Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第13話 免税島での機密
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https://note.com/malaysiachansan/n/n6211b09bddc0?magazine_key=m0838b2998048
朝9時、氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)はいつも通りオフィスに入った。氷堂のオフィスはポートクランの外れに位置する。ポートクランにはノースポート、ウエストポート、サウスポイントという3つの港があり、氷堂の会社のコンテナが保管されているのはノースポートの保税区だ。その名の通り、ノースポートは3つの港の中で最も北に位置しており、この3つの港の行政窓口としての役割も果たしている。そしてその保税区から2kmほど離れた場所に、氷堂のオフィスはある。ここは「ショップロット」と呼ばれる同じような形の建物が立ち並ぶエリアで、その殆どが氷堂の会社と同じく港湾関連の会社だ。
出社した氷堂は室内のエアコンがあまり効いていない事に気付いた。そしてアイリーンが既に出社している事を悟った。アイリーンは中華系の20代の女性で、氷堂の会社の経理や貿易実務を担当している。彼女はマレーシアの中華系の女性らしく、いつも露出の高いノースリーブのシャツとミニスカートを身に着けている。それなのに寒がりでエアコンの温度をすぐに上げたがるため、氷堂としてはいつも「困ったものだ」と思っていたのだが、やはり今日も温度を高めに設定している様だった。氷堂が「少し暑いんだけど、エアコンを強くしてくれるかな」とお願いすると、「社長、私は寒いんですけど…」と言い返されてしまった。中華系の若い女性は総じて気が強い事で知られているが、アイリーンも例に漏れずやはり気が強かった。そんなアイリーンから強い口調で返答されてしまった氷堂は、「分かったよ。じゃあ今の温度で良いよ」と答えた。氷堂は気の強い女性が苦手なのだ。
さて氷堂がパソコンに向かうとアイリーンが声を掛けてきた。
「社長、昨晩遅くに中国の広州からコンテナが到着しました。当社が3か月間の短期リースで貸し出していたコンテナなんですが、今回の荷物はウイスキーみたいです。このマレーシアで40フィートのコンテナ満載のウイスキーが届くなんて、結構珍しいですよね。こちらがパッキングリストですので、確認しておいて下さい。」
そういうとアイリーンは自分の席へと戻っていった。アイリーンは非常に扱いづらいのだが、同時に仕事ができる女性だった。英語と中国語が堪能で、貿易実務の経験も十分にある。何より彼女は人を偏り見る事をしなかった。マレーシアにはマレー系、中華系、インド系の3つの人種が肩を並べて生活しているのだが、それぞれの人種同士で固まる傾向がどうしてもあり、時にそれが摩擦を生んでしまう事もある。この点で氷堂の会社のCOOはマレー系であり、現場の責任者はインド系であり、更にバングラデシュ人やパキスタン人の派遣労働者も大勢迎えていた。もし社内に一人でも人種差別的な考えを持つ者がいれば、全体の和が乱れてしまう。この点でアイリーンは誰に対しても公平に接しており、社内の潤滑油の様な役割を担っていた。それで氷堂は性格的には彼女の事が少し苦手ではあるものの、その偏見のない見方や仕事ぶりを信頼して多くの業務を委ねていた。
さて氷堂はアイリーンから受け取った資料に目を落としたが、信じ難い内容が書かれていた。アイリーンの言うようにコンテナの貨物はウイスキーなのだが、それが全てマッカラン18年だったのだ。ウイスキー好きの人には分かるかもしれないが、マッカランはスコットランドのハイランド地方東部に位置するスペイサイドで造られたウイスキーで、シェリー樽が生み出す独特の風味と色合いが特徴のシングルモルトだ。非常に高い品質のウイスキーとして知られており、日本を含めて世界中に多くのファンを擁している。
そして驚くことに、今回の40フィートコンテナの貨物の積載物全てがマッカラン18年だったのだ。マッカラン18年は日本で購入すれば1本4万円以上はする。40フィートコンテナにはウイスキーが約15000本程度は載る計算だ。つまりこのコンテナだけで6億円ものウイスキーが積まれている事になる。更にマレーシアではアルコール度数に応じた酒税が累進的に課されるため、度数の高いウイスキーの様なお酒は日本よりも更に販売価格が高くなる。例えばマッカラン18年なら日本では1本約4万円で売られているが、マレーシアでは約10万円前後の価格になってしまう。そう考えると、このコンテナに積載されたウイスキーは、約15億円もの価値がある事になる。普通に考えておかしな内容だった。
それで氷堂はアイリーンを再び呼んで、貨物の詳細について尋ねてみた。
「このコンテナは3か月の短期リースから戻ってきたんだよね。でも貸し出した日付は2か月前だから、まだ1か月も余裕がある。例えば24カ月のリース契約で貸し出したコンテナが23カ月で返ってくることは良くあるけど、3か月で貸し出したコンテナが2か月で返ってくることは余りないよ。それなら普通は最初から2か月で契約するからね。それに荷主は中国の広州の企業なんだよね。これだけのウイスキーがイギリス本国から輸入されて来るのなら分かるんだけど、広州にこんなに大量の高額なウイスキーが保管されているものなのかな?」
