【連載】運命の扉 宿命の旋律 #26
Passion - 受難曲 -
12月24日。
川嶋家では毎年細やかなクリスマスパーティが開かれる。
フライドチキンは出来合いだが、それ以外は桜子が2人の食べたいものを事前に聞いて準備してくれる。今年は4人分だ。
パーティの開始時間までに萌花が来ることになっていた。
陽菜が部屋の飾りつけをしたがるので稜央がそれを手伝い、桜子が一人で買い物に出かけた。
「お兄ちゃん、クリスマスのプレゼントは何が欲しいの?」
「俺、別にもう何もいらないよ」
「彼女も出来たし? つまんない」
「つまんなくなんかないだろ。陽菜は何が欲しいってお願いしたの」
「新しいゲーム。でもそれは去年と同じだからもうだめだってサンタさんが言うって、ママが」
「そりゃ残念だったな」
陽菜は何かを言いたそうにモゴモゴと口ごもった。
「どしたの陽菜。何か言いたいことあるの」
「あのね、保育園でね、サンタは普通パパがやるんだって友達から聞いたの」
「へぇー、ソリに乗って外国から来るんじゃないんだ」
「もうそんなのに騙される歳じゃないよ。陽菜には一応パパがいたから、きっと陽菜のサンタさんはパパだったんだろうけど、お兄ちゃんは」
「俺には最初からサンタなんかいないよ」
陽菜はいやいやをするように身体を揺すって、おずおずと言った。
「お兄ちゃんにもサンタはいるもん」
「陽菜」
「だって陽菜ね、お兄ちゃんのパパ、見たことあるもん」
陽菜の言葉に稜央は愕然とした。
「え…、見たことあるって…いつ?」
「一昨年のクリスマス。ママに会いに来たみたいだった」
「会いにって…なんでそれが俺の親父だってわかったの。母さんがそう言ったの?」
「ううん、ママは "あの人はお兄ちゃんのパパじゃないけど、今日のことはお兄ちゃんには絶対に話しちゃだめ。話したらサンタさん来なくなるから" って言ったの。だから言わなかったんだけど…でもお兄ちゃんにそっくりだったし、ママ、泣いてたし。だからすごく憶えてるの」
稜央は呆然と陽菜を見つめた。
「どうして今それを俺に話した?」
陽菜は唇を尖らせてイヤイヤしたまま、俯いて言った。
「だってお兄ちゃん、サンタなんか最初からいないって言って。いるのに。知らないお兄ちゃんがかわいそうなんだもん」
* * *
桜子が帰宅すると、稜央は詰め寄った。
「母さん、陽菜が一昨年、俺の親父を見たって」
桜子は顔を真っ青にした。
「えっ…!?」
陽菜は怖がって稜央の部屋に逃げ込んでドアを閉める。
「本当なの? 何をしに来てたの?」
「来てないわよ、そんな人」
「陽菜が見たって言ってるんだ。俺にそっくりだったって」
「違う。稜央の父親じゃない。陽菜が似ているって言っただけよ。違うの」
「じゃあその人は誰? 母さん、その人と会って泣いてたって」
桜子は言いあぐねた。
「それは…お母さんの高校時代の友達よ」
「じゃあ今の俺と同じ高校ってことだね。同い年の人?」
桜子はしまった、というように口を手で抑えた。
「母さんの卒業アルバム見せてよ」
「だめよ」
「どうして? 別に父親じゃないんでしょう? 見るだけならいいじゃない」
「稜央、お願い。あなたの父親のことには触れないで欲しいの」
稜央は爪が刺さるほど拳を握りしめた。
「俺、生まれてこなければ良かったってやつ?」
「そんなこと…! そんなことあるわけないじゃない」
「だって生まれてこなければ、こんな面倒くさいことにならないで済んだじゃない。母さんだってそんなにムキになって隠すこともなかっただろうし」
「違うの。稜央はあたしの意思で生んだのよ。生まれてこなければなんて一度も思ったことない。ただあたしが…あたしが勝手なことばかりしていたから…」
桜子は大粒の涙をポロポロと零し、その場に泣き気崩れた。
「悪いのはあたしなの。全部あたしが悪いの。稜央が苦しんでいるのも、全部あたしのせいなの…」
稜央は母の涙が耐えられず、外に飛び出した。
稜央の部屋から出てきた陽菜は申し訳無さそうに母に近寄った。
「ママ…ごめんなさい…」
桜子は涙を拭って陽菜の頭を撫でた。
「お兄ちゃん、かわいそうだったから…本当はパパがいるって話したら嬉しくなるかなって思ったの」
「そっか…優しいね陽菜。ごめんね、ママがちゃんとしてなくて」
桜子は陽菜をそっと抱き寄せた。
* * *
衝動的に家を出てきてしまったが、どうすることも出来なかった。
しかしあのまま家にいることは出来ない。
母の顔を見ることが出来ない。
陽菜の言葉と母の様子から、恐らく自分の父親が現れたのは間違いないだろうと思われた。
それで、どうなるというのだろうか。
何かが変わる?
