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I LOVE MEって最強だよねって話

今日はなんだか眠れない。

今日というか、自宅待機になってから何時に寝ても怒られない生活になったからか、昼夜逆転してしまった。

でも、寝れない理由はそれだけじゃなくて、この待機期間をどう使おうっと妄想すると、何故か色んな意味のアドレナリンが出て眠れない。

なので、私が世田谷に1ヶ月だけ住んでた頃の話をしようと思う。

3年前、スリランカ に半年間だけ日本語学校の教師をした私は、帰国後、世田谷に引っ越すことにした。

当時、仲良かったエステティシャンの時の後輩と、お互いに2年後の独立を目指し、2年間広い部屋に住んで週の半々分けて、サロンを営業しようという話になったのだ。

看板も出してもオッケーな世田谷の一等地、3LDKで16万5000円、2人で頑張ろうっと夢いっぱいだった。

だが、先に引っ越した私は、1日目にして絶望した。

何故かベランダや窓開けっぱなし、洗面所のドアが割れていて破片そのまま、風呂場の換気口がとったのか、でっかい穴が空き、外が見える。

しまいには、コンセントのカバー剥き出し、畳が前より汚くなり、キッチンの棚の扉が取れた。笑

クーラーも新しくすると言ってたけど、一つもなってない。

この事件で一番ネックだったのは、一回も働いたことない土地持ちドラ息子が、管理会社兼大家だったことだ。

管理会社が別ならそこにクレームをすれば良いのだが、一緒だとそうはいかない。

最初大家さんに会った時、バックトゥーザフューチャーの博士みたいな髪で、変わり者っぽいなぁっという印象があったが、こんな事ってあるのかっと一緒に来てくれた不動産会社の知り合いを紹介してくれた友人も失笑。

足の裏も真っ黒け、ドアの隙間に見たことない埃を見て2人で、もはや笑った。

全部終わってるか確認してから引っ越すべきだったっと後悔したが、見た時よりまさか酷くなるとは思わなかった。

その大家は最初から最後まで嘘八百なドクだった。

一番上の階だったけど更に階段で登ってみると、大量に置いてあるDIYグッズ。

えっお前がもしかして全部やろうとしてたんか?!っていう事実に、その時気づいた。

更に、後から来るはずだった後輩は同棲してる彼の元に1週間で戻ることを、仕事を辞める前の日に告げられ(お店が開業する日が決まってたので)、正に泣きっ面に蜂状態。

母から送られた開店祝いの植木を見て、施術用のタオルを畳みながら泣いたのを今でも思い出す。

でも、今思えばその彼女に全部非があった訳ではなく、彼女の意思を尊重せずにグイグイ進めちゃったのとタイミングが悪かったんだなって年月たって反省。

その後、結婚したみたいで彼女はそれで良かったんだなっと思ったが、あの大家だけは本当災難だった。

その後、不動産屋を紹介してくれた友人に後から聞いたが、不動産会社も契約を打ち切り、そこのマンション皆んな出て行ったそう。

そんな、自己肯定感打ちのめされてフラフラ散歩してた時、ドクター中松の家を発見した。

玄関の上にはアーチ型に英語で「DR.NAKAMATSU」

と書いてあり、大きな家の角に矢印型の看板がささっていて(よく外国とかにあるやつ)「ドクター中松通り」と書いてあった。

何もかもうまくいかず、意気消沈な私は思った。

自己固定感たけぇえええええええ!!!!

その瞬間、悩みが吹っ飛び、なぜかその日に昔アメリカにホームステイしてた時のホストファミリーから、横浜の自宅に住む人を探してるんだけどっと連絡が来て、引越し先が即決まった。

そして、とりあえずの仕事や、買った新品の家電たちを売ったり、双方の話し合いが行われ、3日くらいで衣食住が決まった。

今振り返ると、家で号泣しながら、鏡に写る自分を見て、心の底で「あーこんな立て続けに色々あったら、次良いこと起きるなぁ」っと思った自分の切り替えの速さにアッパレっと思うし、人のありがたみを心底感じた出来事だった。

人って差で喜びや有り難みを再確認するもので、今世界中大変な時期だけど、こういう時こそ、人にちゃんと感謝しよう、そして、ドクター中松思い出そうって思った。

兎にも角にも、I LOVE ME って最強だよね。

ありがとう、ドクター中松さんって話でした。



仕事後のお疲れビール代にさせて頂きますぅ🍺🥺