【旅行記】VIVANT聖地巡礼inモンゴル 5日目 前編
サインバイノー‼️
日の出から真夜中まで、約22時間活動した前日夜間の部はこちら↓
ホテルでの目覚めは快適でした…❗️
朝食は9時過ぎに摂りに降りました。
レストランの従業員含め、ここのホテルの方は積極的に英語では話さない印象。なのでカタコト英単語とゼスチャーで諸々伝えました。
コーヒーとかつかないのかな、と思いましたが、よくわかりませんでした。追加料金発生しても困るなと思い、持参したペットボトルの水を飲んでいました。
途中入ってきたアジア系のお客さん(5~6人のファミリー)も翻訳アプリを使いながら話していたのでモンゴル人ではなさそうでしたが、中国語でも南アジア言語でもなさそうで、どこの人だろうな~と思いながら会話に耳を傾けていました。方言もたくさんあるだろうし。
食べ終えて部屋に戻り、チェックアウトギリギリまでのんびり過ごしました。
のんびり、久しぶり過ぎる。
大きなスーツケースで旅することはもうあまりないだろうと思い、少し前に捨ててしまっていたので、当面旅はバックパックです。
モンゴルの道はそもそもスーツケースを転がしにくいので、正解でした。
普段の旅の荷物は極めて少な目なのですが、今回はとにかく推しグッズが多くて…防犯的には荷物が多いのはよろしくないので、街中でぬいやアクスタを取り出す時は特に注意深くする必要があります。
ちょうど渡航前に「たびレジ」から、ウランバートル中心部で日本人が窃盗の被害、という事案が2件あったと連絡を受けていましたので、街中はかなりシビアに過ごさねば、と思っていました。
チェックアウトを済ませロビーで待っていると、しばらくしてZulaさんと旦那さん(ドライバーさん)がやって来ました。サッパリ爽やかになった印象…。
あの後ナライハまで帰ったのか訊くと
「いえいえ、家に帰りました。私たちウランバートルに住んでいるので」
とのこと。一安心…。
外に出ると旦那さんがコンビニに寄ると行って角にあるCUに入って行きました。私とZulaさんはその辺をぷらぷらすることに。
Zulaさんに「途中にあった市を覗きたい」とお願いし、アーロール売り場で写真を撮らせてもらいました。
写真を撮り終えてコンビニに向かいましたが、旦那さんの姿がありません。どうやら私たちが市を見ている間にすれ違ってしまったようで、離れた場所に行ってしまったようです。
しばらく待っていたのですが一向に車が来ないので、再度Zulaさんが連絡をすると
「車を洗いに洗車場に行っているようです」
との事でした。なのでその洗車場に向かいました。
しばらく歩き、路地に入った所にある『Авто угаалга』と書かれた建物の中に車と旦那さんがいました。
道中この『Авто угаалга』という表記を何度も見かけていました。ABTOはキリル文字で、ローマ字にするとAVTO、車のことです。
「アヴト…ウガールガ」
音読するとZulaさんに「おぉ、読めるんですか?」と驚かれました。以前ロシアを旅した際にちょっとだけ、キリル文字の読み方を覚えていったのです、と答えると
「あぁ、そうですね。キリル文字はロシアから入ってきましたから」
と、このネタを機にモンゴルとロシアの関係についてお話を伺いました。
1924年以降、モンゴルがソ連の支配下に置かれていた頃は、チンギス・ハーンの名を口に出すことすら許されなかったそうです。
ポーランドまで攻め入った英雄、ですよ。
そういう意味ではモンゴル人のプライドというか、アイデンティティ的につらい時期だったのだろうな、と思いました。
1991年のソ連崩壊を機にモンゴルの文化は息を吹き返しました。けれど文字はこうして残っていることになります。独立後、精力的にキリル文字をやめ、自国語に置き換えたアゼルバイジャンとは対照的だなと思いました(それでもアゼルバイジャン国内でロシア語はまだ通じるのではないかと思います)。
ただ学校ではモンゴル文字(縦書き)も勉強するとのことです。
ちなみに会話の中で車はアヴトではなく「マシン(машин)」と発音していました。
旦那さんが洗車を終えた車を出してくると、見事なスカイブルーの車体が。
「車ってこんな色だったんですね」
「今まで汚すぎて何色かわかりませんでしたね」
ハハハ、とZulaさんと笑い合いました。
また、モンゴル国内を走る車の話にもなりました。到着日からゴビ〜ヘンティに至るまで、行き交う車の9割がトヨタ車です。
