【連載】運命の扉 宿命の旋律 #5
Prelude - 前奏曲 -
授業の合間の10分休憩。
外は梅雨空。
小雨が降ったり止んだりしている。
教室の窓際後方にある萌花の席に、仲良くなったクラスメートの女子が2人集まってきた。
休み時間の他愛もない話。
萌花はそんな風に友達とはしゃいでいても、心は別の場所に飛んでいる。
教室を見回す振りして、廊下側後方の川嶋稜央の席に目を向け、またその先へ視線を飛ばす。
稜央は席にいない。
開いた扉の向こう、廊下の窓辺にもたれて本を読んでいた。
何の本かはよく見えない。
"今はどんなもの読んでるんだろう?"
萌花は本を持つ稜央の指が細くて長いことを知った。
あの指であの日、ピアノを弾いていた。
"そうだろうな、あの指だったら、そうだろうな"
「萌花、どしたの? 聞いてる?」
はっと我に返る。クラスメートが怪訝な顔して萌花の視線の先を追った。
「なんか…あった?」
幸い、彼女の口から稜央の名前は出なかった。
「何でもない。課題の英訳を忘れちゃったなって思い出しちゃって」
そう言い訳をするとちょうどチャイムが鳴った。
自席に戻る友人らにホッと胸をなで下ろす。
そして再び、稜央に目を向ける。
彼は席について読んでいた本をカバンの中にしまい、代わりにテキストを机の上に置いた。
稜央は休み時間に誰かと過ごすことは殆どない。
あぁして廊下に出て本を読んでいたり、全く姿を消してしまったりする。
萌花はそんな稜央をいつも目で追うようになっていた。
線が細く、どこか憂いを纏ったような目は、亡き兄の面影に近いような気もした。
"もう一度聴いてみたい。彼が弾くピアノを、ちゃんと聴いてみたい"
そう強く思うようになっていた。
* * *
放課後。
萌花は教室を出ていく稜央の跡をこっそり付けた。
彼の足は真っ直ぐに北校舎へ向かっていた。
音楽室へ行くのだな、と直感する。
萌花の胸は早鐘を撞くように高鳴っていた。
「か、川嶋くん」
北校舎階段を登ろうとしているところへ、背後から勇気を出して声をかけた。
稜央は振り返り、怪訝な顔をした。
「また…音楽室、行くの?」
「行ったらダメなの」
この時萌花は、そういえば稜央の声を初めてまともに聞いた、と思った。
思った以上に艶があって、落ち着いた声だった。
「そうじゃなくて…」
萌花は何と言ってよいかわからない。ただどうしても話してみたくて声をかけた。
何を話したら良いか、よくわからないままに。
萌花がモゾモゾしているうちに、稜央はそれを無視して階段を登り始めた。
「あ、待って」
「何だよ」
棘を含んだ稜央の声に萌花は怯んでしまう。
「その…、川嶋くんが弾くピアノ、ちゃんと聴いてみたいなって思って」
そう言うと稜央は血相を変えた。みるみる怒りがこみ上げるようだった。
稜央は何とも言わず、階段を駆け下り萌花の横を強引に駆け去ろうとした。
「行かないの!?」
やはり稜央は答えること無く、廊下の向こうへ消えてしまった。
どうして稜央をあんな態度にさせたのかを考えると、理由が分からず萌花は悲しくなった。
「ピアノのこと、触れられたくないのかな…」
萌花はとぼとぼと教室に戻った。稜央の姿はない。
ため息をついて、カバンを手にして下校することにした。
仲良しの佐々木結衣は既にバドミントン部に入って忙しい放課後を送っている。
結衣の部活がある時は一人で下校する。
それにしてもどうして彼はあそこまで血相を変えたのか。
彼が弾いている最中に出くわした時も、逃げるように走り去ってしまったし。
聴かれたくないのだろうか。
あんなに上手いのに。
堂々巡りに萌花は何度も深いため息をついた。
* * *
稜央を強く意識するようになってから、彼が目立たないながらもいかに優秀なのかを更に思い知った。
英語の音読では見事な発音を披露する。耳が良い証拠だろう。
国語の成績はクラスで常にトップなのに、数学も悪くはなかった。強いて言うなら生物学は苦手のようだった。
体育はズバ抜けて良いという程ではなかった。
彼の得意なはずの音楽の授業は、いつも退屈そうにしていた。あるいは、居心地悪そうにしていた。
そして昼休みはいつも姿を消してしまう。萌花も友達に捕まって、稜央がどこでどうしているのかはわからなかった。
"もしかしたら音楽室にいるのかな"
萌花の昼休みはいつも友達の話からは上の空だった。
* * *
まるで呪文にかかったように、萌花の心は稜央に囚われてしまった。
しかし恋とはそういうものである。
自ら呪文によって落ちていくのが恋である。
#6へつづく