あなたがそばにいれば #5
Haruhiko
年も明けた1月下旬。
義兄の遼太郎さん(僕は以前遼さんと呼んでいたが、おにいちゃんに憧れていたので "義兄さん" と呼んでいる)が、出張で10日間ドイツに行くことになり「遊びに行ってやって」という連絡と、夏希姉さんから「久々にウチでご飯作って」と連絡がほぼ同時に来た。
口裏を合わせていないのだとしたら、本当に一心同体の夫婦だな、と思う。
* * *
そんなこんなで義兄さんが発った木曜の夜。
僕は飼い猫のロドリーグを連れて姉さんの家に行った。
「春彦、ありがとね。ロドリーグ、いらっしゃーい」
ロシアンブルーのロドリーグは雄のくせに(?)義兄さんのことが大好きで、案の定、入るなり部屋のあちこちを歩き回って義兄さんを探しているようだった。
義兄さんはロドリーグを何故か「ロドリゲス」と呼んで、こっそりオヤツをあげるらしいので、多分この家の主だと思っている(まぁ主なことは合ってるんだけど)。
姉さんがいくら「あげすぎはダメ!」って怒っても、義兄さんは懲りないらしい。
そして猫だけでなく、娘の梨沙にもめっちゃ甘いと、いつか姉さんはこぼしていた。
義兄さんは、そういう人。
ロドリーグは義兄さんがどこにも居ないと悟ると代わりと言っては何だが、床で遊んでいた姪っ子・梨沙に近寄って行った。
猫のくせにお兄さんらしく(?)振る舞っているつもりのようで、何でも触りたがりだという梨沙に大人しく触られまくっている。
* * *
以前、僕と姉さんは両親が遺してくれたこのマンションに2人で住んでいた。
姉さんの結婚を機に僕が家を出て、姉さん夫婦に住んでもらうことにした。
義兄さんは初めは断ったけれど、2LDKは僕一人には広すぎるし、義兄さんも3年半のドイツ赴任から戻って部屋探しも大変だろうということで、了承してもらった。
姪っ子の梨沙も生まれて、しばらくして手狭になったら、その時は僕が嫁さん連れて戻ってくる…と言う話になっているけど、僕は結婚はおろか、まだ彼女さえいない…。
僕もうすぐ32になるっていうのに…。
これでも10代・20代中盤までは彼女が途切れたこと、なかったんだよ!?
まぁそれは置いといて…。
久しぶりに姉弟での家ご飯。姉さんは「とにかく肉がいい」と言う。
フライパンで作るローストビーフのために、奮発して牛のモモ肉を買っていった。
赤ワインのボトルも用意して行ったが、
「あれ、飲まないの?」
「うん、ちょっとやめておく。ノンアルコール買ってあるから」
「…え、もしかして」
姉さんは少し困惑した顔をした。
「まだわかったばかりだから」
つまりその、梨沙の妹か弟、と言うことだ。
「義兄さんは知ってるんでしょ?」
「もちろんよ。出張行くこと決まった後にわかったから、出張辞めるって言い出したんだけど、大袈裟だからって行ってもらったの」
「お…おめでとう! まだ早いかもだけど。だから義兄さんも僕に "出来れば俺が居ない間ずっと泊まってくれ" なんて言ってたのか」
「そんなこと言ってたの? 本当に大袈裟ね」
僕たちは笑い合った。
「義兄さん、まだ僕の部屋使ってるの?」
「そうよ」
「子供生まれたから今は仕方ないにしても、新婚当初から部屋を別々にするなんて驚いたけどな」
義兄さんは僕がこの家を出る時、僕の部屋をそのまま使うと言い出した。
大きめのベッドを使っていたので、流石に一人暮らし先でこんな大きなベッドは使えないから、廃棄して買い直すと言ったら、義兄さんがそのまま自分で使うと言うのだ。
『えっ、でも姉さんと一緒の部屋にするんでしょ?』
『いや、別々にする』
『なんで? 新婚さんだよ?』
