Bitter Cold -3.What are you looking at?
隣の駅の静かな住宅地にある、彼の部屋。
出会ってから2ヶ月、私も高校3年生になっていた春。
初めて呼んでくれた。
普段の服装のイメージ通り、スッキリと片付いた部屋。
自炊もしっかりすると聞いていたけれど、キッチンの調理器具もきちんと並べられていて、とても清潔だった。
私は窓の外が見える向きで座る。
緊張で、外の景色でも見てるフリをしないと、挙動不審になりそうだったから。
窓の外は公園の桜の淡い白、そして園内の池が見える。
彼はお茶を淹れてくれた。
同僚がお土産でくれたという台湾のお茶は、ティーポットの中で花を咲かせていた。
こういう物も持ってるんだ。彼女が使っているのかな。
そう思っていた。
スピーカーから小さな音量で音楽が流れている。
「これなんの曲?」
そう訊くと彼は "シャンソンかな" と答えた。
「結構好きなんです。ヨーロッパの曲」
「へぇ、行ったことあるの?」
「大学の卒業旅行はドイツ・フランス・イタリアだった・ベタでしょう」
「いいな羨ましいヨーロッパ。私は修学旅行でオーストラリアしか行ったことない」
「オーストラリアだっていいじゃないですか。コアラ抱いた?」
「コアラ好きじゃない」
「どうして? 初めて聞いたそんな人」
なんて、くだらない会話をした。お互い恥ずかしかったんだと思う。
閉鎖的な空間の2人は、その時が初めてだったから。
会話が途切れて、2人の間を音楽が流れる。
彼は窓の外を眺めていた。
私は、ハッと息を呑む。
私が好きなその目、その顔。
初めて彼を見たあの日、車窓の向こうを、同じようにこんな感じで見ていた。
胸がぎゅぅっと締め付けられた。
彼の視線の先に妬いた。
"視線の先?なにそれ?"
頭の中で、冷静な自分が問う。
"何を見ているの?"
声に出していたのも気づかなかった。
彼は「えっ?」と驚いたように目を丸くして私を見た。
「あぁ、外はお花見で混んでいるんだろうなぁって」
彼はふっと微笑んでそう言うと、再び目を細めて窓の外を遠く眺めた。
違う。そうじゃない。
そんなんだったら、こんな苦しい、変な気持ちにならない。
きっと私は変な顔をしていたんだと思う。
再び彼は、さっきよりもちょっと真面目な顔で「どうしました?」と訊いた。
どう答えていいかわからなくて、黙っていた。
すると彼は私の側に来て私の頭を抱きかかえた。
心臓が爆発するかと思った。
薄いシャツ越しに彼の体の温かさが背中から伝わる。
私の身体を正面に向けさせ、私も両腕を彼の背中に回すと、彼の身体の細さに驚いた。
ハグは初めてではなかったけれど、今まではコート越しだったのもあって、こんなにダイレクトに彼の身体を感じたことなかった。
彼の鼓動に、耳を押し当てる。
匂いをかぐ。
目を閉じる。
あったかいな、と思う。
「変な顔してましたよ。なにかあった?」
頭の上で彼の声がくぐもって聞こえる。その手は私の髪をくしゃくしゃと弄んでいる。
「何見てるのかなって、思って…」
「その話?」
私は彼を見上げた。彼の通った鼻筋が目の前にある。
その目が私を見下ろす。
射抜かれる。
あぁ、もうだめだ。
再び目を閉じた。
頬にキスされ、すぐに唇同士が触れる。
あ。と思った。
彼の手が私の頭から頬に下り、首筋を撫でたところでテーブルの上の彼のスマホが一瞬震えた。
それに反応したのは、私の方だった。
「なんか来てるよ」
彼は私を抱きかかえたまま、スマホに手を伸ばした。
画面に目をやり、返信するでもなく、画面を下にして再びテーブルに置いた。
そして、何も言わない。
「返事、しなくていいの?」
私の頭は彼の胸に完全に抱え込まれていて、その状態で訊く。
彼は両手で私の頬を包み、問には答えず真っ直ぐに私を見つめて言った。
「僕が何を見ているかって、どうしてそんなに気になるの」
ズルい。話を逸らした。
私は唇を噛み締めた。
彼はなおも私をじっと見つめた後、きつく閉じられた私の唇を指でほぐして、またキス。
私は彼の瞳に映る、私を見た。
"私は、あなたの目に映るものが見たいの"
声には、出せなかった。
* * *
夕方、家の近くまで送ってくれるというので、並んで歩いた。
1駅だけだし、歩きたい、と私が提案した。
あのメッセージ着信以降、やはり少しぎこちなくなった。
薄くて透明な壁が現れたみたいな。
明らかに気まずい感じ。
私が勝手に作っただけだと思うけど。
「ね、私、同じ大学受ける。あなたの後輩になるよ」
突然そう言ったら、彼はいつもの困ったような笑顔を浮かべた。
"そんな決め方でいいの?" って言いたげ。
でも、何も言わなかった。
私は、その困ったような笑顔が大好き。
私の家の少し手前で、彼は立ち止まった。
僕はここで、と言った後
「大学はじっくり考えなさい」
柔らかな表情だけど、ここぞとばかりに上から目線な言い方をし、私の髪をくしゃくしゃと撫でた。
そして、じゃあまた、と右手を挙げて去っていった。
私はそのまま立ち尽くし、彼の背中を見送った。
彼は一度だけ振り返り "早く家に入りなさい" と手でジェスチャーした。
4月の夕暮れ時、風はまだ冷たい。
同じ大学に行ったら、同じ景色が見られる。同じ空気を感じられる。
少し、あなたに近づける気がする。
当時の私はそのことに、今は必死で。
ー あなたの目に映るものを、私も見たいの。どうしても。
つづく