Bitter Cold -2.かれとわたし
彼と出逢ったのは、私が高校2年生の時のこと。
通勤通学の電車の中での出会いからの一目惚れ。
ありそうでない話。
でも、意外とあった。まさか私がって思ったけど。
当時私は部活をしていたので、たまに20時台の電車に乗ることがあった。
晩秋のある日、そんな夜の電車で初めて彼を見かけた。
スーツ姿でなくても、相当歳上であることは明らかだった。
ドア横の手すりにもたれて、彼は車窓の遠くを見ていた。
端正な横顔にハッとしたのは間違いない。
疲れというより、なんだろう。あえて遠くの何かを見つめてるような。
やがて電車を降りる彼の後ろ姿を見送りながら、急激に膨れ上がる思いに気付いた。
私が降りる一つ前の駅で、彼は降りる。
たった一駅の距離、その恋。
* * *
程なくして私に好きな人が出来たことを勘の良い友人が気づき、『お近づき作戦』をみんなで練り始めた。
どれだけ歳上の人なのかは、みんな知らないまま。
ー クリスマスがもうすぐじゃん。
ー いや、クリスマスはダメだね、あれはガチのカップル用だから。もう少しねばってバレンタイン作戦だよ。
ー だよね。
クラスメイト達は勝手に盛り上がる。
そんな声がふと遠くに感じる時がある。
私の心が黙り込んで、彼を想う時。
そんなに楽しむような恋…になるんだろうか。
あんなに疲れた、毎日がルーチンに呑まれただけのような、ちょっとしがなさそうなサラリーマン風の男性に。
そういったわけで、高校生ならかわいげも惜しみない、バレンタインに計画は実行に移る。
私も彼にはアプローチをしたかった。
彼の降りる駅のホームで待ち伏せ。
乗る車両がだいたい同じことは当然、把握済み。
友達は5人もついて来て、柱の影に隠れてないけど隠れたつもりになって見守っている。
彼が現れたのは21時過ぎ。4時間近くも待った。
友達も2人は帰っていた。
足早に改札へ向かう彼に背中から声をかけた。
「あの!」
案の定、驚いた顔して、彼は振り向く。
「あの、これ、受け取ってください!」
呆気に取られる彼の腕の中に、強引にプレゼントを押し付ける。
突き返されないように逃げるようにして、ホームへの階段を駆け上がる。
陰で見守っていた友達もゾロゾロ慌ててついて来る。
「やったじゃん!」
嬉しそうな友達の声。
私は息が上がったまま、胸を押さえていた。もちろん、走ったせいだけじゃない。
一番最後に上がって来た友達は、彼が去るのを見届けたらしく、
「ちゃんと持ち帰ったっぽいよ」
と報告してくれた。
「っていうか、結構歳上だよね?」
一人はやや訝しげにそう言った。
* * *
バレンタイン以降も、何日かに一度、車内で見かけた。
ある日、目があった。
彼は私のことを覚えていたらしく目を丸くして、何か言いたげな顔をした。
私はしっかりと、その視線を受け止めていた。
やがて彼の降りる駅に着き、少し後ろめたそうにしていたけれど、彼は降りて行く。
私も後を追うように、降りた。
ホームで彼は振り向き、すごく困ったような、奇妙な笑顔を浮かべた。
私は言う。「私のこと憶えてますか?」
彼は困った笑顔のまま言う。「うん、憶えてます」
そして続ける。
「プレゼントと手紙、ありがとうございました」
そう、私はあのバレンタインに手紙を書いた。
手紙なんて!
メッセージではない、手紙なんてどうしていいかわからず、辞書を引きながら書いた。
LINEのアカウントも添えたけど、いきなり連絡は来ないだろうと思っていた。
「嬉しかったんですけど、高校生からもらうなんて、ちょっとびっくりして…」
「そりゃそうですよね」
私は彼をまっすぐに見つめて言った。
逸らさないぞ、絶対に。
強くそう思いながら。
「確かに私は高校生です。でも、あなたが好きです。おかしいことですか?」
たぶん私は真剣になりすぎて、すごく怒った顔をしていたのかもしれない。
彼は呆気に取られたあと、笑った。
今度は困った顔じゃなくて、少年みたいに。
少年?
彼は何歳なの…?