俺の前には現れてくれないのに。
“現れてくれないのに…?”
どうしてそんな風に思ったのだろう。
会いたい? 親父に? 今さら?
気がつくと駅の近くまで来ていた。
商店街の賑やかしいクリスマスソングと、陳腐な飾り付けが気に障った。
反吐が出そうになる。
はなからいないと思っていたものが急に存在感を持ったら、誰だって戸惑う。
「何なんだよ…今さら…。せっかくやっと穏やかな毎日を手に入れたっていうのに…」
いらない、父親なんかいらない。
そんなの存在しなくていい。
いるなら消えてなくなってくれ、と稜央は思った。
* * *
「え…稜央くん、出て行っちゃったって…」
時間通りに稜央の家まで来た萌花は、母の桜子に稜央が出ていってしまったことを告げられた。
「ごめんね萌花さん、電源切ってるみたいで連絡も取れなくて…。せっかくの日なのに」
「萌花さん、ごめんなさい…」
桜子の足元で陽菜も申し訳無さそうに謝った。
「私、探してきます」
稜央の家を飛び出した萌花にはあてがあった。
ここから高校までは徒歩で25分ほどだ。その道程を猛ダッシュで走る。
この街は12月でも雪が降るけれど、今夜も真っ白な雲が垂れ込め、凍てつく空気が張り詰めて、いつ降ってきてもおかしくない天気だった。
15分ほどで高校に着き、一目散に北校舎に向かう。
4階の音楽室に灯りはない。
1階の職員室に灯りがあったので、見つからないようにこっそりと通り抜け、4階まで駆け上がる。
音楽室の前で上がる息を整えた。
ドアに手を掛ける。
鍵がかかっていた。
細い窓から奥を覗いてみるが、真っ暗でほとんど何もわからない。
耳をそばだてる。
「稜央くん…」
恐る恐るドアをノックしながら呼びかけた。
「稜央くん、いるんでしょう? ここ開けて」
部屋の奥の方で呻くような声が微かに聞こえた。
「稜央くんお願い、開けて」
萌花は先程よりも強くドアを叩いた。
するとしばらくして奥から影が近づいて来るのが窓から見えた。
稜央だ。
そして鍵の外される音がした。
萌花は勢いよくドアを開けた。
「稜央くん…!」
稜央を抱きしめると、その身体はふらりと覚束なかった。
「どうしたの? 何があったの?」
後ろに倒れる稜央に引きずられるように萌花も彼の上に倒れ込んだ。
稜央の瞳を覗き込んだけれど、まるで出逢った頃のように虚無だった。
頬に触れると、涙の跡があった。
「稜央くん…一体どうしたの?」
「今さら…」
「え…?」
「今さら…いらねんだよ…出てくるんじゃねぇよ…」
萌花はまだ何のことなのかさっぱり分からなかった。
#27へつづく
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