海外での日本車の強さは実感していましたが、最近は韓国のヒョンデや中国車も力を入れてきているので、正直ここまで日本車ばかりなのは意外でした。
Zulaさん曰く
「確かに中国や韓国の車も入って来ますが、すぐ壊れてしまいます。日本の車には叶いません。モンゴルの道には日本車が適しています。本当に丈夫。日本で10~20年乗った中古車が流れてきますが、壊れません。最近ではモンゴルの富裕層が新車のランクル(ランドクルーザー)をよく買うらしく、1日20台は売れるそうですよ。すごくないですか?」
とのこと。誇らしいですね日本の自動車産業…🥺
さて、この日はツォクトモンゴル乗馬ツアーさんのパック旅最終日。ウランバートル市内を少し回った後、午後にはダルハンに向けて出発です。
ウランバートル市内は正直一人で周ろうと思っていたので、旅行会社が予定に入れていた『ウランバートルの撮影地案内』は不要です、と当初はお願いしていました。
ただ、その一人旅工程で、ウランバートル散策予定日が雨予報でした。
今日はめちゃくちゃ天気が良いので、予定を変更して周ってもらうことにしました。
旅行会社のコーディネーターさん(ガイドさんとは別の、旅行計画段階でやり取りをしていた方・日本人)も
「今回の旅はお一人なので色々融通利くと思うので、行きたい所があったら都度ドライバーさんに相談してください」
と言われていました。
まず、ウランバートル中心地から少し離れた場所の4箇所に行きたい旨を伝えました。
それは
ep5で、乃木さんがアリを尋問のために呼び出した時、アリが歩いていた騎馬像
同上、呼び出された廃墟モスク
ep7で、別🍞たちが車を降りた場所(背後に印象深い壁画のある建物)
同上、乃木さんと黒須くんが向かった別🍞の隠れ家
予め地図にプロットしていたので、旦那さんにそれを見せると「あー、あそこね」的に納得して車を走らせました。
しかしさすがのウランバートル。ものすごい車の量です。そして始終クラクションが鳴り響いています。もう、とにかく、すぐクラクション。さすがモンゴル民族。常に戦闘モード。
ちょうど、線路を跨ぐ大きな橋に差し掛かった時、Zulaさんから
「この橋は日本の協力があって作られました。太陽橋といいます」
と説明を受けました。
太陽橋の話を受け、旦那さんもモンゴル語で何か言いましたが「アベ」という言葉が聞き取れました。安倍政権時に作られた、ということなのでしょう。安倍政権では外交に力を入れていた、とも聞きますが、どこの国も外交に力を入れると、国内では不満が高まるとも言います。国のトップというのはバランスの難しい重責です。
さて、太陽橋を抜け車を走らせると、旦那さんが「そろそろ着くよ」と。もう気配で何となくどこかわかりました。
車を降りて私とZulaさんで建物の正面に向かいました。
うわぁ~、もう感動ですわ…。泣きはしませんでしたが。泣きたい気持ちはありました。
天気が良くて良かったし、お願いして良かったです。一人街歩きの時に訪れる予定でしたが、ウランバートル駅からまぁまぁ距離がありました。歩きだったらかなり辛かったです。
再度車に乗り、細い路地に入り込んでいきました。残り3箇所は近いところにあるのです。
道が狭すぎて路駐出来ないため、駐車場にいれることになりました。私はその間、目的地に向かいます。
こちら。
車を降りた別🍞たちはほど近い建物の地下に駆け込んでいきます。
それがこちら。
なかなかの裏道なので、よくこういった場所を撮影ポイントにするなぁ…と思ってしまいます。
ここからは歩いて次の場所に移動します。
それがこちら。
この後、時間もまだあるので中心部の主要撮影地も行くことにしました。天気が良いうちに、という気持ちもありました。
駐車場から車を出し、北上します。5分くらいで中心部に到着。少し離れた場所に車を停め、また歩いて回ることにしました。
まずはこちら。
建物の前は広場なのですが、ドラマでは道路としてたくさんの車を入れて撮影していました。おそらくこの蓮の花のモニュメントの手前まで車を入れて撮影したのだろうと思われます。
バルカ国際銀行…いえ、国際ドラマ劇場を背にすると、その奥には『Ulaanbaatar』のモニュメントが見えます。都市部の観光地でよく見るアレですね。
ほんのひと時、観光地気分を味わいます。
写真を撮るために私を放置してくれていたのですが、ここからは先はZulaさんと一緒にスフバートル広場へ向かいます。
