SNSは常に俯瞰的に見ないと無意識にエネルギーが消費されるって話
最近、昔よりゆっくり出来る時間がたくさんあり、予定を詰め詰めにしてた時と比べると良いのかなぁって思う日々
でも、お金はあの頃より安定しているし、特に心配することもないけど何しようかなって考える時間が良いのかなっとたまに罪悪感にかられる事がある
そういう時間に余裕があるときにテレビでも付けようものなら、不安を駆り立てるようなニュースばかりなので、社会の動きは文字で見るくらいがちょうど良い
でも、ツイッター開くと最近はテレビよりも不安を煽るような、事実そっちのけで”盛り上がる事”に注目したがる人が多い気がする
何だか疲れるなぁ
これは世に言うSNS疲れなのだろうか
そう考えるとインスタグラムは相変わらず自己満の世界を貫いているし、YouTubeも人々の欲望を満たしてくれてる気がする
私の中でツイッターって陰気な欲望を満たしてくれて、インスタとYouTubeって陽気な欲望満たしてくれる
フェイスブックは完全に個人事業主たちとのやりとりの場、もしくは30以上の同窓会のコミュニケーションツール(結婚報告含め)
FBで再開して結婚しました的な中年婚の方も多そう
10代の時、旅行先で出会った人達などSNSなかったら連絡先わかんなくなってたなぁって友人もいるので、そういう意味で便利な時代なぁっと思う半分、中学生時代にこの人と話したっけ?ってかいつフォローしたんだろうって人も気づけばいる
そういう人も含め身内の報告や夕飯が何かまで毎日流れてくるのだ
”現代人が1日に受け取る情報量は江戸時代の1年分”って言うくらいだから、相当な情報量が無意識のうちに私の頭の中に入って処理してるんだろう
そう考えたら部屋も断捨離したし、SNS整理しようかなっと思った
別に指でスクロールするだけだしなぁっと情報が入る事で知らぬうちに、脳や細胞が働いてるのだと思うと、労ろうかなっという気持ちになった
仕事柄、SNSは必要だし好きだけど、コロナウィルスにしても人によって意見が違ったり、日本と海外でも違うし、俯瞰的に常に見ないと惑わされる
俯瞰的に見ていてもエネルギーが消費されてる感覚がある
だったら、その感覚は他に使いたいし、自分や人を心地よくするエネルギーに使った方がいい
今日、印象的だった出来事は、電車に乗っていて目の前の男の人がマスクしながら鼻をズルズルとすすっていた
きっと、ひどい花粉症なんだろうなっと思っていると、電車の扉が開いた途端、外に向かうようにくしゃみをわざわざしていた
それも漫画みたいな、ヘーークッション!!ってくしゃみを
そしたら、ドア側に座ってたおじいさんが、なんてやつだ!って聞こえるか聞こえないかくらいのボリュームでブツブツ言ってた
おじいさんの隣にいた私は、くしゃみをした男の人よりそのおじいさんのが怖かった
そのまま、くしゃみお兄さんは気まずかったのかドア際に立ったまま鼻をかんでいた
私も鼻炎だからお兄さんの辛さわかるよっと気の毒に思えた
でも、その電車の中にいた人は、隣にいたく無いなって思う人もいれば、その出来事さえ目の前で行われていても視界に入らない人もいるかもしれない
それが正しいとか正しくないとかじゃなく、自分が目の前で起きた情報さえも色んな感覚で受け取る人がいるのだから、自分はフラットな状態で常に受け取りたいなっと思った
それが人の体験や意見だったら尚更だし、情報ツールを整理をするのもこの先重要なのかもしれない
仕事後のお疲れビール代にさせて頂きますぅ🍺🥺