「あなたは、なかなか逞しい人ですね」
彼がそう言った、その後2~3日して連絡が来た。
* * *
彼が指定したのは土曜14時。
自分で指定しておいて、彼は15分遅刻してきた。
時計と入口を交互に何度も見ていると、やがてブラウンのウールのロングコートに白いタートルネックのセーター、濃い色のジーンズ姿の彼が店に入って来た。
私服、そういえば初めて見る。無難と言えば無難だけど。
私の胸は高鳴った。
「ごめんなさい、遅くなって」
そういって彼は席についた。
私が高校生だと知っているのに、彼は敬語だった。
私は「いいえ」というのがやっと。
何を話したら良いかわからずにちょっとうつむいて上目遣いで彼を見ると、彼も照れたような、困ったような奇妙な笑顔を作った。
あの時と同じ。
とりあえず自己紹介をした時に彼が15歳上だと知り、驚いたらいいのか、あやっぱりそうだったかなのか、よくわからなかった。
言ってみれば、電車の中で見かけた時はスーツ姿だしそれなりに上だろうと思えたが、私服になってこうやって今まで見せなかった笑顔を見るともっと若くも見える。
間近で見る彼は、肌がすごくきれいだった。羨ましいなと思った。
もうとうに学生の頃を離れているのに、笑った顔が子供みたいで、惑わされる。
「正直プレゼントをもらった時は、困ってしまって…」
彼は目を逸らしながら言った。
「はい、この前もそう言ってましたよね」
「でもせっかくのことですし、一応、お返ししなきゃと思って…」
コートのポケットから、小さな包みを出す。
まるで映画のワンシーンのように。
「プレゼントを渡して逃げるように帰った君と、この前のホームの君とを思い出したら、なんかちょっと愉快になってしまって」
包みを開けると、銀色の小さな缶。
缶の中には、パステルカラーのドラジェ。
こんなかわいらしいもの、私に似合わないんじゃないかな。
でも、ありがとうございます、とうつむいて言うのが精一杯。
少しだけ目を上げても、彼も目を逸らしたまま。
どこまで本当かわからなかった。
もしかしたら "初心なふりして女の子馴れしている人" かもしれないと思った。15歳も上なのだから。
「また会えますか」
そう尋ねたらちょっと驚いた顔をして、また目を逸らした。考えているようだ。
少しの間を置いて、また連絡します、と彼は言った。
初心を装った軽い人だったとしても、彼とまた会えると思えば嬉しかった。
私はその日中に彼にメッセージを送った。
彼は既読のまましばらく黙った。くじけずに畳み掛ける。
押せ、とりあえず押せ。
恋愛は押して押して押して引く、って前に国語の先生が授業中に言ってたの。
だから私も心の中で叫ぶ。
少し時間を開けて、彼から返信が来た。
飛び上がって、叫んで、喜んだ。
そうして、私たちの不思議な付き合いは始まった。
* * *
お互い初めはとてもぎこちなかった。
「どうして敬語使うんですか? 私、歳下の学生なんですけど?」
と言ったら、彼は戸惑った顔して
「歳上だから歳下だからとか、特に区別してるつもりはなくて…もちろん小さな子どもとかは別だけど…」
と戸惑うように顔して言った。
その顔がすごくかわいくて、ギュってしたくなったけど、まだ出来ない。
そして私を見て言った。
「じゃあ君も僕に敬語は使わないで」
最初の頃は一緒に過ごす時間がほんの少しあるだけでも楽しいと思えた。
まだ、ほんの最初の頃は。
* * *
彼に恋人がいる事を知ったのは、しばらくしてからだった。
しかも、もう5年のつき合いになる人が。
「じゃあ、 私とあなたがこんな風に逢っていること知れたら、 大変じゃない」
「そんなことはたぶんない」
「やーい、 浮気者―」
私は冷やかしたけれど、本当は胸が張り裂けそうだった。
まるで底のない海で浮かんだり沈んだする潜水艦のように、私の心は行き場もあてもなく浮かんだり沈んだり…。
先の見えない航海に漕ぎ出してしまっていたのだ。
やっぱりこの人は、こうやって上手い具合に女の子をひっかけているんだ。そうでなければ、彼女がいるのに女子高生にメッセージなんか返さないもの。
そう思って、諦めようとした。
でも私は、彼の事を本気で好きになってしまった事に気付いた。
急に黙り込んだ私を見て、彼も改まってちゃんと話したいと言い出し、いつものカフェに向かった。
そこで彼は、自分の今の気持ちを全て話してくれた。
彼はひどく真面目で不器用で、そして子供のように素直だった。
彼自身が一番戸惑っていた。 恋人と、自分の置かれている状況と、 そして、 突然現れた私に。
そして私は彼から離れることなんて出来なくなっていた。
私が黙って見つめるとき、彼はあの日のことを思い出す、と以前言われたことがある。
バレンタイン後の、ホームで告白したときの、私。
逞しい、私。
そして彼はあの困った笑顔になる。
それは、私へのどうしようもない気持ちの表れ。
「わかった。私、今のままでいいよ」
満面の笑顔で、 彼に伝えた。 彼は目を逸らして、少し辛そうな顔をした。
これでいいのだ。
彼に恋人がいても、私はきっとこのままなんだって、思い込もうとした。
そもそも高校生の恋なのだから。
つづく