【連載小説】Berlin, a girl, pretty savage ~Moment's Notice #9
『パパ?』
午前0時の、いつもの梨沙からの電話。きちんと連絡が来るのは稜央からの電話で梨沙と会ったと衝撃の連絡を受けて以来、3日ぶりだった。
「今日は出かけなかったのか」
『うん…』
「ずいぶん大人しいな。3日もかけてこないなんて梨沙らしくない。何かあったのか? ちゃんと夜眠れてるのか?」
『パパ、あのね』
梨沙は改まって、小さく息を吸うと言った。
『好きな人が出来たの』
遼太郎の鼓動は再び大きな音を立てる。このタイミングで?
「へぇ、唐突だな。クラスメイトか?」
『ううん、旅行客、日本人』
身体中の毛穴が開くかのようにカッと熱くなる。この前と同じように。
「旅行客?」
『この前モールに行ったときに、その人ピアノを弾いていたの。パパが昔聴いていた曲弾いてて。それで…』
愕然とした。
稜央のことだ。アイツの話と合致している。
『その人…すごくパパに似てるの。一目惚れしたの』
「梨沙…」
『パパ以外の人、見つけられたの。もうパパを困らせなくて済む』
遼太郎は目の前が真っ暗になった。何ということか。
「でもそんな…ゆきずりの旅人なんだろう? もう会えないかもしれない」
『連絡先は教えてもらった。私が日本に帰ったら会うつもり』
「梨沙」
遼太郎の口調は鋭くなる。
「素性をよく知らない人に連絡先交換したり、ふらふら会いに行ったりするな」
『これから知っていくんだもん』
「梨沙!」
怒鳴られ、梨沙は驚いた。
「梨沙、自分で言っただろう。留学中でもいい成績取って、ちゃんと全うすると。変なことに現を抜かさないでくれ」
『変なこと?』
「梨沙は好きなことになるとそれで頭がいっぱいになるからな。他のことが手につかなくなると困るんだ」
『パパは、私に好きな人が出来ること、反対なの?』
「…」
遼太郎は何と答えようか考え黙り込む。
『パパ、前に言ったじゃない。俺以外の誰かを好きになる努力をしろって。それが現れたのに、そんなこと言うなんて』
「その男、俺に似ているから好きになった言ったな」
『うん』
「お前はその男に俺の代わりを求めるんだろうけど、見た目が似ているだけで選ぶと、中身とのギャップに苦しむことになる。彼は俺じゃないからな」
『でも…』
「でも、じゃない。そういう理由で選ぶのならやめておけ。いつか傷つく事になる」
『パパ…』
梨沙はまさかこんな風に反対されるとは思ってもみなかった。むしろ喜んでくれると思っていた。
「とにかくそいつの事は忘れた方がいい」
そう言って電話を切った後、遼太郎は手が震えているのがわかった。
"好きな人、出来たの。
パパ以外の人、見つけられた"
嘘だろ?
悪い冗談だろ、やめてくれよ。
*
遼太郎は時計を見やる。アイツはもう帰国しているのだろうか。
メッセージを送ったが既読は付かない。移動中か、まだWi-Fiがつながる環境にいないということか。
遼太郎は頭を抱えた。
梨沙が稜央を好きになっただと?
どうして稜央なんだ。世の中にこれだけ人が溢れていて、出逢う確率の方が断然低いはずの2人が。どうして。
遼太郎はヴォイスメッセージを送り、なかなか寝付くことが出来なかった。
***
稜央はメッセージの着信を見て気まずい思いがした。おそらく梨沙の件だ。
昨日、交番から引き取った梨沙は稜央にすがりつき子供のように泣きじゃくっていた。
『梨沙ちゃん、泣かないで』
そうなだめてもわんわんと泣き続ける。
稜央のもう一人の妹、陽菜が高校生の時の方がよっぽど大人だったなと思う。彼女は小学生の頃から、いやもっと小さい頃からとてもしっかりしていた。大違いだ、と思った。
『家までちゃんと帰れる?』
顔を覗き込んで尋ねると、梨沙は泣きはらした顔を向け、声もなく頷いた。
『どうやって帰る? 乗り場まで送るよ』
『ね、稜央さん、どうして戻ってきてくれたの?』
どうしてだろう。わからない。
そもそもどうして待ち合わせ場所に来たんだ、僕は。
二度と接触するなと父に言われ、そんなこと当たり前だろう、と心の底から思ったはずなのに。
『なんとなく…いや、わからない』
『でも…ありがとう』
思いがけず梨沙が礼を言うので、稜央も戸惑った。
『電車に乗りそびれちゃったね。私のせいで』
『いいんだ、別にかっちり予定を決めて動いているわけじゃないから』
梨沙は稜央のコートの袖を摑んだ。
『メール、絶対に送ったらだめ?』
『…返信出来るとは限らないけど…』
『それでもいい』
稜央は梨沙の手を取り、そっと袖からといた。彼女の素手は凍るように冷たかった。
『本当にもう、行くね』
『うん…』
稜央の背中に向かい梨沙は『よい旅を』と言った。
稜央はもう振り向かず、手だけを振った。
遼太郎との約束を破って会ってしまった。とはいえ、それだけだ。
教えた連絡先は捨てアドだし、メールが来ても無視すればいい。
住まいも特定されることはまずないだろう、東京から遠くはなれているのだから。
*
そうして稜央はミュンヘンに出た。ベルリンからここまで移動してきて、ミュンヘンの空港から帰国する予定だ。
遼太郎への返信をどうしようかと思った。しかし日本は深夜だ。さすがに今は避けた方がいいだろうと思い、朝一で連絡すればいいと思ってた。
しかしまたしばらくしてメッセージの着信がある。今度はヴォイスメッセージだ。相当切羽詰まった様子だ。
しばらく思い悩んだ末、電話を掛けた。
すぐに出た。
「父さん…そっち真夜中なんじゃないの? どうしたの?」
恐る恐る尋ねると、今までに聞いたことのない程の弱々しい声が聞こえてきた。
『梨沙が…お前を好きになったと、告げてきた』
「えっ…?」
そんな、まさか。
「え…ちょっと、それって…」
『お前に一目惚れしたらしい』
ほんのひととき会って話して、ピアノを聴かせて…それくらいだったのに。
しかもそれを父親に告げたのか。よりによって。
驚いた。
「どうして…。特に一緒に歩いたり食事をしたりしたわけでもないんだよ。本当にほんの2~30分、話したくらいなのに」
『連絡先を教えてもらったと言っていたぞ。話が違うじゃないか』
「そ…それは…捨てアドを教えただけで、いつでも連絡が取れるって言うわけじゃないんだ」
苦しい言い訳に対し、長い溜息が聞こえてくる。稜央は何と言えばよいかと逡巡した。
『梨沙には忘れてもらうしかない』
「…どうやって」
『時間しかないだろう』
そのためにも絶対に接点を持たないことだ、と改めて遼太郎は念を押した。
「でも俺、彼女にとってはおじさんじゃないか。高校生が30過ぎの男を好いてくるなんて、そんな…」
『理由は明らかだ。お前が俺に似ているからだよ』
「…えっ…」
『俺が言うのも恥ずかしい話だが、あいつは筋金入りのファザコンだ。お前が俺に似ているから、一目惚れしたんだとさ』
確かに、ある種の娘は異性に父の面影を探すことがあると聞いたことがある。梨沙もそのタイプなのかと思ったが、梨沙の場合、それが逸脱していることを稜央はまだ知らない。
#10へつづく