【連載小説】鳩のすむ家 #3 〜"Guilty"シリーズ
~由珠子
朝。鳩が8回鳴く。
弓道教室は新学期の前に始まる。初回の参加をどうしようかと春休みに入り、考えていた。
1階に降りると祖母の姿がない。母に訊くと今日は町内の会合で既にもう家を出たという。
このチャンスをどうにか活かせないか、朝食を摂る間、考えを巡らせた。
そしてある事を思いつく。
それは、とある心優しいクラスメイトの力を借りることだ。クラスの中でも少し異質のお嬢さまで、祖父が世界大手通信会社の日本法人の代表取締役を務めていることもあってか、自分専用の携帯とパソコンを持ちとても情報通で、世界中で起こっていること、流行ってることをたくさん知っている、山科さんという子だ。
彼女に相談をしてみようと思った。
「お母さん、クラスメイトに連絡したいから、電話を使うわ」
祖母がいないから敬語を使う必要はなかったが、母は一瞥をくれただけで何も言わず、祖母の部屋にあるTVで情報番組を観ていた。母は母で煩い祖母がいない時間をまっとうしたいのだろう。構わず手帳に控えた山科さんの携帯の番号に掛ける。
彼女はすぐに出た。
「もしもし、山科さん? 私は2-Aで一緒の…一緒だった福永です」
『由珠子さん! どうなさったの突然に?』
快活な山科さんの声。私は家の様子を伺い、受話器を覆うようにして小声で告げた。
「実は相談したいことがあって…」
『わたくしに? どんなこと?』
「今ここでは少し話しづらくて…どこかで会えないかしら」
『いいわ! 今日は何の予定もなくて退屈だなぁって思っていたところだったの。どこで会いましょうか』
後々の祖母の追及を考えると、学校が無難かと思われた。
「あの…学校でもいいかしら」
『学校? 』
「えぇ…学校が都合が良くて」
『ふうん、わかったわ。何時にしましょうか』
約束を取り付け電話を切ると私はすぐさま母に外出する旨を告げた。
「お義母さんが戻ってくるまで待ってらっしゃいよ」
「もう約束してしまったから。相手を待たせるわけにはでしょう?」
母は別に、私が何処に行こうと何をしようと、そこまで関心はないはずだ。ただ後から祖母にあれこれ言われることが嫌なだけなのだ。
「学校の図書館で課題で困っていることの相談に乗ってもらうの。お祖母様にはそう伝えて。もう行くから」
そう言って部屋に駆け上がり、急いで支度をして家を飛び出した。背後で「繁華街に行くならバレないようにやってよね」と母の声がした。
*
山科さんは既に校門で待っていた。彼女の方が近所なのである。桜の時期とはいえ時折肌寒い風も吹く。建物の中で待ち合わせなかった自分を後悔した。
彼女はアイボリーのワンピース、首にはベージュから桜色にグラデーションするスカーフを巻いている。舞う桜の中に彼女の姿は一枚の絵画のように馴染むと当時に、浮き出ていた。
「由珠子さん! ごきげんよう!」
「山科さん、お待たせしてしまって…」
「ぜ~んぜん! 今来たばかりよ。さぁ、どこに参りましょうか?」
そうか。彼女はここから更に別の場所へ行くつもりだったのか。普通に考えれば当たり前のことだったが、私は勝手に学校の片隅で話をするものだと思い込んでしまっていた。
「ど、どこがいいかしら。学校の図書館でも良いのだけれど…」
「図書館ではおしゃべりが出来ないでしょう? 今日は制服ではないのだし、お店に入ったって平気よ」
こういう "ちょっと外れたところ" が彼女にはあるから、どことなく居心地が良い。
「お任せするわ。私、あまり店を知らなくて」
そうは言ったものの、高級なサロン・ド・テなど入られたらどうしようかと不安になった。生粋のお嬢様であれば十分にあり得る。言いながら財布の中身を心配した。自由に使えるお金は少ない。かといって同級生に奢ってもらうわけにもいかない。
「由珠子さんはとっても真面目な方ですものね。わたくしは本当に向こう見ずで、よく怒られちゃうのよ」
そう言いながら彼女は颯爽と歩き出した。彼女はスカーフの桜色と同色のリボンが付いた、かわいらしいラウンドトゥのパンプスを履いていた。
私は…学校へ行くときと同じローファー。おしゃれな靴を履く必要はないと言って、買ってもらえないから。
10分ほど歩いて、可愛らしい外観の店の前で立ち止まった。
「良かった! 早目の時間だからまだ空いているわ。ここのケーキ、宝石みたいにキラキラしているし、とっても美味しいのよ! いっつも並んでいるの。今日はラッキーよ、由珠子さんが一緒だからかしら」
店頭に掲げられたメニューをさり気なくチェックした。目が飛び出るような値段ではない。思わず声が出てしまいそうなくらい安堵した。
明るい店内は天井から花飾りが零れ、テーブルはオフホワイトで、水色の花瓶にくすんだピンク色の薔薇が一輪差してある。椅子は藤色で、まさに店の中も春満開だった。ため息が出るほど可愛らしい店だ。
