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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第93話 日本に蔓延る貧困ビジネスの闇

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n3a4dba10a5d0
 
 この話は2023年に遡る。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、一時帰国で横浜の寿町に来ていた。寿町は関内駅から徒歩10分、石川町駅から徒歩5分ほどの場所にある。JRの線路を挟んだ向こう側には、横浜スタジアムや山手の高級住宅街が広がっているが、ひとたび寿町に足を運び入れると、きらびやかな外界とは隔絶された全く別の空間が広がっている。
 
 寿町には日雇い労働者が求職を行う、通称「寄せ場」があり、全国から多くの男たちが集まってくる。そして彼らのための簡易宿泊所が軒を連ねており、その数は約100軒に達する。この簡易宿泊所が隠語で「ドヤ」と呼ばれることから、この街はドヤ街と呼ばれるようになった。 ちなみに寿町は、東京都台東区の山谷、大阪西成区のあいりん地区と並んで、日本の3大ドヤ街の一つとして知られている。
 

 
 寿町は一般人ならまず足を踏み入れる事のない場所だが、氷堂は違った。20代の頃、この街で3年弱の月日を過ごしたのだ。地方の高校を卒業した氷堂は、10代後半から横浜の港湾で働き始めた。しかしそこはブラック企業で、朝から晩まで働いても手取り10万円台という生活が何年も続いていた。当時、氷堂は大船駅の近くの安アパートに住んでいたのだが、大家の都合でそのアパートが取り壊されることになった。引っ越し代は大家が出してくれるものの、新しい家の敷金・礼金は自分で工面しなければならなかった。しかし貧乏生活を続けていた氷堂は、貯蓄が全くなく、その費用を捻出する事が出来ずにいた。それで前金が不要で、しかも職場から近い寿町のドヤ街に居を定めることに決めたのだった。
 
 ただその頃と比べると、寿町の様子もかなり様変わりしていた。簡易宿泊所の数も、今では全盛期の半分くらいに減っているように見えた。また目についたのは白人のバックパッカーだった。なるほど、一般的にバックパッカーの旅行者はドミトリーに泊まるものだが、小部屋で区切られた空間がある簡易宿泊所とは親和性が高い訳だ。氷堂にとって横浜は第二の故郷のような存在であり、帰国するたびに足を運んでいたが、2020年にコロナ禍が始まり、日本政府も自粛要請をかけていたことから、数年間は足が遠のいていた。大柄な白人たちを横目に、氷堂は隔世の感を覚えていた。
 
 ところでこの日、氷堂が寿町に来たのは一つの目的があった。それは島田さんこと、島さんに会うためだ。氷堂がドヤ街にいた頃、島さんは隣の部屋に住んでいた。当時から島さんは氷堂を可愛がっていたのだが、氷堂が海外に行ってからも、時折二人は連絡を取り合っていた。

 島さんの年齢は氷堂より15歳近く年上だったので、現在では60歳近いはずだ。当時の島さんの日課は決まったものだった。朝は非常に早く、午前5時ころには宿所を出て行き、夕方の5時前には戻ってきていた。その後に近くの定食屋で酒を飲むのだが、よく氷堂を誘ってくれた。そんな島さんも、体調を崩して働けなくなり、今では生活保護に頼っているらしい。それでも島さんは、引き続き寿町に住み続けていた。そんな島さんと会うために、氷堂は約束の場所である「寿公園」へと足を早めた。

 寿公園は寿町の外れの角地にあり、敷地は細長い長方形の形をしている。以前は一面が土と芝生で覆われていたが、今はジャングルジムが置かれており、そこでは未就学の子どもたちが声を上げて楽しんでいた。また敷地の一部には防音マットが敷かれており、小学生くらいの子どもたちがボール遊びをしていた。20年前の寿町は極めて治安が悪く、その中でも寿公園は特に危険な場所とされていた。それが今や外国人や子どもが集まるスポットへと変容している。時の流れの速さを感じずにはいられなかった。
 

 
 午後2時、約束の時間に氷堂が寿公園に辿り着くと、5分ほど遅れて上下ジャージ姿の男性が目に入った。間違いない、島さんだ。外見は実際の年齢よりもかなり老けており、70代半ばの齢に満ちた老人のようにも見える。氷堂の姿が目に入ったのか、島さんは声を上げた。
 
「おお、リツさん!久しぶりですね。元気にしていましたか?」
 
 島さんの声を聞いて、氷堂は懐かしさを覚えた。姿は年老いても、声調は昔のままだ。ただ近づいてきた島さんを見て、氷堂は強い違和感を覚えた。島さんは杖をついていたのだが、何と片足がなく、義足だったのだ。予想外の様子に、氷堂は一瞬言葉を失ってしまった。しかしながら、これは驚きの序章に過ぎなかった。その後に氷堂が知ることになったのは、島さんが足を失った経緯と、彼が送った壮絶な人生、そしてその背後にある日本の貧困ビジネスの深い闇だった。
 

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香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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