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【短編】カーニバル・後編
伏見稲荷を出て再び電車に乗り、特にあてもなかったので終点・出町柳駅まで出た。
駅を降りれば賀茂川と高野川の交わる鴨川デルタが目の前にある。
賀茂大橋を渡れば京都御所。
ここも正宗と一緒に歩いた所だ。
俺たちは橋は渡らず、土手に降りて川沿いを下っていった。あの時と同じように土手には多くの若者や家族連れがそぞろに歩いたり、等間隔で腰を下ろし和やかな時を過ごしている。
日も傾き始め日差しは緩んだが、まだまだムッとする熱気がこの盆地を包み込んでいる。
「僕もう疲れたよ」
一番幼い蓮が音を上げたので、俺たちも空いているスペースに腰を下ろした。が、
「暑いし、どっか店に入ろうよ」
と更に弱音を吐く。
「私はいい。ここにいる」
元々川沿いやら土手が好きな梨沙はそう突っぱねた。蓮に反発したいだけ、というのもあるかもしれない。
「そうしたら私、蓮と一緒にちょっとその辺でお茶でもしてようかな」
夏希がそう言って蓮の手を引いた。「ね、そうしよ」
彼女は俺に気遣ったのだと思った。
うん、と母親の手を取って蓮は立ち上がる。
「じゃあ、適当に連絡して」
「うん、わかった」
2人は来た道を戻ると橋を渡って行った。俺と梨沙はそのまま足を投げ出して寛いだ。
「梨沙は川べりが好きだもんな。ここも気に入った?」
「うん」
対岸の川沿いに軒を連ねる川床は夜の宴の準備中だ。
数年前、あの一角で俺たちは最後の夜を過ごしていた。
あの時の会話から、正宗に去来していたことを思うと、胸が詰まる。
「パパ」
不意に梨沙が呼んだ。
「なに?」
「パパのお友達、パパに助けてもらいたかったのかな」
川面を眺めながら梨沙はポツリと言った。
「…どうしてそう思う?」
「そのお友達、さっきからずっと一緒に来てる」
ギョッとし、思わず振り返った。
「え、梨沙、何言ってるの?」
「お墓からついて来てる。私達のこと、すごくニコニコして見てる」
「…まさか梨沙、何か見えてるってこと?」
膝を抱えた梨沙は俺を見、俺の周辺にも視線を巡らせた。
「顔とかはよくわからない。でもパパのお友達ってことはすぐにわかった。うまく言えないけど、優しそうっていうか、笑っているのわかる」
「正宗…」
俺は忙しなく見回してみたが、何も見えないし何も感じなかった。
梨沙に共感覚があることは知っていた。
幼い頃から絵を描く時に、凡人には見えないものが見えているのではないかと他人から言われたこともあるし、俺もそう感じることがあった。
まさか、そういうものまで?
「梨沙、それは色で見えてるの?」
「うん…そんな感じ」
「何色してるんだ?」
「…色っていうか…光みたいな。オレンジとか桃色とか金色とか、でも全部透けるくらい薄くて、キラキラ光ってる感じ」
胸が震えた。
「俺に助けてもらいたかったって、言ってるのか…?」
正宗が無念を残しているのだと思いそう訊くと、梨沙は少し黙ったのち「…そうでもないみたい」と言った。
「どうしてわかる? そう話しているのか?」
「…話してるわけじゃない。声もわからない。でも優しそうなのは感じるから。怒ったり、悲しんだりしてないってこと」
「こっちから何か話し掛けたら、答えてくれそうか?」
「…わからない…」
「そうか…」
梨沙の頭をそっと撫でる。
「梨沙…怖くないの?」
「どうして?」
「他の人には見えてないってこと、わかってる?」
梨沙は口籠ったが、やがて小さく頷いた。
「いつも見えてるのか? その…亡くなった人のこと」
それには首を横に振った。
「初めて。だからすごくびっくりした。でもすぐに怖くない人だってわかったから」
そして俺の顔をじっと見つめてから言った。
「私、やっぱりおかしいの?」
「おかしい? どうして?」
「日本の幼稚園では私のことおかしいっていう子がたくさんいた。先生もそうだった。でもベルリンでは誰も私をバカにしない」
「…そうか」
俺は梨沙の頭を抱き寄せた。
「ママたちの前で言わなかったのは、おかしいと思われると思ったからか?」
「うん」
そして梨沙は黙り込んだ。弟とはケンカばかりするし、母親には心を開かない。自分は異質なのだと思っているのだ。
そして俺とは同質なのだと感じ取っているから、俺のそばを離れないのかもしれない。
梨沙の背中を撫でてやりながら言った。
