、妬いちゃいます」
だったら春馬さんのことは妬きもちの対象そのものだな、と思ってちょっと笑った。
春馬さんは、何でもこなす。努力して、こなす。
堺さんも色々こなすけど、努力と言うよりは“能力”って感じがする。
不思議な2020年だった。
俳優さんにハマることは、今までも何度かあったけど、ここまでハマることはなかった。
外に出ていけない状態の最中、神様が与えてくれたお2人の存在。
神様は春馬さんを連れて行っちゃったから矛盾もするけれど、私は助けられた。
旅に出なくても、おこもりで毎日家に居ても大丈夫なように、与えられたような気がしている。
堺さんにはめっちゃ長生きして欲しい。心の底からそう願う。
春馬さんの反動がそこにはある。
お2人のファンになってよかったと思うこの頃です。