【連載小説】明日なき暴走の果てに 第3章 #2
結局一睡もできないまま朝を迎え、開庁時間を待って区役所に電話を入れた。
無縁仏に関する問い合わせをすると名前の照合があり、どうやらそこにいるらしかった。
朝食も取らずにタクシーで区役所へ向う。
職員が案内をしてくれ、役所の奥のひっそりとしたスペースに案内された。
既に火葬が済んでおり、骨壺に名前と住所の札が下がっている。
「正宗…」
壺に触れるとひんやりと冷たく、思わず遼太郎は手を引っ込めた。
「お前…本当なのか?」
『家族連れて京都観光しなはれや。子供に京都見せてやり』
正宗の声が甦る。正宗が作った酒の肴の味も思い出す。
うっ、と込み上げる吐き気を手で抑えた。
現実を目の当たりにして、受け入れることを全身全霊で拒んでいる。
お悔やみを述べる職員が続けて、もう数日で無縁仏を受け入れる寺に移る予定であることを告げた。
そこでは合祀になる旨も聞いた。
「合祀…」
それはつまり骨壺から遺灰を取り出し、他人の遺灰と一緒にして埋葬されることだ。
正宗だけに会うことは未来永劫、出来なくなる。
そんな…!
遼太郎の胸には、深い悲しみの中から小さな怒りが湧き上がった。
親父が違おうが、血縁であることには間違いない。
それなのに…そんな葬られ方をされるなんて。
「絶対にそんなことあってはならない…。あいつは帰りたがっていたはずなんだ…」
遼太郎が遺骨を持ち出すことは出来ないため、正宗の実家に大急ぎで向かった。
* * *
調べた住所の酒造を訪ねる。
入口には紺色の暖簾が掛かり、引き戸は開け放たれていた。
「ごめんください」
暖簾をくぐり、薄暗い中を覗き込んで遼太郎は声を掛ける。
しばらくすると奥から30代半ばと思しき男性が現れる。
「突然申し訳ありません。私は昨日、お電話で正宗さんの件でご連絡しました、野島遼太郎と申します」
念のため会社の名刺を差し出すと、男性は受け取り渋い顔をして眺めた。
「少々お待ちください」
男性はそう言うと一度奥に引っ込み、しばらくすると別の男性が現れた。
先程の男性がおそらく三男で、この彼が次男…正宗と年子の弟だろうと推測した。
「正宗はおらんと昨日申し上げたはずですが」
「存じ上げております。先程区役所で正宗さんの遺灰に対面して参りました。あと数日で合祀で埋葬されると伺いました」
「さようですか」
「合祀ですよ? 正宗の骨だけ、後で取り出す事なんて出来ないんですよ?」
正宗の弟…若旦那は苦々しい顔をした。
「そう言わはれても、家では受け入れられへん言うことになりましたんや」
「どうしてですか。出生に問題があったからですか? そうは言ったって正統に受け継いでいるはずですよね?」
遼太郎の言葉に若旦那は青ざめた。
「正宗は…ずっと家に帰りたがっていました。多分学生の頃からずっと。本当は家を継ぎたかったんだと思います。でも彼なりに遠慮して、近寄ることを避けたんだと思います」
「…お帰りいただけますか?」
「嫌です。お母様はいらっしゃらないですか? 母親ならわかってくれるはずです。自分の腹を痛めた子という意味ならあなたと何ら変わりはないのだから」
「母は体調を崩しとります。父も入院しとりまして。こっちも今バタバタしとるもんで、お引き取りください」
「大変なのは重々承知です。ですが正宗だってあなた方の家族です」
「そやかて自殺なんぞしよって、家の看板に泥塗った言うて、親父はカンカンなんどす。受け入れられまへん」
「看板…? 今更か? そうさせたのはあんた達だろうが!!」
胸ぐらを掴まんばかりの遼太郎の剣幕に若旦那は怯み、心地悪そうに目を逸らした。
