【連載小説】奴隷と女神 #1
18:30。
ちょっと遅い時はこれくらいの退勤時間になる。普段は17時台には上がっている。
就職時に引っ越した目黒にある1Kのマンションも3回目の更新を経た。会社からはメトロで1本で行ける。
JRでも通えるけれど、混雑としょっちゅう遅延が発生するので、比較的運行状況が安定しているメトロを通勤には選んでいる。
最寄りの目黒駅から住まいのマンションまでは徒歩12分ほどあるけれど、そのため都心でもほんの少しだけ家賃を抑えられている。
途中のスーパーに寄り、食材を買う。
自炊しているけれど、残業した日は出来合いのお惣菜を買うこともたまにある。
「ただいま」
一人暮らしだから誰が答えるわけでもない。これといって動物も飼っていない。
スーパーで買ってきた食材をキッチンに並べる。キムチ、ねぎ、しめじやえのきのキノコ類、豆腐、あさり、卵。
純豆腐の材料だ。
最近韓国文化にハマっているので、韓国のインスタントラーメンだとか、韓国料理の食材を買いがちだ。
ストウブの鍋にお水を入れ火にかけ、少ししたら卵以外の材料を入れる。
煮込んでいる間リビングのローテーブルの上にフィンランド旅行で買ったaaltoの鍋敷きを置く。TVをつけ、ニュース番組を流す。
最後にお味噌を入れ出来上がった純豆腐に卵を割り落とし、ふうふうと冷ましながら食べる。
食べ終わったら片付けて、バスタブにお湯を張る。Kindleを手に湯船につかる。読んでいるのは韓国文学。もちろん、日本語で読む。
お風呂から上がったら水を一杯飲んでスキンケア。これも大体韓国コスメ。
以前はLANCOMなどをプロパーで買っていたけれど、チープな韓国コスメでもパフォーマンスを十分に感じられたので、切り替えた。
ベッドに入る前に寝香水としてHÉRMESの『UN JARDIN SUR LE NIL』を胸とおへその間に少しだけ付ける。
すっきりとしているが存在感のある香りを放つので、本当にほんの少しだけ。
けれどこの香りはリラックス効果もあるし、ラグジュアリーな気分にもなれる。
スマホを持ってベッドに入り、仲良し同期からメッセージが来ていなければSNSを少し流し見して、眠りにつく。
23:00。
* * *
この春で入社6年目になった。
小学校なら6年生。卒業の年だ。
同期全体では100名くらいいるけれど、いつも一緒につるむのは2人。
入社当初同じ部署に配属されたこともあって特に仲良くなった。
今は部署は離れてしまったが、それでもランチは一緒に取るし、よく飲みに行くし、旅行も行く。
今は3人とも彼氏はいなくて、作らなきゃって焦る営業支援部の岸川環と、推し活で人生に満足を得ている、情報システム部の山根志帆、私は焦ってもいないし推しもいない…今は何に対しても高いモチベーションを持っておらず、まさに三者三様だった。
この春同時に、私は総務部に異動となった。
それまでは3年間営業支援部、2年間受注管理部にいたが、ルーチン異動の一貫で総務部に異動になった。
総務の仕事は半分お役所のようなところもあるし、様々な人も訪れる。
来客対応、押印伺い、郵便授受、諸々の会議の設営や運営、社内報など全社的なお知らせの作成、等など…。
毎日様々な問い合わせも入るし、とても目まぐるしかった。
「小桃李!」
昼休み、環と志帆がやってくる。
週に2日は外食し、3日はお弁当やテイクアウトを利用して事務所内や近くの公園で食べる。
今日は外食の日だった。
「11時過ぎくらいからお腹鳴っちゃって大変だったよ。で、何食べよっか?」
「近くに出来たタイ料理屋さん、どう?」
「あ、いいね! ガパオライス食べたい!」
環も志帆も比較的よくしゃべる。私は大抵、2人に付いていくことが多い。
そう、フィンランド旅行もこの同期3人で行ったのだけれど、その時も2人が見どころや食べるところなど決めてくれ、私はついていくだけ。それでも十分に楽しいからいいのだけれど。
そんな風に私の日常は特に大きな波もなく、単調と言えば単調で、20代も後半になって、このままどうなるのかな、といったような漠然とした不安は時折感じることはあった。
まさかそんな日常が180度変わるような出来事が目の前に迫っているだなんて、この時は知る由もなかった。
#2へつづく