山科さんは、まるで花びらのようにカットされたいちごのタルトを選んだが、値段との折り合いもあり優柔不断で決めかねる私に、これまた薔薇の花びらのようにベリーのクリームがあしらわれたチョコレートタルトを勧めてきた。ニルギリの紅茶とセットで1650円。祖母が気まぐれに、お小遣いを何に使ったかチェックする時があるから、山科さんにアリバイのお願いも後でしなければならない。
ケーキが運ばれてくるまでは他愛もない会話をした。会話というか、いつもの聞き上手を発動させただけなのだが。
やがてケーキが運ばれてくると、私も山科さんも同じようなリアクションで感嘆の声を挙げた。フォークをいれるのが勿体ないほど、綺麗なケーキだった。お皿にも色とりどりの花びらがあしらわれている。
それでも山科さんは容赦なくフォークを刺し、一口頬張った。
「やっぱりいつも美味しいわ…」
「そうね…食べるのが勿体ないくらい綺麗」
「その通りね! わたくしはいつもすぐに頂いてしまっているけれど…。ところで、ご相談って一体どんなこと? わたくしで務まるかしら」
「本当に大したことじゃないのよ。実は弓道を始めようと思っていて」
「弓道? えぇ…とっても素敵! カッコいいわ由珠子さん!」
山科さんは全く嫌味ではなく、手を叩いて目を輝かせた。
「けれど私の家…習い事とか…その…あまり自由に出来なくて」
「学校のクラブに入るわけではないのね?」
「えぇ…区のスポーツセンターで4月から開講する教室なの」
「益々素敵だわ。街の方がたくさん参加されているということですものね。良い交流が出来る予感がするわ」
「そこ…そこなのだけれど…」
「何か問題でも?」
まさに問題はそこだった。
“良い交流” が出来る場にどんな人が集まるのか。
「さっきも話したように、習い事を自由に出来ないから、どうやって家族の目を誤魔化そうかと思って…」
「誤魔化す?」
山科さんは目を丸くした。仰々しいことに受け取ったようだ。
「どうしてそんなことなさらなければならないの?」
「習い事なんてしていると成績が下がると言われて…」
それもあながち間違ってはいない。祖母は常に成績のことは口にする。
それよりももっと煩いのは “おかしな虫” がつかないよう、社交場なんてうろつかないよう、祖母が目が光らせていることだ。今日は出がけに祖母がいなくて本当にラッキーだった。
けれど、今時そんな家があるだろうか。晒すのも恥ずかしい。
「そんな! 由珠子さん優秀じゃない。習い事くらいで下がったりしないわ」
「…そこまで優秀ではないわ、私…」
「それに弓道なんて、まさに文武両道で優秀な方の鏡よ。むしろ推奨して頂けそうだけれど…。弓道って道具が必要よね。それはどうなさるの? 弓ってあの長~いものでしょう? あんなに大きなもの、ご家族の目を誤魔化すの、大変よ」
「殆どは貸し出してくれて、ほぼ手ぶらでよくて、動きやすい服装で行けばいいみたい」
ふむふむ、と頷く山科さん。
「理解してもらえないかもしれないけれど、とにかくうちは正直に話したら絶対にダメだと言われると思うの。だからこっそり…最悪の場合、都合の良い嘘をつくしかないかなと思って…」
「それでわたくしに白羽の矢が立ったわけなのね!」
彼女は目をキラキラとさせた。
「あ、決して変な意味ではなくて…」
「わかっているわ。わたくし、そういうこと考えたりするの好きですもの。わたくしに相談してくださって嬉しいわ。さぁて、どうしましょうかしらね」
山科さんは人差し指を顎にあて、考え出した。まるでイタズラを仕込むのが楽しくて仕方がないといった表情だ。
熟考した末、目を細め遠くを見つめるようにしながら山科さんは口を開いた。
「そうしたら…まず学校の弓道部に入部することね」
「えっ…でも学校では…」
「クラブは幽霊部員でもいいと思うわ。一応名前だけ登録しておくの。弓道教室の日はクラブがあるということにしてしまったらいいのよ。どう? クラブの出席率なんてお家に知られることなんて無いと思うし、それに習い事なら学校から直接行くことも可能だわ」
「なるほどね…」
「お家には大学進学のためにクラブ活動することを勧められた、とでも言ってしまえば良いのよ。わたくしも入部したことにして…何かあったらわたくしの名前を出してもらっても良いわ」
なんと。山科さん自ら進んで協力してくれるのか。
「そこまでしてもらうと…山科さんにも迷惑がかかってしまうわ」
「大丈夫よ。わたくし、さっきもお話した通り、向こう見ずだし言い出したら聞かないたちなのよ。由珠子さんのお家のどんなご事情かはわからないけれど、お家に嘘をついてまでもやりたいことがあるのなら、協力したいわ。それに弓道なんて素敵よ。お茶やお花は退屈だし、かといって他の武道は汗かいて臭いもお肌のお手入れも大変そうだし。その点、弓道はスマートそうでとっても良いと思うわ! 頑張って! 感想聞かせてもらって、楽しそうならわたくしも始めようかしら」
あっけらかんとそう言って山科さんは最後の一口をパクリと口に入れた。
#4へつづく