交差点の信号を渡る手前で私の目はある一点に釘付けになりました。
VIVANT好きな方ではないとわからないと思うのですが、ep5で乃木さんが単眼鏡を使い野崎さんを監視していた建物の屋上、です。
この単眼鏡を覗く乃木さんが、かなりの癖に刺さりましてね…そりゃあもうカッコヨカッタデス。
やはりスフバートル広場周辺はたくさんの撮影ポイントがあるだけに、テンション爆上がりです。
スフバートル広場の正面向かって右、GFL社の隣に『国立オペラ・バレエアカデミックシアター』があります。国際ドラマ劇場と同じ色合いなので間違いやすいそうですが、ここは脇の通りを撮影で使われました。
時間も迫ってきたので、この後はランチを取ることに。
「何か食べたいものがありますか?」と訊かれたのですが、朝ご飯の羊の脂がまぁまぁパンチを効かせているため、モンゴル料理とは言いづらく、かといって何があるかもわからなのでおまかせしました。
しばらく車を走らせ、Minii Hypermarketという商業施設の2階にあるレストランに行きました。
食事を終えると、いよいよツアーも終了。ここからはドライバーさんをバトンタッチして、一人ダルハンへ向かいます。
Zulaさんと旦那さんに梅キャンディをお渡しし、何度も「バユララ~(ありがとう)」とお礼を言ってお別れ。
ダルハンまで送ってくれるドライバーさんはモンゴル語のみ、とのことでした。現れたのはやはりツォクトモンゴル乗馬ツアーのオフィシャルシャツを来た、若いシュッとした青年。
モンゴル人男性は剛腕で屈強なイメージが強いので、シュッとした人はめちゃくちゃ意外でした。
会話は当然ないです。
程なくして突如、路肩に車を停めてドライバーさん、降りてどこかに行っちゃいました。
え、放置?
このまま捨て去られたりしないよね???
とよぎるものの、真剣に心配はしませんでした。
とはいえ、10分くらい戻ってきませんでした。
戻ってきても何事もなかったかのように車を走らせます。
そんなことが2回ありました。
やや不安なひととき。
途中「コンビニ寄ってくる」的なことを言って車を停め、CUに入っていきました。私は車の中で待機。
すると食べ物と飲み物を買ってきて、運転しながら飲み食いし始めました。食べていたのは海苔巻き…おそらくキンパです。CUは韓国系なのでキンパなんだろう、と思いました。
ウランバートルからダルハンまではおよそ200kmです。200kmなんてちょろい。すぐそこです(距離感バグり中)。
都市間なので、道も快適です。
ただし一定の間隔でハンプと呼ばれる凸部があります。欧州でよく見るラウンドアバウト風の交差点の手前に必ずありました。信号がない代わりに、交差点の手前でスピードを落とさせるためでしょう。
これがかなり減速して通行するので、日本の高速のように一定の速度でどこまでも、という感じではありませんでした。
途中でお腹が下ってきて、やばい大ピンチ…と思っていた所で、踏切に出くわし停車しました。
ソワソワしている私にドライバーさんは、どうして停車しているのかと思ったのでしょう。
「トレイン」
と言いました。しかし私の頭の中はトイレの事でいっぱいだったのでそれを「トイレ」と聞き違え
「Yes, I want to go to toilette!」(もう色んな言語混ざってる)と訴えました。
しかし運良く、踏切の向こう側には公衆トイレがあったのです…!
踏切も割とすぐ開き、トイレの前で停めてくれました。
まぁまぁ慌てて車を降り一目散に中に入りましたが、窓口があっておじさんがいました。
目が合いましたが、必死だったのでトイレに入りました。誰もいないトイレで事なきを得ました。
手を洗っていると後から来た人がお金を払っています。しまったチップ制だ。
けれど窓口のおじさんは何も言いません。外に出ると値段が書いてありました。実はごくわずかなモンゴル通貨は持っていましたが、足りないです。
心の中で必死に謝っておきました(をい)。
お腹も落ち着いて一安心。
順調に車はダルハン市内に入っていきました。
ホテルの前でおろしてもらい、シュッとしたイケメンドライバーさんに「バユララ~」とお礼を言って車を降りました。
ここからは一人旅の始まりです!
後編へ続く!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?