Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第89話 東南アジアを開拓した日本人
前回の話はこちらから
https://note.com/malaysiachansan/n/n9756343371e5
この話は2024年の初頭に遡る。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、サラワク州のクチンという街にいた。マレーシアはクアラルンプールがあるマレー半島側と、インドネシアと国土を共にするボルネオ島側に、南シナ海を挟んで大きく分かれている。サラワク州はボルネオ島側に位置するのだが、マレーシアの中でも最大の面積を有しており、天然ガス田もあることから、国の経済を支える屋台骨のような役割を担っている。そのサラワク州の州都がクチンであり、氷堂が足を運ぶのは初めてであった。
ちなみにクチンとはマレー語で「猫」を意味しており、その名の通り、街の至る所で猫が群れをなして寛いでいる。ただその語源まで遡ると、クチンという言葉自体は現地で自生する果物の名前だったようで、直接的には猫と関係ないようだ。それでも現在では、猫をモチーフにした像や博物館などがクチンの街には軒を連ねており、猫にちなんだパレードなども行われている。これを目当てに世界中から猫好きの外国人が集まっており、東マレーシアを代表する観光地の一つだ。
ただ氷堂がクチンにいるのは、猫を見るためではなかった。クライアントに会いに来たのだ。マレーシアはゴムの生産地で、もともとはタイ・インドネシアに次ぐ世界3位の生産量を記録していた。ただ近年はより収益性の高い、パーム油のためのアブラヤシ農園などに転用が進んだこともあって、生産量は世界6位まで落ちている。とはいえ世界屈指のゴムの生産地である事に変わりなく、今回氷堂にアポイントを申し込んできた企業も、ゴム関連の企業だった。
彼らのオフィスはクチン市の郊外にあった。受付の女性にアポイントがあることを告げると、応接室に通された。10分ほど待って現れたのは、会社の代表のニコラスだった。ニコラスは40代の中華系に見えるが、母語はマレー語のようであった。ただそのマレー語も、クアラルンプールなどの西マレーシアで使われているものとは異なり、サラワク特有のイントネーションや語彙が用いられていた。やはり東と西では文化や言語も大きく異なるようだ。ただ氷堂はマレー語を流ちょうに話せないため、英語でコミュニケーションを試みた。するとニコラスも喜んで応じた。
ニコラスは言った。
「リツさんですね、お会いできて嬉しく思います。現在サラワクではゴム生産の最盛期でして、スポットでコンテナリースを提供していただけることは本当に助かります。一昔前は、天然ゴムをそのまま海外へ輸出していたのですが、最近は政府の方針で、ゴム手袋に加工してから輸出するケースが増えています。その方が付加価値も高まって利益を取れますし、雇用も創出できますからね」。
そう言うとニコラスはニコリと微笑んだ。ニコラスが述べたように、マレーシアのゴム生産量が落ちた背景には、こういった政府の方針転換もある。実際マレーシアはゴム手袋の生産および輸出において、断トツで世界一のシェアを誇っており、全世界の約6割のゴム手袋がマレーシアで製造されている。現に日本の医療機関や給食施設などで使われているゴム手袋も、そのほとんどがマレーシア製だ。
氷堂も言葉を返す。
「こちらこそ貴重なお引き合いをいただきまして、本当にありがとうございます。貴社のご希望では、サラワクで取れたゴム原料を手袋工場のあるポートクランまで運ぶことになっていたと思います。私としても、こういったお仕事をお手伝いでき、本当に嬉しく思います」。
そう言うと氷堂は頭を下げた。するとニコラスも言葉を繋ぐ。
「私は日本人の方と仕事をできるのを、本当に楽しみにしていたんです。というのもですね、サラワク州と日本の関わりは非常に深くて、この地でゴム農園を始めたのも、実は日本人なんですよ」。
ニコラスは嬉しそうに話している。それで氷堂も答える。
「そうなんですか。そう言えば、太平洋戦争時には日本軍がボルネオ島も占領していましたから、その頃のことでしょうかね?」
会話を紡ぐために氷堂は何気なく答えた。しかし予想とは異なり、ニコラスは大きく首を横に振った。そして言った。
「いいえ、そうではありません。太平洋戦争よりもずっと前の話です。そもそもサラワクは西マレーシアとは異なり、イギリスの植民地支配を受けていません。当地の初代の国王は、イギリスから来た破天荒な若者で、時のいたずらで王様になったようなものなんです。その彼がビジネスパートナーとして選んだのが、日本から来た『依岡省三』という技術者でした。そしてイギリス人の王様も日本人の技術者も、現地のサラワク人とは極めて良好な関係を築いていて、全く圧政は見られなかったんです。端的に言えば、依岡省三はマレーシアのゴム産業の父ですね」。
そう言うとニコラスは微笑んだ。イギリスの植民地支配は悪名高く、今でも東南アジアではイギリスに対して苦々しい想いを抱く人が少なくない。一方で太平洋戦争時の日本軍も同様で、特に中華系住民の中には身内を殺された人も多く、忌避感情を持つ人が大勢いる。しかしながら、このサラワクにおいては、イギリス人青年と日本人技術者という異例のコンビが、国民と協働して国土の開発を進めたという。
氷堂は思った。依岡省三とは一体どんな人物だったのだろうか。太平洋戦争よりも遥か前の時代に、彼はどうやってマレーシアにたどり着いたのだろうか。そしてどのようにイギリス人の国王やサラワク国民と良好な関係を築いたのだろうか。考えれば考えるほど、興味が湧いて来た。それで氷堂はさらにニコラスの話に耳を傾けることにした。しかしその後に氷堂が知ることになったのは、新たな時代を開拓した日本人の不屈の精神と、現在まで残る彼らの軌跡だった。
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ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
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