飯嶌、ブレイクスルーするってよ! #3 ~次長とランチ
「飯嶌、何食いたい?」
エレベータで階下に降りながら野島次長が訊く。
「寿司がいいです」
「寿司? 昼からそんなんでいいのか」
「ステーキでもいいです」
「お前、小学生みたいだな」
野島次長は笑いながら "どっちでもいいぞ" と言った。
結局、寿司屋に連れて行ってもらったが、寿司は頼まず海鮮丼を頼んだ。
全部乗せっぽいやつ。一番高いやつ…。僕はご飯も大盛りにしてもらった。
何か言われるかな、と思ったけれど、何も言われなかった。野島次長も同じものを頼んでいた。普通盛りで。
丼から具がはみ出さんばかりの豪快な海鮮丼が出てきた。
「いただきます!」
一口食べて、うんめぇ~っ!と思わず声を出すと、野島次長は大笑いした。
「だって前の部署では、上司がランチに誘ってご馳走してくれるなんて、なかったですよ!」
「そうか。じゃあ今日は割り勘にしておくか」
「ちょ、待ってくださいよ」
野島次長は可笑しそうに笑っている。
「俺も毎日外食なわけじゃないから、たまに外で食べる時は誰か誘って、ちょっといいもの食べることが出来るのはありがたいなと思ってるんだ。俺は基本的に弁当持ち込んでるから」
「あの奥さんの手作りですか」
「そうだ」
「僕がそのお弁当いただきますので、次長はどんどん外食されても構わないと思います」
「断る。お前は彼女に作ってもらえばいいだろう?」
「僕は彼女と一緒に住んでるわけではありませんし…」
僕はとある質問を野島次長に投げてみた。
「次長…変なこと訊いてもいいですか?」
野島次長は鮪の載った一口を頬張りながら、チラリと僕の顔を見て「なんだ」と言った。
「次長の奥さん…妊娠中じゃないですか」
「あぁ、もう間もなく産まれる予定だけどな」
「あ…そうなんですね…楽しみですね。男ですか、女ですか?」
「俺は産まれるまで知りたくないと耳を塞いできたつもりだったけど、漏れ聞こえちゃってな。女の子らしい」
「いいですね。一姫二太郎って言いますし」
「お前、若者らしからぬこと知ってるな。で、何が訊きたい?」
「あ…あの…次長に訊くのは失礼だしおこがましいとは思うのですが…、奥さんの妊娠中って…その…浮気したいとか、そういう気持ちになったりしないんですか?」
野島次長は飯の手を止めて、何言ってるんだ、という顔で僕を見た。
彼の口には丼がいっぱい詰まっていて、リスかと思った。
「あ、いや、すみません……夏に次長の家に遊びに行った時に、お2人ってめちゃくちゃラブラブだったし」
「仮面夫婦にでも見えたか」
「いやいやいやっ! そんな風には全っ然見えませんでした! ってかそういう意味じゃなくて! 本当に!」
野島次長は口の中のものを飲み込んだ後「俺は浮気したいとか、そういう気持ちにはならないな」と答えた。
「そういうもんですか」
「どうした。なんかあったのか」
「…なんか、学生時代の友達で結婚して奥さんが妊娠中のヤツが何人かいたんですけど、浮気してたり…浮気まで行かなくとも、別の女の人と会ったりとか。そういうものなのかなぁって思って」
野島次長はうーん、と唸って、宙を見つめながら少し考え込んだ。
「俺、妻のこと大好きなんだよね。まぁ…仕事してて色んな人と出会って、中には魅力的だなって思う人もいるけど…浮気したいとか思わないな。妻の存在が勝つっていうか。俺がおかしいのかな」
「お…おかしくはないです。めっちゃ普通です。普通のはずなんですけど、普通じゃない気がしますね」
「なんだよそれ」
「奥さんが会社を辞められてから付き合い始めたって言ってましたけど、会社にいる間は何とも思ってなかったんですか?」
すると次長の視線が少し泳いだ。
むむ、これは何かあるな。
「お前、他人に話さないって約束出来るか?」
「もちろんです」
「即答する辺り怪しいな。朔太郎とかにも言うなよ」
「はい、約束します」
僕は姿勢を正した。
