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【連載小説】奴隷と女神 #6

その後も場は意外と盛り上がった。
末席にいる私と、西田部長以外は。

彼はこういう席が苦手なのかな。お酒もあまり進んでいない。強くはないのかな。

時折その横顔をチラチラと見ていたことに西田部長が気づいたか、不意にこちらを見つめて言った。

「楽しんでますか?」
「は、はい。西田部長は…」
「僕は…」

そこで桜井部長が「場所変えて2次会に行こう」と声を挙げた。私たちとは温度差がだいぶあるようだ。

「志帆、小桃李ことり、部長が奢ってくれるっていうから2次会どう?」

環がそう声をかけると志帆は「え~」と言いながらもまんざらではなさそうだった。
そこは「推しが待っているので☆」とはならないんだ…。

そんなこんなで部長らに会計をお任せして、私たち3人は先に店を出た。他の部長らも何人かは出てきて、店の前で立ち話をする。
西田部長も出てきたが、所在なさげに佇んでいる。

「じゃあ移動しま~す!」

環が号令をかけるとみんな移動していく。私はこっそりとそこから背を向けて帰ることにした。

その時私は確信していた。
西田部長も、あの輪の中には入らない、ということを。

しばらく歩き続け、振り向いた。

そこには西田部長が私の少し後をひとり、歩いていた。
目が合うと彼は一度立ち止まり、照れたような笑顔を浮かべて近づいてきた。

「僕も帰ります。良かったら駅まで一緒に」
「えっ、あ、はい…」

予感。
それは小さなものかもしれない。

「お会計、桜井部長が全部払ってくださったんですか?」
「まさか。割り勘ですよ」
「…私たちの席の分もですか?」
「そうですよ」
「…すみません、ありがとうございます」

頭を下げて謝ると彼はにっこりと微笑んだ。
それすらも素敵だなと思ってしまう。

「松澤さんはどこに住んでいるの?」
「私は目黒です」
「目黒、いいところですね」
「賃貸なんですけど、駅から微妙に遠いんですよね」
「そっか。そうしたらJRかな」
「私は三田線で通っているんです」
「じゃあ僕も今日は三田線で帰ろう」

まさか、と思った。嬉しくて鼓動が跳ねる。

「西田部長はどちらにお住まいなんですか。三田線沿いなんですか?」
「僕は南麻布です」
「えっ…南麻布って…すごく高級住宅街ですよね…」
「う~ん、でもメトロだと僕もどこの駅も微妙に遠くて。広尾と白金高輪の間くらいかな」
「そうなんですね…」

そこで会話が途切れたので何か話そうと糸口を探した。

「…飲み会とかって、奥様は寛容だったりするんですか?」

先程仕入れたばかりの情報を元に、訊いてみる。
西田部長は浮かない顔をした。

「まぁ、寛容と言えば寛容、なのかな…」
「そうなんですか。お家の話をされるのはあまり好きではないですか?」

私がそう言うと西田部長は少し驚いた顔をして私を見た。

「どうしてそんなこと思うんです?」
「さっきの飲み会でも西田部長、あまり乗り気でお話されていなかったから…」
「…よく気づきましたね」

彼は目を細めて言った。私は少し恥ずかしくなる。ずっと見てたと思われたかな、と思い。

「…そうなんですか?」
「気づいているなら訊かないでください」
「あ、ごめんなさい…」

メトロ入口の狭い階段を降りる。時期的なせいか、地下特有のむっとした匂いが一瞬鼻を突く。
西田部長が黙り込んでしまったので、なんとか話題を変えなければ、と私は必死になった。

「あぁいう飲み会も、西田部長は苦手ですか」

すると彼は口角を少しだけ上げて笑った。

「松澤さんが感じたことは、大体合ってると思っていいですよ」
「西田部長ってこの4月から昇格されたじゃないですか。私もこの4月から人事部に異動になったばかりで…」

そこまで言って特に意味もなく言い留めると、彼は続きを促すように私を見た。

「あ…なんか、環境に慣れていないせいもあるのかな、と思いまして…」
「松澤さんはまだ環境に慣れていないんですか? もう7月になったけど」
「あ、いえ、そんなことはないですが…」
「単純に、あのメンバーと飲むと疲れるんです。僕もまだ部長職としては下っ端だから最初のうちは大人しく従っておこうと思っているのだけれど、松澤さんの言うように環境に慣れることが出来ていないのかもしれないですね」

改札を抜けホームへ降りる。
方向が一緒だから、同じホームで電車が来るのを待つ。

電車はすぐにやって来た。隅の座席に並んで座る。西田部長は少し前屈み気味に。

「そういえば松澤さん、同期の子たちに、さっき何て呼ばれていたんですか?」
「私ですか? 小桃李ことりです」
「ことり? あだ名ですか?」
「いえ、本名です」
「本名? どんな字を書くの?」
「小さいに、桃に李…桜梅桃李おうばいとうりの桃李。それで小桃李ことり、です」

西田部長は目を細め、そして微笑んだ。

「素敵な名前ですね。ご両親が考えたんですか?」
「祖母が付けたと、聞いています。秋生まれなんですけど、秋は枯れていく季節で寂しいから、かわいい花の名前がいいって」

彼は背もたれに背を預ける。

「桜梅桃李…、それぞれが独自の花を咲かせるっていう意味ですよね。最近よく聞く "みんな違ってみんないい" みたいなニュアンスがあったりしますけど」
「はい。そこまでの意味が込められたのかはわかりませんが」
「込められているんじゃないですか?」
「えっ…?」

思わず西田部長の顔を見ると、彼は前を向いたままほんのりと微笑んだ。

「あまり長いものに巻かれようともせず、右向け右をするわけでもない…私は私、っていう意志が感じられます」
「そんなこと…」
「こうして松澤さんは同期が誘っても、部長たちがご馳走してくれるという2次会に行かず、帰ってるじゃないですか」
「それは…私もなんか疲れちゃって。でも普段は全然、巻かれてます。自分で考えたり決めたりするの放棄しちゃうっていうか。同期の2人の後をついていってるだけなんです」
「そうなの?」

ドキリとする。

「そうなの?」と西田部長が言った時に、少しだけ私の方を見て言ったその声、その目に。

「松澤さんは真面目そうですからね。あまり周囲の雰囲気を乱すようなことを好まないのかな」
「それも…そんなこと、ないです」
「どうやら僕の方は松澤さんを見る目がないみたいだな」

西田部長はそう言って笑った。

やがて彼の降りる駅に着き「じゃあお疲れ様」と言って降りていった。
私は素早く座席を、彼が座っていた場所に移った。




#7へつづく

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