「正宗に何の罪があった? あいつはただ生まれて来ただけだろう? どうすれば良かった? あいつに何が出来たって言うんだよ!」
何も言えず若旦那は俯いた。
「お願いです。正宗をそんな所にやらないでください! この家に戻してやってください! この通り、お願いです!」
遼太郎は膝をつき、土下座した。
「やめとぉくれやす! 店先どすえ!」
「正宗を戻すと言ってくれるまでやめません!」
冷たい土の床に額を擦りつける。
「頼むさかい面上げとぉくれやす」
「私は…正宗の死のほぼ直前まで会っていたのです。彼の無念を私は感じ取っていたのです。それなのに…。面を上げることは出来ません。家に戻すと仰ってくれるまで、ここから決して下がりません!」
表情は見えないが、遼太郎の視線の片隅で若旦那の足元が何かを躊躇っているように見えた。
額を床に付けたまま言う。
「正宗はあなたと同じ母親から生まれているわけですよね? 立派な兄弟ではありませんか。子供の頃はよくケンカをしたと伺いました。そうやって一緒にこの屋根の下で育って来たんですよね?」
遼太郎の脳裏に、ある若者の姿が過ぎる。
正宗が写真を見て「めっちゃべっぴんさんやん!」とはしゃいだ、学生時代の恋人。
彼女が産んだ子の父親は…俺だ。
ただ生まれて来ただけの子供に罪はない。親が問題なのだ。
親が受け入れる事を拒むのが問題なのだ。
今ここでそんなことを思い知るとは…。
「野島さん言いましたか。申し訳ないが私の一存では決められまへん」
遼太郎は顔を少し上げ、若旦那を睨み上げた。
「あなたはこの家の主人となる人でしょう? 今は父上のものかもしれません。しかし失礼ながら父上は病床に伏せていると聞き、もう間もなくあなたがお継ぎになるのでしょう。であればもうあなたの意志で動かして行くべきではないのかと思います。このまま正宗が無縁仏に入ったら二度と、二度と自分の実の兄に向かって手を合わせる事は出来ないんですよ!?」
再び遼太郎は額を床につけ言った。
「どうか…どうか…お願いします…」
大きなため息が聞こえ、若旦那は「今、承諾は出来やしまへんが」と言った。
遼太郎は顔を上げた。
「家族で今一度話し合うてみます」
「ありがとう…ありがとうございます…」
涙声の遼太郎は再び頭を土に付けた。
* * *
遼太郎はフラフラと街を彷徨い、気が付くと鴨川のほとりに来ていた。
渡る橋の真ん中で立ち止まり、山の端から流れ来る賀茂の流れを見つめた。
「正宗…」
ほんの数週間前、2人で歩いた川べりを思い出す。
正宗の豪快な笑い声が、すぐ側で響くようだった。
「どうして…」
涙が頬を伝う。
「死んだら何にもならないだろう…? 何やってんだよ…? 家族を連れて京都に来いってあんなに言ってたじゃないか…。お前がいなくなってどうするんだよ…?」
とめどなく涙は溢れ、川に落ちていく。
「どうしてお前が死ななくちゃならなかったんだ? どうして俺が生きて、お前が死ぬんだ? どうしてお前みたいな奴が死ぬんだ? 死んでいいのは俺の方だろ? どうして…あんなことくらいで…」
あんなことくらい?
そのことが正宗にとってはどれだけ重く、辛かったのだろうか。
「正宗、お前俺に昔言っただろ? お前がぶっ壊れる前に俺に話せって。俺が全部受け止めるからって。それなのに何でだよ? 俺は壊されても何べんも復活したるって言ってただろ? 早くしろよ…早く復活しろよ…。戻って来いよ早く!!!」
遼太郎は慟哭で膝から崩れ落ちる。
「どうしてお前が壊れたりしたんだ…。俺じゃお前を受け止めるに値しなかったのか?
正宗…答えてくれ…お願いだ…俺はどうすれば良かったんだ…」
欄干を拳で打ち付け、人目も憚らず咆哮した。
彼の心に開いた穴はあまりにも大きかった。
Epilogue へつづく