【連載小説】明日なき暴走の果てに 第2章 #2
遼太郎の表情を見てさすがに正宗も言い過ぎたと思ったか、話題を変えた。
「そういや弓道は続けてるんか」
「いや、卒業してからはサッパリだ」
「お前、成人式の時も地元に帰らんで、三十三間堂で通し矢*に出とったしな。俺が観に行ってやったの覚えとるか」
「覚えてるよ。その後しこたま酒呑んだじゃないか」
「そやそや。よう呑んだなぁ、あん時は。実家の悪口アテにしたりしてな。あん頃からお前、酒めちゃめちゃ強うて酒蔵の息子の俺が先に潰れて、面子も丸つぶれやったろ」
そう言って正宗は豪快に笑った。
「俺だってあの時は翌日、相当やばかったぞ」
「俺の比やないやろ。にしても勿体ないな。お前は弓道やってる時だけは始終まともで、純粋にええ男やったからな」
「正宗、いちいち俺を落とすなよ」
「ハハハ、かんにんな。でも今は真面目に褒めたやろ?」
正宗は既に顔を赤くし「遼太郎が持ってきた酒、そろそろ冷えたかな」と席を立った。
部屋を見回すと本当に学生の部屋のように大量の本があり、大体は数学書や哲学書だった。それ以外は余計なものが何もない。
ワークデスクと思しき机の上も、ノートパソコンが閉じられた状態で置かれているのみだった。
しばらくして正宗は酒の瓶と新たな肴を盆に載せて戻ってきた。先程から料理、器、盃などは部屋の他のものとは裏腹にかなり気を遣い、上質なものばかりだった。
「京の夏野菜の浅漬、ちょっと炙った万願寺とうがらし。あと豆腐。ベタやけどえぇやろ」
「ありがとう。何でも嬉しいよ」
「俺、順番間違うたな。こっちが前菜で昆布〆がメインディッシュやったのに、先に昆布〆出してしもうたわ」
「腹に入れば一緒だ」
「そうでもないんやで。食べる順番言うのは大事なんやで」
豆腐は塩を軽く振っただけで、大豆の風味が非常に濃く格別だった。漬物は茄子だった。
おそらく正宗なりに東京からわざわざ呼び寄せた友人のために、精一杯もてなしの準備をしてくれたのだろう。
「お前、店でも出したらどうだ」
冗談半分本気半分でそう言うと、正宗は満足そうに口角を上げ「品を出す順番を間違うとるうちはムリやな」と笑い、遼太郎が持参した酒を手酌すると一息に煽った。
「なぁ、お前の嫁はんと子供に会うてみたいわ。どんな人なんかめっちゃ興味あるわ」
「東京に遊びに来ればいいじゃないか。それこそ久しぶりだろう?」
「お前が家族連れて京都遊びに来たらえぇやんか。京都は日本有数の観光地やで。それくらい家族サービスしてやり」
「かたくなに東京に来ないつもりか」
「そんなんやないわ。本心で言ってるんやし。子供連れて京都観光しなはれ、と」
「修学旅行でも行くだろう」
「今どきの東京の学校は京都なんか選ばへんやろ」
遼太郎は正宗の腹を探った。
遼太郎と同様に家から離れたくて実家を出て東京まで出てきたのに、修士を取った後、ひっそりと戻っていたこと。
東京に出てくるのは前向きでないこと。
突然自分を呼び寄せたこと…。
「まぁいい、考えておく。真夏と真冬は避けるからな」
「賢明や。侘び寂びがわかる年頃になるまでは春とか秋とかわかりやすい時期に来たらえぇ」
「それより正宗、俺が言うことじゃないかもしれないが、家とは連絡取ってるのか?」
「そんなん…この状況見たらわかるやろ」
「敢えてこの状況にしているのかと思ったんだが…。まぁそういうことか」
「あぁそうか。嫁さんもろて子供も出来たってことは、お前さんは家とは和解したんやな?」
「和解…ただ月並みの挨拶をしただけだがな」
「相変わらずなんか」
「今さらどう距離を詰めろと? あいつらは相変わらずだぞ」
「お前が心底かわいがってた弟はまだ実家におるんやないのか?」
「弟は今は東京に…俺の家の近くに住んでいる」
遼太郎は自分の弟が近所に住まうことになった経緯を簡単に話した。
「そうか…そっちはまぁ良かった、ってことなんやろな。俺は両親同様、弟たちとも何も連絡取ってへん」
「家の酒もまだ飲めず、か」
遼太郎はテーブルの上の空になった京都の酒の瓶を見て言った。
「どの面下げて呑める言うんや」
吐き捨てるように正宗は言った。
* * *
畳の上に大の字に寝転ぶ正宗。遼太郎は簾を上げて窓の外を見た。
既に日が傾き、蜩の鳴き声が遠くで聞こえる。
「わりと涼しいな、夕方は」
「たまたまやで。普段はほんま暑い暑い。今日はおてんとさんも遼太郎のためにご配慮したんやなかろか」
フフッと遼太郎は笑い、再び西の空を見た。
「泊まるとこ、どこ取ったんや」
「京都駅にくっついてるとこだよ」
「グランヴィアか。そうか、また戻らなあかんのか。悪いな。うちに泊まってもろても良かったんやけど、なんせ狭いもんやから大の男が真夏にぎゅうぎゅうになって寝るのもなぁ思うて」
そう言って正宗は笑った。
「明日はもうちょっと健康的に過ごそ。お寺さん周って鴨川でも散歩して…。そや、銭湯でも行こか。風呂の後は予約してある床*に行く…最高やろ?」
「いいな、それ。明日は迎えに来てくれるんだろ?」
「何甘ったれとんねん。今の世の中はGoogle Mapのお陰で、初めての場所かて誰でも目的地まで行けるやろ」
「お前はおてんとさんと違って客人を迎える態度じゃないな」
「俺のこと一番よう知っとるのは遼太郎やし。そんな気の利く男でないことくらい」
遼太郎はその言葉にハッとする。
20年近く会っていなかったというのに、正宗は自分のことを "一番よく知っている" と表した。
心許した友が他にいないということを示唆しているのか。
そして正宗は自分より何倍も気の利く男である。
改めて遼太郎は考えた。
なぜ正宗が自分を今このタイミングで呼んだのかを。
「なぁ正宗」
窓を背に向き直ると、正宗は口角を上げ大の字のまま、目を閉じていた。
「…寝てるのか?」
しばらく黙っていた正宗だったが、ふいに「フフフ」と笑いを漏らし、言った。
「明日も楽しみやなぁ」
遼太郎はため息をつき、3日間もあるから、まぁ焦らなくてもいいか、と思い直した。
第2章#3 へつづく