【連載小説】奴隷と女神 #4
7月に入ってすぐの金曜の夜。
その日はいつもの同期3人で、会社の近くの丸ビルにあるイタリアン『ISOLA SEMERALDA』で飲んでいた。
環が「ボーナスが入ったら行こう!」と以前から予約していてくれたのだ。
「カンパーイ!」
「おつかれー! やっとボーナス入った!」
志帆は実家暮らしだけれどオタクだから、推しのグッズや公演などで散財しがちなので、とにかく給料日やボーナスが恋しいという。どれだけ貢ぎ込んでいるのだろう…。
だからこんな風にちょっといい店に行く時は、志帆を誘う時は給料日やボーナスの直後などが狙い目なのだ。
泡で乾杯した後は、今日はさっぱりといこう、ということで白のビオワインをボトルで頼んで3人でシェアした。
料理は魚のカルパッチョにサラダ、メインはブイヤベース、余裕があれば追加でピッツァを1枚頼もう、と決めた。
カルパッチョをつまみながら、来月の夏休みに3人で行く予定のパリの話に始まったかと思うと、一昨日やってもらったばかりだというネイルを煌めかせて、環が最近の恋活について語りだした。
お相手はマッチングアプリで出会い、総合商社に勤めていて、何でも赤坂のタワマンに住んでいるんだとか。
「本当なの、それ」
「1回会ったんだけど、お勤め先は本当。住まいはまだ行ってないからわからないけどね」
「次に会う約束もしたの?」
「うん、まぁデートは3回目が勝負だって言うし、とりあえず是非また今度って向こうが言ってきたから」
すん、と肩にかかる髪を跳ね上げて言う環に私と志帆は顔を見合わせたが、まぁ環は男の人に関しては私たちの何十倍も慣れていることだから、それ以上は何も言わなかった。
その後は志帆の推しの舞台が近いうちにあるということで遠征もするらしく、また散財だけれど相当テンションが高まっていると、ずり落ちるメガネをしきりに上げながら興奮した様子で語ってくれた。
「小桃李は最近何かトピックないの?」
「う~ん、本当に特になくって。韓国文学にちょっとハマってるくらいで…。それもやばいよねぇ…」
「韓国文学ってどんな感じなの? 韓ドラみたいなやつ?」
「ううん、そういう恋愛ものとか、こじれ系じゃなくって、まぁなんか普通の…これといって韓国だからっていう大きな特徴はわからないけど…淡々としたやつ読んでる」
ふーん、と2人はそれ以上のリアクションも困った様子だった。
そんなところへ救いとも言うべき、メインのブイヤベースが運ばれてきた。
「いや~ん、美味しそうな匂い!」
「食べよ食べよ!」
魚を尻尾やお腹周りのお肉をまんべんなく、それぞれの取り皿に私が分けると、環が「さすが小桃李」と言った。
「お魚は尻尾の方に味が詰まっているから、みんなで味わった方がいいと思って」
「ほんとに気が利くよね。一番彼氏がいておかしくなさそうなのに」
私は苦笑いをするばかりだった。
「あ、ちょっと、あれって…」
志帆が店の出入口の方を見て環の肩を叩いた。
振り向くと、環の上司の桜井営業支援部長ほか、うちの会社のお偉いさんが何人か入ってくるところだった。
環は自分の上司がやって来たので "アチャー" と手を額に当てたが、次の瞬間、閃き顔になって人差し指を立てて言った。
「後で部長のとこ突撃して、奢ってもらおうよ」
「え、本気?」
環の言い出しそうなことだな、と思いながらまた振り向いて部長グループが席に着くところを見た瞬間、ハッとした。
西田部長もその中にいたからだ。
どうやら営業部門系の部長たちの集まりのようだった。あぁ、今日は営業会議でもあったのかな。
やはり西田部長だけ際立っているように見えた。良くも悪くも "浮いて" いる。
営業系のお偉いさん達は恰幅も良くスリーピースだったり少し派手なチーフを忍ばせたりしているが、彼は安定の黒スーツが身体にフィットし、姿勢が良いせいかウエストのくびれが際立っていた。細身なのに肉付きの良さが感じられる。
そんな色気を持っていた。
彼は末席に座った。あの中でも当然、一番若手なんだろう。
「小桃李、どうしたの? 総務部の部長さんはいないみたいだけど?」
私がずっと振り返って彼らの方を見ていたので、志帆が訝しがった。
「あ、ううん。何でも無い。なんか錚々たるメンバーだなって思って」
「今日、営業戦略会議があったからね。地方からも営業所長とか集まってたと思うよ」
「所長たちはもう少し格下げの居酒屋で、今頃クダ巻いてるのかしら」
そう言って2人はキャッキャと笑った。私も付き合って笑った。
営業戦略会議ということは、西田部長が中心の会議ということだ。
どんな話をしたんだろう。部長会の時とは違って、檄を飛ばしたりするのかな…。
けれども、しらばくこちらもワインとブイヤベースを食べ進めながら他愛もない話に花を咲かせた。
背後を振り向かないと様子がわからない私は、そのほとんどが上の空になっていたけれど…。
#5へつづく
【紹介したお店:ISOLA ESMERALDA】