見出し画像

ontainer from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第43話 最低賃金が25%引き上げられた時

前回の話はこちらから
 
https://note.com/malaysiachansan/n/n965a9b436168
 
 この話は2022年3月まで遡る。この日、マレーシアのポートクランの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、港湾当局の定例会議に出席していた。この会議は毎月1回開かれ、約30社・80名強が参加しており、そこでは港湾の貨物量に関する最新の情報や現在当局が対峙している課題などが共有される事になっている。この日も会議は淡々と進み、2時間ほどで終了した。その後、参加者たちにはビュッフェ形式の食事が振る舞われるのだが、この時間を楽しみに会議に参加している者も多い。それはこの食事会が同業他社と情報を交換する貴重な機会となっているからで、氷堂もその内の一人だった。
 
 さて氷堂が食事を始めると、同じく港湾で会社を経営するアブドラが近づいてきた。彼は言った。
 
「おぉリツ、久しぶりだな。仕事は順調か?」
 
 兄貴肌のアブドラはいつもこうやって氷堂の事を気遣ってくれる。それに対して氷堂も答える。
 
「ありがとうございます。お陰様で何とかやっています。それにしても最近はマレーシア全体で人件費が高騰してきていますね。悩みの種と言えば、それ位でしょうかね。」
 
 アブドラも答える。
 
「確かにそうだな。特にこの港湾では最低賃金で働いている人も多いからな。これが上がったら、我々としても死活問題になるよ。」
 
 そう言うとアブドラはため息をついた。それもそのはずだ。東南アジア最大級のハブ港であるマレーシアのポートクランには、約18,000人の港湾荷役に携わる労働者がいる。しかしその90%以上はバングラデシュかパキスタンから来た外国人労働者で、その多くが最低賃金レベルで働いている。
 
 アブドラは話を続けた。
 
 「今マレーシアでは最低賃金が月額1200リンギット(約36000円)に設定されている。この金額でも給料を払っていくのは結構大変なんだが、これが上がると目も当てられなくなりそうだ。だけどそう言えばリツの会社はもう少し高い給料を払っていたよな。」
 
 アブドラの質問に氷堂も答える。
 
 「はい、そうですね。弊社の給料は月1800リンギット(約54000円)からスタートさせています。ですから最低賃金と比較すると50%増しですね。実際にはこれにプラスして人材を紹介してくれた会社に紹介料を払わなければならないので、会社の出費は更に大きくなるのですが、それでも高い条件で求人を出すと良い人材が自然と集まるんですよ。それが長期的にはプラスに働くと思っているので、うちの会社は高い賃金を払っているんですよ。」
 
 氷堂の答えに対して、アブドラも言った。
 
「それは確かに事実だな。ただリツの会社はコンテナリース会社で利益率もすこぶる良いからそうできるが、うちの会社の仕事はバラ積みの荷役作業だ。利益率も低いから、そこまで良い給料を出すのは難しい。まぁこれも仕方ないことだな。ただそれでも一生懸命に働いてくれる外国人労働者たちには本当に感謝だよ。」
 
 そう言うとアブドラは笑顔を見せた。その後、二人は他愛もない会話を続けていたが、急に隣の席で食事をしていたグループが何やらざわつき出した。彼らはお互いにスマホを見せ合っていた。どうやら政府から何か新しい発表があったらしく、その事を話題にしている様子だった。それで氷堂とアブドラも自分の席を離れて、彼らの輪に加わる事にした。
 
 氷堂は尋ねた。
 
「随分と盛り上がっておられますね。何か政府から大きな発表があったのでしょうか。」
 
 それに対してグループの中の一人が答えた。
 
「あぁ、まだご存じなかったのですね。先ほどイスマイル・サブリ首相の会見があったんですよ。」
 

 
「リツさん、最初はいつもの定例会見かと思って聞いていたのですが、何とその中で最低賃金が1200リンギから1500リンギに25%も引き上げられる事が急に発表になったんです。しかも開始時期はわずか1か月後の5月1日からです。こんなに一気に、しかも急に最低賃金を上げられたら、我々事業者はたまったもんじゃないですよ。」
 
 彼らの言葉を聞いて、氷堂も耳を疑った。「1か月後に最低賃金を25%UPさせる」。これは大変な事になるだろうと容易に予想がついた。ただ幸いな事に氷堂の会社には最低賃金で働いている労働者はいないため、影響は軽微に過ぎないと予想した。しかしすぐ横のアブドラを見ると、明らかに顔が青ざめていた。それもそのはずだ。彼の会社には最低賃金で働く外国人労働者が大勢いるからだ。
 
 
 ではこの最低賃金の急激な引き上げによって、マレーシア経済はどのような影響を被ったのだろうか?それは当初の予想とは異なり、氷堂の会社にもその余波が直撃する事になる。それがどの程度のものだったのか、これから詳述していきたいと思う。
 

ここから先は

6,359字 / 5画像
マガジンは毎週1回、月4回更新します。コンテナ業界の裏話を含んだ自伝的小説「Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア)」と、日本の構造的問題を海外の経営者の視点で統計と共に読み解くコラム「海外から見た、日本の良い点・おかしな点」を隔週で更新。貿易に関心がある方、海運やコンテナ関連の株をお持ちの方、またマレーシア在住者を含む海外移住者やそれを目標にしている方、更には日本の行政や教育システムに疑問をお持ちの方に有用な情報をお届けします。

香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?