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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第90話 東京の不動産を買い漁る中国人たち

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/nc699712e7ced
 
 この話は2024年6月に遡る。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、日本へ一時帰国をしていた。氷堂は東京・虎ノ門ヒルズにあるホテル・アンダーズ東京へと向かっていた。アンダーズ東京は2014年に開業したホテルで、ハイアット&リゾーツが展開するホテルの中でも最上位ブランドである。ホテルは虎ノ門ヒルズの47~52階に位置しており、都会の喧騒を感じながらも、落ち着ける空間を提供していることで定評のホテルだ。
 
 ただ氷堂がアンダーズ東京へと足を早めているのは、ここに宿泊するからではない。知人とのアポイントがあったからだ。氷堂は年に2回ほど帰国しているが、お洒落な雰囲気のホテルが苦手で、好んで下町のホテルに宿泊していた。この時も氷堂は人形町のホテルに滞在しており、そこから日比谷線でアンダーズ東京へと向かっていた。そして「虎ノ門ヒルズ駅」という駅名を目にして、少し感慨深くなった。思えばコロナ禍で水際対策が厳しかった頃は、2年にわたり帰国する事が出来なかった。その間にこの虎ノ門一帯は、驚異的な速度で再開発が進んでいた。まるで浦島太郎になった気分だ。そんな想いを胸に秘めながら、氷堂は指定された51階のレストランバー「The Tavern」へと足を運んだ。
 

 
 氷堂が席に着くと、5分ほど遅れてアポイント相手の陳がやってきた。陳は50代前半の中国人で、恰幅が良く、一見すると暗殺された金正男氏のような風貌をしている。氷堂は10代後半から横浜の港湾で勤めていたが、縁あって30歳を前に香港へと移り、大手コンテナリース会社で働き始めた。コンテナリースの金融商品は富裕層の節税対策という側面も持ち合わせており、陳は当時の顧客だった。 
 
 陳は深センで不動産ベンチャーの経営陣の一人で、起業時の参画メンバーだった。彼の会社が出資していたのは、主にショッピングモールのような商業施設だった。当時の深センは不動産バブルの真っ只中であったが、彼は2014年頃に会社を離れると、株を売却して一線から退き、個人投資家へと転身していた。そしてコロナ前には中国国内の不動産をほぼ全て売却し、その後は資産をシンガポールなどの海外に移転させていた。ご承知の通り、現在の中国は未曽有の不況に面しているが、不動産バブルが弾ける前に資産の逃避に成功したことを考えると、彼の先見の明には感服せざるを得ない。
 
 氷堂を見るなり、陳は開口一番にこう言った。
 
「リツさん、お久しぶりです。お会いできて本当に嬉しいです。最後に会ってから、もう何年が経ちましたかね?」
 
 陳は氷堂に英語で話しかけた。陳はこの世代の中国人にしては珍しく、多少の中国訛りがあるものの、非常に流ちょうに英語を話すことができる。氷堂も英語で答える。
 
「そうですね…最後に会ったのがコロナ禍の前なので、恐らく4年振りだと思います。私もお会いできて光栄です。今回は東京にどんなご用でいらっしゃったんでしょうか?観光ですか?」
 
 すると陳は黙って首を横に振った。そして言葉を繋いだ。
 
「いいえ。実はですね、妻と娘を東京に住まわせようと思っていまして。今回はその不動産の契約のために来ているんです」。
 
 そういうと陳はニコリと微笑んだ。その話を聞きながら、氷堂は記憶を整理していた。氷堂が覚えている限りでは、陳は10年以上前に離婚しており、独り身を謳歌しているはずだった。氷堂が訝しげな表情をしていると、陳はそれを察したのか、再び話を続けた。
 
「あ、リツさん。お伝えし忘れたんですが、最近再婚したんですよ。嫁はまだ30代前半で、娘は去年産まれたばかりの1歳です。可愛いもんですよ、この歳になってからの子どもというものは。ただ彼らの将来を考えた時に、中国で育てるのは得策ではありません。それで妻と娘だけ、日本への移住を考えていまして、今回は彼女たちの不動産契約のために来日したんです。まぁ妻も娘も日本語はおろか、英語も話せないので、どうなるか心配ではあるんですが、まだ二人とも若いので順応できるでしょう」。
 
 そう言うと陳は目尻に皴を寄せ、幸せそうな表情を浮かべていた。ただそんな陳を横目に、氷堂はいくつか疑問が浮かんできた。近年は東京の湾岸地区のマンション価格が急騰しているが、その背景には陳のような中国人富裕層の移住者がいると言われている。なぜ彼らは母国を離れるのか?一体どんなビザで日本に滞在しているのか?中国政府が外為規制を強める中で、どうやって海外へ資金を移動させているのか?何よりも、なぜ彼らは東京を選ぶのか?その真相を知りたいと思った氷堂は、陳の話にさらに耳を傾けることにした。しかしその後に氷堂が知ることになったのは、中国人富裕層たちの富に対する執念と、移住のために用意された驚愕のスキームだった。
 

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マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

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