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karatchi
M 愛すべき人がいて
第7話の台詞がどうしても苦しくて、涙が止まらなかった。
心に響いたものは留めておきたい。
(ネタバレになる可能性があるので、見ていない方は画面を閉じてください。)
#神様に選ばれたアユの運命だ
”そうだったのか~。まあ人は必ず誰かと恋をする。
それがたまたま君とあゆだっただけだ。
だが、
プロデューサーとアーティストが恋をするとリスクが高い。わかるだろう。”
”はい。それで潰れていったアーティストもたくさんいます。
最近あゆの歌詞が変わったんです。”
”聴いていればわかる。vogue,Far away, Seasons...
悲しいな。”
”僕のせいです。”
”だが素晴らしい歌だ。
残酷だ。
君が悲しい想いをさせたから、あの曲が書けた。
これから先君がもっと悲しい想いをさせたなら、もっと良い曲が書けるかもしれない。
自分の悲しみが人を助ける時もある。
自分の涙が誰かの花を咲かせる時もある。”
”中谷社長、俺はあゆと幸せになったらいけないんでしょうか”
”君は、あゆと結婚して幸せになりたいのか?それとも、ずっと最高のアーティストでいてほしいのか?”
(M 愛すべき人がいて #7)
光の影の残酷さ
特別に熱心なファンだったわけではない。
クラスの子で猛烈に彼女のことが好きだった子はいた。
その子のことを、”大人びているな”と思っていた。
それでも彼女の音楽はテレビでいつも聞いていて
口ずさめる歌も多い。それがスターというものかと
思ったりもする。
その輝かしいヒットの裏で、どこまでドラマのために物語が造られたかは
わからないにしてもこういった”努力””恋””人間関係”があったのだと
思うと、オーディエンスはつくづく自由で気楽だと思った。
社長が、あの話をしなければ彼は一緒にいることを選んだだろうか。
それでもやはり、
彼女が輝き続けることを望んで結果は変わらなかったのだろうか。
”普通の人が”容易に選べる一緒にいることの幸せを、
人前に立つ人であるが故に選べないのはおかしいんじゃないか。
台詞にあるように、本当に残酷で皮肉だと思った。
ただ、相手の幸せを願って身を引く。
それも悲しいけど、愛情なんだろうな。
ネガティブさが、人を助けることもある。
ネガティブは完全な悪か?