Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第68話 混雑を極めるマラッカ海峡
前回の話はこちらから
https://note.com/malaysiachansan/n/n98c43396b4f5
この話は2017年まで遡る。マレーシアのポートクランでコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日も車でオフィスへ向かっていた。氷堂の親会社は香港にあり、その子会社を立ち上げるために、この前年の2016年、氷堂は単身この地にやってきた。この1年間、法人設立や人材採用、そして許認可の申請など、嵐のような毎日が過ぎていったが、ようやく先行きが見えてきた。
コンテナリースというビジネスは、長期間にわたってコンテナを貸し出すため、取引先との信頼関係が非常に重要になる。その中で氷堂の会社は、中東方面の会社の開拓に乗り出していた。ポートクランは中東から出た船が最初に到達する巨大ハブ港にあたり、多くのコンテナ船がここを積み替え港として用いているからだ。その中で、一つ二つと徐々に契約が約定していった。そしてこの日は、氷堂の会社のコンテナを乗せた船がポートクランから出港することになっていた。
当のコンテナ船はウム・サラル号だ。この船は2011年にサムスン重工業によって建造され、UASC(ユナイテッド・アラブ・シッピング)によって運航されていた。ウム・サラル号はポートクランを経由して、中東~中国間を主要な航路としており、全長は366メートル、積載可能なコンテナは13,000TEUにも達する。当時では世界最大のコンテナ船の一つだった。
さて午後1時、氷堂の会社のコンテナを乗せたウム・サラル号が、UAEのホール・ファカン港に向けてついに出港準備に入った。その姿を見て、氷堂は胸が熱くなってきた。これまで1年間、休みもなく走り続けてきた努力が報われた気持ちになったのだ。そして一人小声で呟いた。「ようやくこれでスタートラインだ」と。慌ただしく船員たちが乗り込む様子を尻目に、氷堂も踵を返して岸壁を後にした。
さてそれから約3時間が経過した。気が付くと氷堂のポケットの中で携帯電話が鳴っていた。そして画面を見ると、そこには「イスマイル」とあった。間違いない、ポートクランの港湾当局の副長官だ。本来ならば、イスマイルは氷堂のような零細企業の経営者では相手にして貰えない高位の人物だ。しかし彼は大の日本好きで、年に2回は日本へ旅行に行き、北海道から沖縄まで、くまなく巡っている生粋の日本マニアであった。そんなイスマイルはある日、「ポートクランの中で会社を立ち上げ、奔走する日本人がいる」という噂を聞きつけた。それで氷堂の事が気になり、声を掛けてきたのだった。それ以降、何か困ったことがある度に、イスマイルは氷堂のことを親身になって助けていた。氷堂がここまで来られたのも、イスマイルがいたからに他ならない。
そのイスマイルが今、電話を掛けてきている。一体何だろう。氷堂が受信ボタンを押すと、イスマイルは開口一番こう言った。
「リツさんですか。お忙しい中、申し訳ありません。少しお伝えしなければならないことがあります」。
普段のイスマイルは極めて陽気な性格なのだが、今日は何やら声調が違う。それで氷堂も言葉を返す。
「ありがとうございます。おかげさまで何とかここまで来ることができました。イスマイルさんがいなければ、絶対に無理だったと思います。本当にありがとうございました」。
改めて氷堂はイスマイルに謝意を伝えた。しかしイスマイルの方は、なぜか言葉を返さない。5秒ほど沈黙があっただろうか、ようやくイスマイルは言葉を繋げた。
「リツさん、申し上げにくいことを伝えなければなりません。実は先ほど港湾当局は、『ウム・サラル号が座礁した』という連絡を受けました。船はまだポートクランの沖合におり、状況を確認するために調査船が現場に向かっています」。
何という事だ。ウム・サラル号が座礁するとは。その言葉を聞いて、氷堂は頭が真っ白になった。もしここで自社のコンテナにも影響が及ぶような事態になれば、今後の事業計画も頓挫してしまい、これまでの努力も水の泡だ。それで氷堂は電話を切ると、港湾当局へ向けて急いで車を走らせた。しかしその後に氷堂が目にしたのは、世界で最も混雑する海の要衝であるマラッカ海峡の実態と、それに伴う非情な現実だった。
ここから先は
ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?