Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第76話 パレスチナ紛争がもたらしたもの
前回の話はこちらから
https://note.com/malaysiachansan/n/nc96efc568951
この話は2024年1月まで遡る。マレーシアのポートクランでコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この日、テレビのニュースを眺めていた。遡ること3か月、パレスチナ自治区ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエルを奇襲攻撃し、1200人が殺害され、外国人を含む240人が人質になるという事件が起きた。これを機にイスラエル軍はガザへの全面侵攻を開始し、万単位のパレスチナ人が犠牲となった。
あれから3か月が経過した。それでも解決の糸口は見えず、むしろ情勢は混迷を極めていた。その影響はイスラエル・パレスチナに留まらず、周辺国まで飛び火していた。特に氷堂にとって気がかりだったのは、サウジアラビアの情勢だった。氷堂の会社の主な取引先は中東諸国で、その中でもクライアントはサウジアラビアのジッダ港に集中していた。氷堂はこれまでも3か月に1度ほどのペースでジッダに足を運んでいたが、10月に紛争が勃発して以降は足が遠のいていた。そしてニュースの画面には、炎が吹き上がる石油タンカーの様子が映し出されていた。
これはハマスとの連携を掲げるイエメンの反政府組織、フーシ派の攻撃によるものだった。フーシ派は紅海に攻撃部隊を配置し、イスラエルと関連がある船を次々と攻撃の対象とした。この影響は甚大で、ほぼ全てのコンテナ船の運航会社が、紅海およびスエズ運河の航行を中止し、喜望峰回りのルートを取ることにした。
この決定に最も翻弄されたのが、他でもないジッダ港だった。ジッダ港はサウジアラビア最大の貨物港であり、同時に船がヨーロッパからスエズ運河を抜けて最初に位置する大型港のため、中東屈指のハブ港として機能していた。現にジッダ港はアジア・ヨーロッパ・アフリカの交易の中心に位置するため、海運の要衝として重要な役割を果たしている。しかしそのジッダに船が来ない。氷堂は極めて厳しい局面を迎えていた。
氷堂はニュースを見ながら一人呟いた。
「このまま行けば、今までサウジアラビアで築いたビジネスも手放さざるを得なくなる…」
大きく息を吐いた氷堂は、決意を固めた。この目でジッダの実情を把握しようと。最後に氷堂がサウジアラビアを訪れたのは、ハマスが攻撃を行うわずか1週間前だった。あの頃は全てが順調だった。わずか3か月でここまで事態が変わるとは、想像すらできなかった。もはや猶予はない。それで氷堂は車のキーを取ると、クアラルンプール国際空港へと車を走らせた。しかしその後に氷堂がジッダで目にしたのは、パレスチナ情勢を巡る厳しい現実と、終わることのない憎悪の連続だった。
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ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
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