氷堂から質問されたアイリーンは返信した。
「そうなんですよ。私もおかしいなとは思っていたんです。でも実はコンテナはこのまま私たちの手元に戻ってくるのではなくて、この後、ラブアン島に運ばれる事になっていて、その後に私たちの手元に返される事になっています。それも普通ならノースポート内で内航船に載せ替えればよいものを、荷主の指示で一度サウスポイントまで横持ち(保税区から保税区へとトレーラーで運ぶ事)して、その後にサウスポイントからラブアン島に向かう貨物船に載せられる事になっているんです。本当に複雑な動きですよね。」
「ラブアン島」というアイリーンの言葉を聞いて、氷堂は嫌な予感がした。ラブアン島はマレーシアの連邦直轄領の一つで、サバ州の沖合の南シナ海に浮かぶ島だ。
このラブアン島は免税の島として知られている。マレーシアの免税島と言えばランカウイ島が有名で、こちらは著名なリゾート地だ。白い砂浜沿いに高級ホテルが立ち並び、免税島のためにお酒も安いため、世界中から大勢の観光客が通年訪れている。一方でこのラブアン島は同じ免税島でもランカウイ島とは趣が大きく異なる。
1990年、マレーシア政府はオフショア会社法を制定した。これは平たく言えば、あらゆる税率が軽減される特区を作り、そこに外資を呼び込んで、金融センターを作ろうという政策である。言い換えるならば、タックスヘイブンを作ろうとしていたのだ。この法律の制定に伴いオフショア地区に指定されたのが、このラブアン島だった。それまでのラブアン島は何の変哲もない、のどかな田舎の島だったが、この法律が制定された事に伴い、金融サービスセンターの高層ビルが建設される事になった。つまり「人工的な金融島」が造られた訳だ。最近は世界各国におけるタックスヘイブンの規制が厳しくなってきた事もあり、ラブアン島を用いた租税回避スキームは以前ほどの勢いがなくなったと言われているが、それでも引き続き金融サービスセンターの中には世界各国の金融機関の支店が置かれており、マレーシアのオフショアビジネスの基点としての役割を担っている。
そのラブアン島だが、法人税が免税になるだけでなく、酒税や関税も免税になっている。そのためお酒も非常に安いのだが、それでもラブアン島の人口は9万人程度しかおらず、島外に持ち出せるお酒の本数にも制限が掛かっているため、どう考えても15,000本のマッカラン18年をラブアン島だけで消費できるはずがない事は明白だった。更に氷堂は別の疑念も抱き始めていた。
「このマッカラン18年は偽物なのではないか」
氷堂はこの点が非常に気がかりだった。もしウイスキーが偽物で、それが税関や警察により摘発された場合、コンテナは彼らによって差し押さえらえる事になる。そうなると数か月間はコンテナが返って来ない。場合によってはそのまま当局に証拠品として押収されてしまうかもしれない。そうなると、氷堂の会社は多大な損失を被る事になる。ちなみにコンテナの耐用年数は約20年近くあり、その間に数百万円のリース料を得る事ができるのだが、もしコンテナが差し押さえられて返って来なければ、その見込み売上も全て失ってしまう事になる。
氷堂はそれだけは避けたかった。そしてそれを確認するためには、コンテナが開封する瞬間に立ち会う以外に方法は無かった。なぜならリース会社といえども、荷主に無断でコンテナを開封する事は許されていないからだ。色々と考えた挙句、氷堂はアイリーンを再び呼んで自分の憶測を伝えた。そして彼女に対して言った。
「アイリーン、申し訳ないけど、これから僕はラブアン島に向かうよ。数日は会社に出勤できないから、その間に何かあれば電話かメールで連絡して欲しい。もしコンテナが犯罪に使用されていた場合、僕らとしては一大事になってしまう。それを確認するには、コンテナが開封される瞬間に立ち会うしかないんだよ。」
それを聞いたアイリーンは答える。
「でも社長、絶対に危ないですよ。もしウイスキーが偽造品だったら、その背後にはマフィアがいます。ラブアン島で事件にでも巻き込まれたら、本当に生きて返って来れるか分かりませんよ。止めておいた方が良いと思います。それにもし仮にそのウイスキーが偽造品だとしても、私たちには何の落ち度もないですし、私たちが捕まる事はないんですから。それよりも命の方が大切ですよ。」
それに対して氷堂は答えた。
「それは確かにそうなんだけど、見てみたいんだよ。真実を。」
そう言うと氷堂は立ち上がり、踵を返してオフィスを出ていった。そして車をクアラルンプール空港へ向けて走り出した。真実を知るため、氷堂は一人ラブアン島へと向かっていった。
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ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
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