「ママたちもおかしいなんて思わないよ。我慢しなくていいんだよ」
「…」
「家族だから、安心していいんだ」
俺が言えた口ではないし、それだけで梨沙が納得するとも思えないけれど。
「それにしても梨沙は本当にすごい力を持っているんだな。自信持っていいんだぞ」
「自信?」
「自分を信じて進むことだ。私はすごい力を持っているんだって気分良く考えること。ただ今は自慢はしなくていい。幼稚園で嫌な思いをしたように、まだ少し早い。もう少し大人になったらわかってくれる人も出てくる」
「大人になるとわかってくれるの?」
「たくさんのことを知っていくからな。子供のうちはまだ知らないことがたくさんあるから、気味悪がったり、いじめたくなったりするんだよ」
「大人になったらいじめられない?」
「まぁ…大人になってもいじめるような奴がいたら "かわいそうな人なんだ" と思えばいい。世の中はみんなが幸せで満足しているわけじゃない。わかるか?」
「パパや、パパのお友達がそうだったみたいに?」
俺は言葉に詰まった。梨沙はどこまで『凡人が見えないもの』が見えているのか。
「でもパパのお友達は、今でもこうしてパパが会いに来て、幸せだよね」
「梨沙…」
娘を強く抱き締めると、見上げた先には茜色の空。
明日は送り火だ。
そうか。お盆だから正宗も帰ってきているのか。
正宗と2人でこの場所から見た夕焼けから、時は流れた。
俺には本当は何が出来たんだと問い続けた6年間だった。
「梨沙、また会いに来るか、京都に」
「パパが一緒なら、いいよ」
「もちろん一緒だよ。俺の友達なんだから」
「あ、また、笑ってるみたい」
振り向いてみても、やはり俺には何も見えない。
「何だかつれないな。梨沙には見えるのに俺には見えないなんて」
「パパも見たいの?」
「そりゃそうだよ」
「じゃあ後で描いてあげる」
「ほんとか? 嬉しいな」
じゃあママたちが待ってるから行こう、と立ち上がり梨沙の手を引いて歩き出そうとすると、金色の筋のような光が川面で眩く輝いた。
夕陽が反射したのだと思った。
* * *
宿に戻ると梨沙は早速タブレットを使って絵を描きだした。最初に描かれた線描で鴨川のほとりだとわかる。
ここから梨沙の独自の色彩感覚が発揮される。深い蒼に翠…幻想的な光景に変わっていく。
そしてその風景に、何本もの細い光の柱を描いていく。
まるで、カーニバルのように。
俺は「あっ」と声を挙げた。
そこに正宗が描かれているわけではない。ましてや人でもない。
けれどそれが正宗だと "感じた" 。
「パパ…」
梨沙が心配そうに俺の顔を覗き込み、頬に手のひらをあてた。いつの間にか零れていた涙を払ってくれた。
* * *
翌日は終日、京都市内を観光した。
夏希の話していた動物園。子供たちは意外にも興味を示さなかったので、平安神宮だとか金閣寺などを見て回った。
夜は五山送り火があるため、人混みは避けようと早めに宿に戻り、窓から眺めることにした。
初めて生で観る大文字焼き。家族で興奮したが、俺自身は感慨深いものがあった。
ふと、梨沙に小さな声で尋ねてる。
「梨沙、まだ正宗のこと、見えるか?」
すると黙って首を横に振る。
「そうか、じゃあもう無事に還っていったんだな」
「…寂しい?」
俺は首を横に振り、梨沙の頭に手を置いて言った。
「寂しくはないよ。ちゃんと還ったってことは、今は嫌なこともつらい思いもこの世に残していないってことだからね」
「そっか」
夏希が不思議そうな顔をしてチラリとこちらを見たが、すぐにまた窓の外に目をやった。
大文字焼きを見てはしゃいでいる蓮に向かって言う。
「お前が大人になったら、京都で酒呑もうな」
振り向くと蓮は「僕はお酒、飲まないよ」と言った。
「だから大人になってからだって」
「私はパパと呑む! 蓮なんかいなくなっていいじゃない!」
梨沙が俺に抱きついてそう言うと、蓮を威嚇するように睨みつけた。
「こら、喧嘩するな」
「遼太郎さんもお酒の話なんて…蓮はこれから小学校に上がるっていうのに」
夏希が呆れたように言う。
「すぐだよ。あっという間に大人になっていくよ」
その時、炎が消えゆく山の向こうに、糸のように細い光が空に向かって走るのを、見た。
正宗。
子供たちが成人したらまた夏に来るから、お前もこっちに戻ってきて、みんなで呑もう。
その時を待つ人生も悪くないなと思った。
END