僕は全く理解出来なかったが、姉さんとは既に話をつけていて、姉さんも了承済みとのことだった。
「姉さん寂しくなかった? 部屋は別々でベッドも別々なんて言われて」
「まぁ…でもすぐそこにいるし。夫婦円満の秘訣は別々のベッドで寝ることだってどこかで情報仕入れてきたみたいで」
姉さんは苦笑いしたが、本当にそれだけの理由で納得したのだろうか。
日本とドイツ、国際遠距離恋愛中の2人の絆の強さを感じていただけに、新婚生活がそんなドライだとは意外だった。
僕の考えが古いのかな…。
僕が一番若いのにな…。
ま、いっか…。
義兄さんが結婚前ドイツに赴任している間、離れていても姉さんへの強い想いは変わらないと話してくれたことがあった。
姉さんも会えなくて寂しくて荒れる日もあったけど、3年半も耐えた(実際には2年半経った時に入籍した。義兄さんの本帰国前のことだ)。
「部屋は別々でも避けているわけじゃないし、一緒にいたいって言えばいつでもそうしてくれたし」
「まぁ…梨沙も生まれたし2人目も出来たのだから…そうだろうけど」
姉さんはしばらく言いづらそうにしていたけれど、やがて明かしてくれた。
「一人の部屋がいいって言う理由は他にもいくつかあってね。私のこと気遣ってくれているのよ」
「何? いびきが凄いとか?」
姉さんは笑って否定した。
「まぁ遠からずって感じだけど…。詳しくは遼太郎さんがいないのに悪いから言えないけど」
「まぁ…姉さんが良かったんならいいけどね」
姉さんは頬杖をついて、戯れるロドリーグと梨沙をぼんやりと見やった。
「梨沙、そろそろ寝ないと」
声をかけられた梨沙はそれでもロドリーグにかまっているが、ロドリーグの方が言葉を理解したのか。引き下がった。
梨沙は1歳半になってちょいちょい歩くらしいが、とても大人しい。
「最近絵を描くのが好きみたいなのよ、梨沙」
「へぇー、じゃあ僕、今度クレヨンでもプレゼントしようか?」
「遼太郎さんがドイツで画材を買ってくるって言ってたな。でも日本ぽい色の色鉛筆とかいいかもね」
「じゃあ今度見繕うよ! へぇ、大人しい上に絵を描くの好きなんて、なんか芸術肌だね!」
僕の言葉に姉さんは少し思案した様子だった。そして言った。
「梨沙が大人しいの、すごく気にしてるんだよね、遼太郎さん」
「どうして? 大人しいのは手がかからなくていい子なのかなって思ってたけど」
姉さんは梨沙を抱きかかえて、「ちょっと寝かし付けてくるね」と言って自分の部屋に入っていった。
僕の方はロドリーグを抱きかかえ、仕方なく1人で飲むことになってしまったボトルの赤ワインを注ぎ足し飲んだ。
しばらくして姉さんが戻ってくる。
「寝た?」
「うん」
「さっき話の途中が気になって…なんで義兄さんは大人しい梨沙を気にしてるの?」
姉さんは少し言いにくそうにした。
「まぁ…しゃべるのが遅くならないか、とか、そんな感じ」
「えぇ…つまり発達障がいとか?」
義兄さんの弟…つまり義理の弟の隆次くんがASD(自閉症スペクトラム)なのは知ってる。彼と面識ももちろんある。
でも義兄さんも姉さんも何ともないよ?
「とにかく遼太郎さん、会社から飛んで帰ってきて、梨沙につきっきりなのよ。お風呂も進んで入れてくれるし。むしろ日中は私が梨沙にべっとりなんだから、俺がいる時間は俺と梨沙の時間だ、くらいの勢いよ」
「義兄さんは意外と心配性なんだね。父親になったから責任感が増したのかな? それとも姉さんに妬きもちを妬かせたいのかな?」
姉さんは明言せず、小さく微笑んだだけだった。
#6へつづく
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