「国民主権」と「三権分立」についてお話します!
現在の日本は、「国民主権」「三権分立」が基本となっています。
しかし、「日本国憲法」では、行政権のトップである「内閣総理大臣」は「天皇」が任命しますし、司法権のトップ「最高裁判所長官」も「天皇」が任命しますよね。
立法権のトップである「議長」は天皇の任命を必要としませんが、「国会の招集」は天皇が行うことになっています。
つまり、実質的な権力の執行は各府が担いますが、その「権力」に「権威」を与えるのは、今でも「天皇」であると言えます。
上の図は日本の「三権分立」と「国民主権」を表したよくある図です。
でもここに「天皇」の記載が無いために、魂を感じない図になってしまっている気がします。
つまり、これは単なる「権力」の関係図であって「権威」が示されていない図なのです。「味付けされていない料理」みたいな感じですね。
この図の中心にいる「国民」は、主権者として「選挙を通じて」政治の方向性を決定する権利を持っています。
昨日の衆議院議員の3補選で、自民党が全敗したことはまさに各選挙区の国民が政治の方向性を変えようとした表れではないでしょうか。
このように、主権者である「国民」により選挙を通じて選ばれた議員が「国会」で「内閣総理大臣」を指名し、その後組織された「内閣」が「最高裁判所長官」を指名するのです。
つまり、国民が「権力」のおおもとを担い、天皇がその権力に「権威」を与えていると考えればいいのです。
日本は昔から、「権威」と「権力」の分離を原則としてきました。
それは今も変わりません。
「天皇の国事行為」が形式的に見えるのは当たり前です。「内閣の助言と承認」に基づくことしかできないわけですから。
でも、その内閣や国会に「権威」を与えているのは「天皇」です。
日頃から国家の安寧と国民の幸福を祈る「祭祀」を行っている「天皇」だからこそ、「権威」を持っていると言えます。
そして、天皇が「各長の任命」や「国会の招集」など、形式的なことを厳粛に行うのは、「権力への権威づけ」という大切な儀式だからです。
喩えるなら、大仏が「開眼供養」で「魂を吹き込まれることによって初めて大仏としての効力を持つ」といった感じでしょうか。
「天皇が任命した為政者が、政治の実権持つ」やり方は、「祭政一致(権威と権力の分離)」という日本が長く続けてきた偉大なやり方です。
このように「公民」の授業でも、「心が動く」説明をして欲しいと思います。