Container from Malaysia(コンテナ フロム マレーシア) 第53話 大麻と死刑制度の狭間で
前回の話はこちらから
https://note.com/malaysiachansan/n/n979bb717694f
この話は2023年の3月まで遡る。この日、マレーシアのポートクランでコンテナリース会社を経営する氷堂律(ひょうどうりつ、通称ちゃん社長)は、港湾本部にいた。ポートクランにはウエストポートとノースポートという二つの大きな港湾があるのだが、氷堂の会社が属しているのはノースポートで、ここはコンテナ船に加えてバラ積み船やタンカー、更には客船も寄港する港として機能している。そして港湾本部では月に一度主要な事業者を集め、情報交換が行われているのだが、その会議に出席するために、氷堂は港湾本部へと足を運んでいた。
ただ本来であれば、氷堂の会社は弱小企業なので、この様な大きな会議には普通は呼ばれない。しかし氷堂は毎回この会議に特別に呼ばれていた。その理由は他でもない、副長官のイスマイル(仮名)のおかげだ。イスマイルは大の日本好きで、コロナ前は年に何回も家族と共に日本旅行を楽しんでいた。イスマイルは港湾の事業者の中に日本人の社長がいる事を知って、その時以来氷堂の事を特別に可愛がるようになった。例えば休みを合わせて日本へ一緒に旅行に行った事もある。二人はそんな間柄だ。会議を終えたイスマイルは、氷堂を自身の執務室へと招待した。そして言った。
「今月もお時間を作って下さり、本当にありがとうございました。ところで遂に年末に北海道旅行へ行く事が決まりました。今回はニセコのリッツカールトンホテルに宿泊する予定です。あそこはYTLホテルズというマレーシアの企業が親会社なので、我々マレーシア人には色々と融通を効かせてくれて大人気なんですよ。」
「リツさん、ニセコの後は札幌で美味いものを食べて、最後は東京に移動する予定を立てています。銀座のミシュラン星付きレストランで寿司を食べるのも楽しみです。今から楽しみで仕方ありません。どうです、今年も一緒に行きませんか?」
そう言うとイスマイルはニコリと笑った。確かにマレーシア人にとって日本旅行は大人気で、特にイスマイルの様な富裕層は日本滞在中に湯水のようにお金を使う。ただそれに付き合えば、自分の財布も厳しくなる。そう考えた氷堂は、適当に相槌を打ってごまかしていた。するとイスマイルは言った。
「では少し考えておいてください。ところでリツさん、本題に入りましょう。先ほども会議の中でお伝えしました様に、ポートクランではこの数か月、大麻の密輸の摘発が相次いでいます。それも『コンテナの中に隠す』という次元ではなく、20フィートコンテナ丸々一本が全て大麻だった事例もありました。恐らくですが、タイで大麻が解禁された影響でしょう。多くのマレーシア人がタイで大麻を楽しむために旅行に出かけています。彼らはマレーシアに戻った後も、大麻がやりたくて仕方ないようです。そういう背景もあって、ブラックマーケットで大麻の需要が高まっている様です。」
「大麻」という言葉を聞いて、氷堂も納得した。イスマイルの言う通り、今マレーシアではタイへの大麻ツアーが大人気で、取引先の社員でもそのためにタイへ出掛けたという人がいた。密輸が増加する事は自明の理だった。ただ氷堂は一つ不思議に思った事があったので、それを尋ねてみる事にした。
「なるほど、それは非常に深刻な問題ですね。ただ大麻の密輸はマレーシアでは重罪のはずで、興味本位でやれる事でもない気がします。場合によっては死刑になるのではないのでしょうか?」
氷堂は真面目に尋ねてみたが、なぜかイスマイルは苦笑いを始めた。そして言った。
「リツさん、少し認識が古い様です。実は大麻に限らずあらゆる犯罪で、近年のマレーシアでは死刑廃止の議論が進んでおり、死刑の執行も2018年以来行われていないんですよ。国民の大多数は死刑制度の継続を望んでいるんですけどね、政治は逆の方向で動いています。一昔前では考えられない事ですね。現に以前は些細な事で死刑を執行しまくっていましたから。」
その話を聞いて、氷堂は大いに疑問に感じた。元々マレーシアでは大麻は重罪だったはずだが、なぜ政府は方針を転換したのだろうか。またなぜ死刑を執行しなくなったのだろうか。その背景を知りたいと思った氷堂は、更にイスマイルから話を聞いてみる事にした。しかしその後に氷堂が耳にしたのは、死刑を巡る強い国際社会の圧力と、それと対峙する複雑な国民感情だった。
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ちゃん社長のコンテナ・海運業界・マレーシアの裏話。
香港・マレーシアでコンテナリース会社を経営中。マレーシア在住。コンテナや海運業界の裏話や、海外から見た日本の素晴らしい点やおかしな点を統計…
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