「彼女から退職の話をされた時は、ちょっとショックだったんだ。それが単に優秀な部下が去っていくからなのか、別の感情があったからなのかはよくわからないんだけど」
「本当にわからなかったんですか」
「お前、こういう話題になるとハキハキするな」
「すみません」
「まぁ…かわいい子だなとは思ってたよ」
僕は奥さんの顔を思い出した。
確かにかわいい "感じ" の人だ。ただ、アイドルみたいにかわいいかって言うと、ちょっと違う。
でもまぁ、見た目が全てじゃない。うん。
人の好みは人ぞれぞれだ、うん。
野島次長は見た目もめちゃくちゃカッコいい人だが。
「彼女が会社を辞めて半年ぐらい経った頃かな。道でばったり会ったんだ。その時すかさず飯に誘ったんだよな」
「さすが次長、隙がないです」
そう言うと野島次長は僕の額を小突いた。
「で、まぁ次に繋げられないかな、とか考えていたら、彼女からまた会いましょうって連絡をくれて、何度か会うようになって」
「付き合い始めたんですか?」
「いや。その頃ちょうど、ドイツの企業と協働プロジェクトの発足があって、俺はそのプロジェクトの参加希望を出していたから、どうなるかなって、ちょっと悩んだんだよね。離れ離れになるかもしれないのに、受け入れてくれるのか、とかね」
「確かに…」
「そうやって俺がウジウジ悩んでいる間に、彼女から告白してくれてさ。彼女の方が何倍も度胸座ってるんだよ。俺の方が意気地がなくて」
「意外です」
「ちょっと女性と付き合うときは…特に遠距離に関してはちょっとトラウマがあって…ってお前どこまで話させるつもりだよ。まだ昼だぞ」
「次長が話してくれたんじゃないですか。…でも、どうしてそこまで奥さんのこと、好きでいられるんですか?」
「どうしてって言われてもなぁ…こうやって話してるだけで会いたいなぁって思うよ。だから今日は早く帰ることにする」
野島次長はそう言って、ちょっと照れたように鼻をこすった。
「マジっすか。本物っすね…。俺…自信ないわ…」
「お前は今、そこを心配するタイミングじゃないと思うけどな。俺のどうでもいい話じゃなくて、飯嶌のこれからのこと話したかったのにな」
そう言って丼に残っていた飯をかきこんだ。
「すみません」
僕のこれからの話なんて、せっかくの海鮮丼が美味しくなくなってしまうから、回避できて良かった、と思った。
店を出て会社へ戻る途中で、野島次長が僕に訊いてきた。
「飯嶌は彼女とはうまくいってるのか?」
「はい…夏に次長の家に行って次長や奥さんからアドバイスを頂いた後、自分の態度を改めて積極的に連絡したり会うようにしました」
「そうか。良かったな。妻も気にしてたから。彼はあの後どうなったかなって」
「奥さんにも "僕は立派にやってます" とお伝えください」
「立派に、を省いて伝えとく」
野島次長はニヤリと笑った。
* * * * * * * * * *
初日を終えた夜。
同期の中澤と、会社の近くの居酒屋へ飲みに行った。
「優吾くん、ようこそ企画営業部へ!」
今日は僕もビールで乾杯をした。
「中澤はプロジェクトのどのセクションを担当するんだ?」
「今回は社内基幹システムの刷新だ。俺は直接プロジェクトにはアサインされないと思う。現行の営業活動も進めていかないといけないからな」
「え、そうなのか…」
僕は中澤がプロジェクトには参画しないことを知って、残念に思った。
「それにしても優吾は野島次長から呼ばれたんだ。そこそこのポジションに就くと思うぞ」
つまみのガツキムチをパクパク食べながら中澤は言った。
「そこなんだよ。すごいプレッシャーなんだけど…」
「野島次長って、プロジェクトになるとめっちゃ厳しいぞ。ドSなところがあるから普段もまぁそこそこ厳しいけど。覚悟しとけよ」
ドS。
やっぱり発破じゃなくて脅しだ、と思った。
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第4話へ続く