Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第27話 金正男暗殺事件の余波
前回の話はこちらから
https://note.com/malaysiachansan/n/n1cec241add35?magazine_key=m0838b2998048
この話は2017年2月14日まで遡る。この日の午前5時頃、氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)の姿はマレーシアのクアラルンプール国際空港にあった。欧州での出張を終えた氷堂は、中東経由の飛行機に乗り、クアラルンプール国際空港まで戻ってきていた。クアラルンプール空港は年間6000万人もの人たちが利用する、東南アジア屈指のハブ空港だ。氷堂は飛行機を降りると、すぐに入国手続きを行うためにイミグレーションのカウンターへと向かった。
その時、氷堂は異変に気付いた。とてつもない人数の人達が、入国審査の列に並んでいたのだ。元よりクアラルンプール国際空港の入国審査は常に混んでいる事で知られており、通常でもそこを抜けるのに2~3時間を要する。しかしこの日は次元の違う混み具合だった。通常の3倍は人がいる様に見え、イミグレーションのカウンターは立錐の余地もないほどだった。
「何かがおかしい」。そう感じた氷堂は、係員に何があったのか尋ねてみた。すると係員は返した。
「あ、ご存じないのですね。実は昨日の午前中、ターミナル2の方で北朝鮮の金正男氏が暗殺されたんですよ。」
氷堂は係員の言葉を聞いて絶句した。しかしそんな氷堂を他所に係員は説明を続けた。
「それでこのターミナル1の方でも厳戒態勢に入っており、入国審査を厳しく行っています。私も全容は分からないのですが、とにかく非常事態です。気を付けて下さい」
そう言うと係員は去っていった。氷堂が慌てて携帯のニュースを見てみると、確かに全てのニュースサイトで金正男氏の暗殺事件の事が速報で扱われていた。氷堂は乗り換えも含めて計15時間以上にわたり空路を移動していたため、そのニュースを見る機会を逃していたのだ。
ちなみに氷堂はAPECカードという特別なビザを有している。普段ならこれを用いれば専用のカウンターから出入国ができるため、どれだけイミグレーションが混んでいても、5分程度でイミグレーションを通過できる。しかしこの日は違った。APECカードであろうがビジネスクラスであろうが、全ての乗客は同じカウンターに並ばせられて、厳格な入国審査を受ける事になった。それだけ緊急事態だったのだろう。結局氷堂がイミグレーションを通り抜ける事ができたのは、午前10時を過ぎた頃だった。疲労困憊の氷堂は、帰宅すると泥のように眠った。
その翌日、マレーシア警察は金正男氏の暗殺の実行犯として、28歳のベトナム人の女性を逮捕した。また翌々日にはインドネシア人の女性も逮捕された。二人は「テレビ局のドッキリ番組に参加した」と供述しており、その一環で男性にスプレーを吹き付けたらしい。またテレビ番組のディレクターを名乗る男から、少額の報酬も得ていた事も分かった。そして彼女たちは共に「男性が金正男氏である事は知らなかった」と述べており、彼女たちにこのドッキリを依頼した男たちも、既に出国済みである事が確認された。
この暗殺事件に多くのマレーシア国民が驚愕すると同時に、大きな怒りを覚えた。それもそのはずだ。主権国家であるマレーシアの空の玄関口を暗殺現場として勝手に使われたのだから。そのため当初は新聞もテレビもこの話題で持ちきりになったが、実行犯が逮捕され、教唆した犯人も既に出国済みである事が分かると、次第に報道も尻すぼみになっていった。確かに許しがたい事件ではあったが、殺害された金正男氏も北朝鮮人であり、逮捕された犯人もベトナム人とインドネシア人だった。つまり被害者も犯人も外国人であり、直接マレーシア国民が被害を受けた訳ではなかったので、1か月も経つと、この件は徐々に人々の話題に上らなくなっていった。
しかし氷堂の場合は事情が大きく異なった。実はこの暗殺事件が起きるまで、マレーシア政府と北朝鮮政府は長い時間をかけて友好関係を築いており、それに伴い両国間の貿易額も右肩上がりになっていた。そして氷堂の会社はマレーシアの政府系会社にコンテナを貸し出しており、その一部が北朝鮮を仕向地としていたからだ。氷堂は北朝鮮と直接取引していた訳ではなかったものの、すぐに「これは大変な事になった」と理解した。そしてその直感が間違っていなかった事はすぐに明らかになる。その後、北朝鮮とマレーシア、両国間の異様な貿易摩擦に巻き込まれる事になったからだ。
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ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
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