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Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第95話 異国の地で命を落とした女性たち
前回の話はこちらから
https://note.com/malaysiachansan/n/n50ab46b475f6
この話は2014年に遡る。マレーシアの港湾でコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、この頃、香港に住んでいた。氷堂は10代後半から横浜の港湾で働き始めたが、職場は典型的なブラック企業で、朝早くから夜遅くまで働き続けても、月収手取り10万円台という生活を10年近くも続けた。しかしその後、縁あって香港の会社に就職することになり、当時は香港に移住して5年目を迎えていた。
コンテナリースというビジネスは、物流としての側面と同時に、富裕層向け節税対策の金融商品としての性格も持ち合わせている。氷堂が配属された部署は、その金融商品を開発する部署で、仕事は激務の極みだった。毎朝8時前には出社し、夜10時過ぎまで仕事が続いた。確かに報酬こそ高かったが、一方で結果を残さなければ会社に残ることができない社風だった。正に「Up or Out(昇進するか、さもなくば退職するか)」という言葉を体現したような会社だった。
ところで氷堂には、仕事を終えた後の日課があった。それはパブに飲みに行くことだ。職場からタクシーで10分ほどの湾仔(ワンチャイ)という地域に、氷堂の行きつけのパブはあった。湾仔は香港島の中心地に位置するエリアで、近代的な商業施設やビル群が建ち並んでいるが、一歩裏道に入れば伝統的な街並みも残されている。例えば湾仔街市にはマーケットや屋台が集まっており、「古き良き香港」を垣間見ることができる。また少し脇に逸れると、路地裏にはお洒落なカフェなども軒を連ねており、香港の今と昔を体感できるエリアである。
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その街の雑居ビルの一角に、氷堂の行きつけのパブはあった。氷堂は週に3日ほど、仕事帰りにそのパブに通っていたが、そこではオーナー選りすぐりの美味い酒を飲むことができ、そこでの一杯を楽しみに、氷堂は毎日の仕事を乗り切っていた。氷堂が最初に決まって飲むのは、サンミゲルというビールだった。サンミゲルはフィリピン産のビールで非常に薄味だが、暑苦しい香港の夜にはピッタリ合う。そしてビールを飲み終えると、次にスコッチをロックで味わうのが氷堂の日課だった。
ただ氷堂がそのパブに通っていたのは、もう一つ理由があった。流される音楽が最高だったのだ。店にはDJがいて、店の雰囲気や、時には客のリクエストに応じて、場を盛り上げる音楽を流していた。曲は90年代のアメリカン・ロックが主体だったが、ダンスミュージックに切り替わることも多かった。この心地よい音楽も、働き疲れた氷堂にとって癒しとなっていた。
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さてある日、DJブースの中に見慣れない若い女性がいた。その女性は東南アジア系のようで、白人と香港人で埋まる店内では余り見かけない外見だった。ちょうどこの頃、氷堂の勤める会社がマレーシアでのビジネスを立ち上げたため、氷堂も責任者としてマレーシアとの間を行き来することが増えたのだが、その女性DJは正にその方面の顔立ちだった。何より非常に美しかった。
興味を持った氷堂は、副店長のマーティンに尋ねてみた。マーティンは氷堂と同世代の香港人で、氷堂にとっては気兼ねなく話せる友人でもある。マーティンは答える。
「ああアリスだね。実を言うと彼女はインドネシア人で、DJの見習いなんだ。最近働き始めたばかりなんだけど、選曲のセンスも良いし、これからが楽しみなんだよ」。
そう言うとマーティンは微笑んだ。それで酔いも回っていた氷堂は、思い切ってその女性に声をかけてみることにした。
「はじめまして。私はリツと言います。この店にはよく足を運ぶのですが、選曲のセンスが素晴らしいですね」。
氷堂は真摯に感謝を伝えた。するとアリスも言葉を返す。
「本当ですか!そう言っていただけると、本当に嬉しいです。まだまだ分からないことが多いんですが、ベストを尽くしますので、今後も宜しくお願いします!」
そう言うとアリスは頭を下げた。その様子を見て、氷堂も一日の疲れも取れた気がした。それで氷堂は彼女に会うことも楽しみに、その後もパブに通い続けた。ところが2週間ほどすると、彼女を見かけなくなってしまった。もとより働き始めたばかりなので、何も言わずに辞めてしまったのかもしれない。氷堂はそんな風に考えていた。しかし間もなくして、信じがたい事実を知ることになる。数日後、アリスは遺体で発見されたのだ。
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ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
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