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【連載小説】Gone #5


身体が硬直して、言葉を発することが出来なかった。

子供たちの声も蝉の声も、ものすごく遠くで響いている気がした。

額からは汗が流れるのに、身体は体温を奪われたかのように冷たくなった。

涙が溢れるのを抑えきれず、口元を手で覆うと、アイツも泣き出しそうに顔を歪めた。

「たぶんもう、チェリンとは会わない」
「嘘…」
「嘘じゃない。チェリンがこの前言った通りだ」
「あたしが…?」
「バレンタインの時、机の上のメッセージを見たって言ってたろ」
「…」
「今、その彼女といる」

あたしは耳を塞いだ。

「ごめん、それ以上聞きたくない」
「聞いて」
「いやだ!」

アイツは大きなため息をひとつついて、じゃあ行くから、と自転車にまたがって去っていった。

あたしは公園に一人残された。

嘘でしょ? こんなにあっけなく…本当に終わっていくの?
信じられないよ…。

どうする? とりあえずどうしたらいい?

ここにいるわけにはいかないよね? アイツが住んでる街に、いたらだめだよね?

でも、どこへ行ったらいいの?

帰るってどこに?

アイツがいなくなって、あたし、明日からどうやって生きていけばいいの?

何を支えに生きていったらいいの?

まるで自分が世界から切り離されたみたいだった。

真夏の日差しが頭の真上から照らしているはずなのに、冷たくて。
寒いんじゃなくて、冷たかった。

身体中の血が凍ってしまったみたい。

どうしたらいいのかわからず、ただ歩いた。方向も、行き先もわからないまま。

途中、アイツの大学のキャンパスに行き着いてしまい、慌てて走り去った。

やっぱりこの街から出なきゃ。

アイツを感じるものから全て抜け出さなくては。

でも。

あたしは振り返り、キャンパスに足を踏み入れた。
門はなく、誰でもフラッと散歩にでも入れるような、そんな雰囲気だった。

アイツはこの並木道を眺めながらここに通ってる。
深呼吸する。
アイツもここの風に吹かれてる。

涙しか出てこない。
何やってるんだろう。
どうしてあたしはひとりでここにいるの?

途中のベンチに座る。
もうこのまま、どうにかなってしまえばいいのに。

誰かにさらわれて遠くにやられるもよし。
いっそ消えてなくなるもよし。
このままこの世に存在し続けなければならない苦しみ以外なら、なんだっていい。

* * *

どれくらい時間が過ぎたかわからない。

昨夜から何も食べていなかった。水すら飲めなくなった。

涙を隠すためにうずくまっていたけれど、気が付くと身体が動かない。

いいぞ、このまま死んでしまえ。

でもアイツの大学でそんなことになったら、アイツに迷惑かかるな。
じゃあもう、どうしたらいいんだろう。

「チェリン」

声が聞こえた気がした。

幻が聴こえるようになったかと思った。

「チェリン、大丈夫か」

もう一度、声と一緒に今度は肩を揺さぶられた。

頭を上げようとしたけれど、目の前は真っ白で何も見えなかった。

前後左右の感覚も、なかった。

* * *

目を覚ますと、すぐに病院のベッドだとわかった。
白い天井、カーテンが囲み、点滴が見えたから。

脇と足の付根に冷たいものが挟まっているのを感じた。

でも、どうしてそうしているのかは、わからなかった。

周りに誰かいるのだろうか?
声を出そうとしたけれど、喉がカラカラだった。

「川嶋さん、気が付きましたか」

サッとカーテンが開き看護師さんが姿を表し、あたしの体温をチェックした。

「熱中症ですよ。外に居たら日差しを避けて、水分補給をしっかりしないとだめですよ。酷いと後遺症も出たりしますから、軽く見たらだめですよ」
「…」

どうしてそうなったのか思い出そうとすると、気分が悪くなった。
現実を思い出したから。

放っておいてくれれば良かったのに…。

「野島さん、明日には退院出来ると思いますけど、しばらく様子見てあげてくださいね。当面安静にして、水分をたくさん摂るようにして。症状に変化があったらすぐまた来てください」
「はい」

看護師さんが「野島さん」と外にいる人に呼びかけた。
そしてその人は返事した。アイツの声で。

看護師さんと入れ替わりで姿を見せたのは、アイツだった。

「野島…」
「チェリン、勘弁してくれよ…」

アイツはそばにあった椅子にうなだれるように座り込み、しばらくうつむいていた。
あたしは何と声をかけていいかわからない。

重たい空気が流れる。あたしは放心してアイツの姿を眺めた。

「前もこんなこと、あったよな」

ふいにうつむいたまま、ポツリとアイツは言った。

「えっ?」
「憶えてる? 高校3年の、最後の夏の大会の時」
「あ…」

思い出した。

最後の夏の弓道大会。主将だった野島は試合前スランプになって、合宿の時、誰よりも長い時間、的前に立って練習して、試合ではきっちり当てて、誰もがその気迫に圧倒された、あの日。

試合が終わって一緒に帰っている時、野島は電車の中で倒れた。

あたしはビックリして慌てたけど、周囲の人も手伝ってくれて、野島は救急車で病院に運ばれた。その時あたしは付き添った。

「きっちり返してくるとは思わなかったよ」

そう言って頭を上げたアイツは、怖い顔はしていなかった。

「ごめん…」

あたしが謝ると、ふっと、微笑んだ。
あたしの知ってる、あの顔で。

「どして…あたしがいたことわかったの?」
「探したんだ…気になって」

朝、公園で別れた後、家に帰ってシャワーを浴びて、再び出かける準備をしているうちに、あたしのことが気になってきたという。

「たぶんまたバスで帰るんだろうなって思ったけど、夜までどうするんだろうとか。こっちに知り合いいないって言ってたし、俺もあんなこと言っちゃったし…。気になってさっきの公園とか駅とか探して。どこにもいないから段々不安になってきて、思いつくようなところを探してたんだ。そしたらキャンパスのベンチでうずくまってて、声かけても反応ないし、身体起こそうとしたら真っ赤な顔して白目向いて倒れちゃうし。ほんとに焦ったよ…」

「そう…だったんだ…」

「チェリンが点滴受けてる間、思い出したんだ。俺が倒れたときのこと。あの時と正反対だなって、きっちり返してきやがってって思って」

そう言って笑った。懐かしい笑顔に、あたしは涙が滲んだ。

「ごめん。野島、今日予定があるって言ってたのに。こんなとこいる場合じゃないんだよね?」
「いいよ、それは。…そんなんじゃすぐに長距離の移動は出来ないだろうし、明日退院したら、一旦ウチに来ていいよ」
「でも」
「いいから」

アイツの口調は強かったけれど、目は優しかった。

まるで本当に高校の時に戻ったみたいに。

「明日、退院付き添うから。また来る」

そう言って立ち上がり、ゆっくり休めよ、と言って帰っていった。

あたしは布団をかぶって、また泣いた。



第6話へ続く

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