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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第79話 戦争とODAがもたらしたもの

前回の話はこちらから。
 
https://note.com/malaysiachansan/n/nf9b95abe72c7
 
 この話は2024年の初頭に遡る。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、ポートクランのサウスポイントにいた。この日も気温は35度を超えており、じっとしているだけで汗が吹き出してきた。本来ならば涼しい冷房の効いたオフィスで仕事を進めたかったが、この日はここに来なければならない理由があった。新しいクライアントがサウスポイントにやってきたのだ。
 
 ポートクランの面積は広大で、その中にノースポート・ウエストポート・サウスポイントという3つの港を有している。ノースポートは港湾行政の中心地であり、コンテナ船に加えて、バラ積み船やタンカーなどもこの港を拠点としている。一方でウエストポートは3つの港の中で最も大きなコンテナ港で、輸出入に加えて、東南アジアのハブ港として、多くの船社がこの港を積み替えに用いている。そして最後のサウスポイントだが、この港は内航船の専用港となっている。マレーシアは南シナ海を挟んで東側と西側に大きく国土が分かれており、サウスポイントは西側から東側へ貨物を運ぶ際の港として機能している。そのため港の規模は小さく、ウエストポートと比較すれば1/10程度しかない。それでもこの港がなければ、西から東へ貨物を送ることはできない。言い換えるなら、マレーシアの海運の生命線だ。
 

 
 さて新しいクライアントだが、彼はサラワク州のビントゥルという街から来ていた。氷堂の会社のコンテナは、ポートクランを経由して、香港とサウジアラビアをピストンする外航船に特化してきた。逆に内航船に関しては、利幅が大きくないためにこれまで扱ってこなかったのだが、今回は取引先からの引き合いで、国内物流のクライアントを紹介された。氷堂がサウスポイントに来たのは、正に彼と会うためだ。
 
 保税区に入ると、今回の商談相手であるジョセフが既に氷堂の到着を待っていた。ジョセフは40代の男性で、見た目としてはマレー系にも中華系にも見えなくもないが、マジョリティであるイスラム教徒ではなく、代々クリスチャンの家系らしい。また英語で何ら問題なくコミュニケーションを取ることはできるものの、母語はイバン語という少数言語で、彼らのコミュニティではその言語が用いられている。ちなみにイバン語を用いるイバン族は、過去には首狩り族としても知られており、西マレーシアとは全く異なる文化や慣習を形成してきた。
 
 ジョセフの姿を見かけるなり、氷堂は言った。
 
「ジョセフさん、わざわざ遠くから足を運んでいただきありがとうございます。ポートクランへようこそ」。
 
 氷堂はジョセフを温かく歓迎した。するとジョセフも言葉を返す。
 
「こちらこそ時間を作ってくださり、ありがとうございます。でも外国人の方に『ようこそ』と言われると、何だか不思議な感じがしますね。と言っても我々サラワキアン(東マレーシア・サラワク人の総称)にとってみれば、西マレーシアは母国であると同時に、外国でもあるような感覚を持っています。そのくらい東と西では文化も歴史も違いますからね。ですから『ようこそ』という言葉も、あながち間違ってはいませんね」。
 
 そう言うとジョセフはニコリと微笑んだ。そして空気が打ち解けたところで、二人は港湾事務所へと移動し、商談を始めた。さて1時間近くが経過した頃、ジョセフは不意にこう言った。
 
「もし可能なら、サラワク州のビントゥル港を見に来ませんか?そうすれば実際の貨物の様子も分かります。それに…特にリツさんには現場を見ていただきたいのです」。
 
 ジョセフは「特に」という部分で、「In particular」という単語を用いた。マレーシア人は総じてこの単語を多用するのだが、サラワキアンであってもその傾向に変わりはないようだ。それで氷堂も言葉を返した。
 
「ええ、是非見に行きたいと思っています。でもなんで『特に』私に見に来てほしいのでしょうか?」
 
 氷堂は疑問に思った点を尋ねてみた。するとジョセフはすぐに返答した。
 
「それはリツさんが日本人だからです。日本とサラワクの関係は非常に深いんです。例えば太平洋戦争の際には、サラワクは日本軍の占領下に入りました。そして日本は敗北しましたが、その後は経済成長を遂げ、今度はODAで私たちを助けてくれています。実はビントゥル港も、日本のODAによって建設されたものなんです。なのでリツさんには、サラワクにおける日本の存在を、実際にこの目で確かめていただきたいんです」。
 
 先ほどまでとは打って変わり、ジョセフは真剣な眼差しで氷堂に訴えかけていた。その表情を見て、氷堂はサラワクへ行くことを決意した。しかしその後に氷堂がサラワクで目にしたものは、太平洋戦争の悲しい記憶と、ODAがもたらした両国の固い絆だった。
 

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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