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【連載小説】永遠が終わるとき 第三章 #3

深山さんに誘われ、休日返上となったが9月も終わるとある土曜日に都内の大学のキャンパスで待ち合わせた。
街づくりプロジェクトの大学生メンバーは大学の教室を使って活動しているという。彼らも夏休みを遊んでばかりいるわけではないらしかった。

空き家再生や、過疎地活性のためのアイデアを出し、それを企業と取り組んで実現できるものを発信していくといった内容だった。それ自体はよくある話だ。
若者目線で、どうすればなるべくコストを抑えて若い人でも事業を起こせるかなども考えられていた。

「今の世代の若い人に大切なのは自分で考えて動いて、他にどんなことが出来るのか、広がりに気づいてもらうことだと思っています。今って何でもマニュアル化されていて、マニュアル以外のことをやろうとしないでしょう。それはその人をマニュアルに押し込めて有限にしてしまうということだと思うんですよね。マニュアルが必要ないような人や仕事にまでも」

組織変更後、私のいる統括管理室配下の部署にも新卒が配属されるようになった。あの飯嶌さんも新卒を部下に抱えるようになり、新人教育は難しいとこぼしていたことがあった。言ったこと以上のことをやろうとしなかったり、と。

「なるほど。大学生のうちからそういったことを経験してもらうということですね」
「大切だと思うんですよね、学生のうちのきちんとした社会経験って。もちろん学生を満喫してもらうのはいいんですけど、アルバイトはアルバイトでちょっと無責任なところもありますし、学生気分が抜けないで来る人も多いので」

甘い顔の裏では、しっかりと組織の上に立つ者としての目を持っている。当たり前のことだが。

甘く優しい横顔の中に組織を動かすリーダーの顔を見た気がした。

御曹司とは言ってもぬくぬくと育てられたわけではなく、いち早く経営者としての目を持つよう鍛えられたのだろう。

* * *

大学を後にして深山さんは「わざわざ出てきてくださったので、少し早いですが夕食をごちそうさせてください」と言ってきた。
少し驚いたが、予定もなかったので了承すると、深山さんはすぐにどこかに電話をかけた。

「前田さん、嫌いな食べ物やアレルギーとかありますか?」

電話口を抑えてそう訊かれたが、特にないと答えた。

「良かった。たまに行く美味しいお店の席が取れたのでそこに行きましょう」

そうして行った場所は広尾にある高級日本料理店の個室だった。

大きめの窓があり、その窓を背に深山さんが座り、向かいに私が座った。彼の方が上座に当たるが、そこを気にしたのか

「外が見える方が前田さんにとっては良いでしょうし、僕は店員に声を掛けやすいからこちらの方が都合がいいんです」

と断った。

料理はお任せコース一択で、旬の食材を使った贅沢なコース料理となっていた。

「前田さんのような方は厳しい食事制限でもしているのかと思いましたが」
「以前はそうだったかもしれませんが…基本的に私は何でも食べるんです」

そう言うと深山さんは屈託のない笑顔を浮かべた。

「いいですね。美味しそうにたくさん食べる人は魅力的だと思いますよ」
「たくさんかは…」

そう言うと彼は「そうですよね」とまた笑った。
邪気のない、素直な笑顔だ。
そういえば歳下の男性と食事なんて、これまで職場の飲み会以外でしたことがあっただろうか?

食前酒で乾杯をし、先付をいただく。玉蜀黍のお豆腐、雲丹、ジュレ。
続いて前菜。蛸煮凝り、イチジク、カラスミの飯蒸し、そして万願寺とうがらしと海老シンジョウの揚げ物。

「もう日本酒、いっちゃいませんか? 前田さん日本酒お好きっておっしゃってましたよね?」

深山さんに提案され、従う。
秋田のお酒『刈穂』山廃純米冷やおろし。ラベルに紅葉が描かれていて、季節感もとても良い。そうか、もう秋なのか、と思う。まだ暑い日は多いけれど。

お椀やそれに続くお造りにもとても合う、しっかりした味わいのお酒だった。

「深山さんは日本酒がお好きなんでしたっけ?」
「僕は結構、何でもいいんです。語れるものが何も無くてお恥ずかしいくらいです」
「いえ。お酒の薀蓄を語る方って、ちょっと面倒だったりしませんか?」

そう言った時、頭の中に野島部長の姿が瞬時よぎる。
彼もお酒は何でも好きだったけれど「カッコつけたこと言って飲んでやりたい気もするけど、正直よくわからない」と言って苦笑いを浮かべていた。

彼を思い出してしまったことに目を伏せると、深山さんは「確かに」と笑った。

「呪文のような言葉を並べられても、よくわからないですもんね」
「そうなんですよ」

頭の中から野島部長を押しやった。

それからは深山さんも肩ひじの張らない気さくな話題を提供してくれた。最初の頃抱いていた、気さくを装うのはテクニックなのではないかという疑念は杞憂に終わりそうだった。

旬の食材を使い、目にも舌にも美しい食事と美味しいお酒も相まって、思いの外楽しいひと時を過ごした。

このお店のメイン料理でもある鮑の磯焼きには、2人共言葉を失ったけれど、その目は互いに同じものを物語っていた。

焼物、小鍋、土鍋御飯と続き、締めの甘味は梨に柚子のゼリー。すっかりお腹もいっぱいになってしまった。
こんなにしっかりと食べるのは久しぶりだった。

お酒もそこそこ入ったせいかこんな風に気が張らずに、心が振れ過ぎずに美味しく楽しく過ごせるなんて、意外だった。

* * *

「ボリュームありましたね! でも前田さんも残さず召し上がっていて、僕も清々しかったです」
「お恥ずかしい…食欲の秋のせいにしておいてください」
「いえいえ、最大の褒め言葉のつもりなんですけどね!」

店の外に出ると涼しい風が吹いていて、お料理とお酒で火照った頬にちょうど良かった。
季節は動いているのだなと感じる。

「前田さん、メトロ使いますよね」
「はい、1本で帰れるんです」
「そうでしたか! それは良かった」
「深山さんは?」
「僕は歩いて帰ります」

そうか、御曹司…さすが。広尾にお住まいとは。

「ご実家ですか?」
「いえ、一人暮らしです。僕の両親、なかなか厳しくてですね。大学入学と同時に家から出されましたよ。当時は本当に学生街に住んで、安食堂で大盛りをよく食べたりとか…あ、僕また話が反れましたね」

クスクスと笑いながら「全然、いいんですよ」と答える。

「前田さん、良かったらまた一緒に食事行きませんか? 仕事の話もすごく刺激になりますし、お酒や食事の好みも合いそうですし」

駅までの道すがら、ふいに深山さんは言った。

「はい、是非」

私の返事は社交辞令か、本心か。




第三章#4へ つづく

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